君が望む永遠:選択肢に込められた主張

2006-02-03 15:18:35 | 君が望む永遠
例えば、「重要なシーンで選択肢が出ない上に望まないような行動を取るのでストレスが溜まる」といった批判が見られるが、むしろ私は「なぜ選択肢が出ないのかを考えたか?」と問いたい。前提に立ち返ればわかることだが、選択肢はあくまで手法の一つに過ぎないのだ。考えてみてほしいのだが、選択肢のあるゲームにおいて、例えば毎朝「学校に行くor行かない」という選択が出てくるだろうか?私の知る限りそんなゲームはない。ならばなぜそういった選択肢は出てこないのだろうか?それは主人公にとって、「学校に行く」という選択が自明のものであるからだ(その逆もしかり)。そういう見方をするならば、君望における「重要な場面」で選択肢が出ない理由もまた、孝之がある行動に固着する高い必然性があると捉えることができる。この必然性が鳴海孝之のものであってプレイヤーのものでないことは前述のとおりである(ちなみに、選択肢が一手法に過ぎないことを意識した作品として「ひぐらしのなく頃に」が挙げられる)。

以上、最初から自分の論理を押し付けるのではなく、まずは「鳴海孝之の必然性」に基づいて彼の行動、言動及び演出が作り上げられているのを意識することが重要であると指摘した。またこれについては、前述の如く、君望の側からも孝之が「非感情移入型主人公」であるという記号とメッセージが送られていることも忘れてはならない(その点について問題がないわけではないが[後述]、少なくとも虚心に見ればわかる程度には明示しているように思う)。無意識に「感情移入」できるものを求める人には、演出の意図や必然性といった要素も考えるようになってほしいと思う。その上でなお、君望は叩きまくれる作品なのだからw

※ちなみに、選択における必然性とは「必ずそうする」という意味ではない。例えば、我々は「もう死にたい」などと言うが、そのさい真剣に自殺を「選択肢」として考慮していない場合が往々にしてある。とすれば、これをゲームの選択肢として考えた場合、「もう死にたい」という地の文やセリフは出てきても、「自殺するorしない」という選択肢は出てこないこといなる。先に挙げた「学校に行くor行かない」の事例、あるいは「病院に行くor行かない」などといった選択肢が出る必然性の有無については、以上のような観点で分析する必要があるように思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 君が望む永遠:主人公の性格... | トップ | エンディングから見た君が望... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

君が望む永遠」カテゴリの最新記事