フランス在住の友人とLINEで交わしたやり取り其の惨。表現をわかりやすいように若干変えている部分もあるが、基本的には原文通りである。これまでのブログ記事の内容とそれがどう関連するかわかりにくい方もいると思うので、最初に少し補足しておきたい(なお、詳しい話は一週間後くらいに改めて書く予定である)。
ここで話している内容は、「現代日本社会のコスモロジー:抑圧・ルサンチマン・袋叩き」に関連するものとなっている。これはホイジンガのいう「遊び」が今日の日本で極めて機能しにくくなっているという結論につながるわけだが、これから人口オーナスに高齢化社会、さらにオリンピック後の不況と二重苦・三重苦がふりかかる状況をふまえると、社会不安が増大するがゆえにリスクヘッジのマインドが促進され、「遊び」の対概念としてホイジンガが提示する「まじめさ」が、今以上に日本社会を蓋うだろう(ちなみにホイジンガがナチスドイツと「まじめさ」の結びつきを念頭に置いていたことに注意を喚起したい。後にフロムが『自由からの逃走』を著し、不安な個人が自由を放棄して隷属の道を選ぶメカニズムを示したことからも、その評価は慧眼だったと言えるだろう)。
とするなら、財力的にも精神的にも余裕がなくなっていく日本社会・日本人が、イノベーションを起こせる可能性・範囲はさらに小さくなっていき、衰退に歯止めをかけるチャンスはますます減っていくだろうと予測される(たとえば、先の高齢化にしても、「労働力の減少&介護労働力の必要性急増→人の代わりとなる機械やシステムの開発に心血を注ぐ→先進国に輸出」のように危機をチャンスに変えることはできるのだが、それには莫大な費用が必要となる。にもかかわらず、現時点で日本政府が基礎研究への助成金を減らすという体たらくなため、さらに財源が厳しくなる未来社会についてはお察しと言わざるをえない。ちなみに今日本政府がやろうとしているのは、「安価な労働力の輸入」という最も短絡的・近視眼的な愚策である)・・・という話になっていくわけだが、注意する必要があるのは、これは単純に日本だけの問題ではなく、そもそも近代社会の黄昏(成熟社会の宿痾)という大きなテーマと関係している点にある(私が次の毒書会でシュンペーターの『資本主義、社会主義、民主主義』を選んだ理由の一つだ)。
ただ、日本は少子化対策然り、構造改革然りだが、その対策に失敗しているがゆえに、衰退先進国となることが確実視されている、という話である(仮に今から対策を打っても、教育など含めて考えれば20年ほどの時間を要するので、2040年頃にはすでに、日本の衰退はかなりの程度進行しているだろう。そして仮に、GAFA的な独占体制が大きく変わらないのであればという前提だが、力を失った状態からの巻き返しは相当困難であると予測される。「ものづくり大国」などと前時代的な枠組みでプライドを保とうとしている場合ではないのだが・・・)。
以上の分析が正しいとすれば、その現象と要因分析は、残念ながらこの国の多くの人間にはもはや意味がないということになる(不安な人間は耳を塞ぎたがるものなので)。ただそうだとしても、AIの発展を含めた成熟社会の行く末やその手当てを考えるにあたっては、それなりの価値を持つものだろうと考える(まあそうなると、そもそも日本語で記事を書く必然性が低くなるようにも思うが)。
少し長くなったがこの辺で。なお、前編・中編と同様流れがわかりやすいように、中編の最後の発言から始めている(Nが友人、Mが私)。
N
あれだけ普段不平不満言うフランス人が、電車のスト中はきちんと長い列に並んで文句言わずに電車待ってる姿には驚いたよ笑
権利を主張してる人にはリスペクトがあるのを感じる。
M
「他者の正当な権利行使>自分たちの利便性」なんだろうね。日本人とは真逆というか。
あと、他者と自分の交換可能性について考えるから、ストを応援するというのを聞いたことがある。
つまり、自分たちが同じようなことをした場合に応援してほしいし、また応援してもらえるから他者のそれを承認するのだ、と。
N
あー、なるほどね。公共の精神のあり方も似たように感じるよ。自分がこれされたら嫌だからしないっていう。日本人の意識って、ちょっとそれと違うよね。これしたら他人がどう思うかな、変に思われるかな、っていう感じじゃない?
フランスでは主張しないことに関しては放置されるから、公衆トイレとかない(あるけど少なくて超汚いからみんな使わない)し、メトロにエスカレーターもエレベーターもない笑 お菓子とかラーメンの袋は開けにくいし笑
日本みたいに先回りした過剰な配慮というのはないから、ちょっとした不便というのは多分この先も変わらないだろうな笑
M
なるほど。公衆トイレについては公共サービスはみんなで構築するものって意識なんだろうな。
アメリカでは、地方の議会じゃなくタウンミーティングで地元の橋や費用の分担について話したりするって言うし。
ちなみに、トイレについては、ドイツだとあまりのキレイさに驚いたので、その辺の違いも面白いね(まあ行ったのが主に観光地ってのはあるだろうけど)。
日本人の意識はまさに「空気を読む」・「出る杭は打たれる」の言葉通りで防御的な側面が強い気がするね。
だからいつも抑圧されているんで不倫のニュースとかを見ると自分に関係がないのに嫉妬から攻撃をすると。
お前だけおいしい思いしやがって許さん!というわけだ(゚∀゚)
N
ごめんなさい!あれ?違うか?笑
M
まあ君の場合は磔レベルなんじゃないかw
まあ俺は自由に生きればいいと思うけどねw
N
ギロチンですな、フランス式だと笑
日本は、個人の不快感、不満は解決されることなく「和」を取り繕うからね。そういう鬱屈したものが、わかりやすい「悪」を徹底的にたたく風潮に繋がってるのかなあと感じるよ。
M
まさしくその通りだと思う。
たとえば「空気を読む」というのが仮に「共同体を大事にする」ことであるならば、国内の貧困問題について「自己責任」を大合唱するのはおかしいからね(もちろん、個人的な判断ミスがゼロなんてことはないが)。
つまりこれは、俺も我慢してるのに何でお前を助けなきゃならないんだ、許せん!てことなわけで。
和を取り繕うことには汲々とするけど、真に社会のことを考えてないからこその現象だと思う。
すまねえ、そういや時間的にそっち深夜よね。この辺でさらば!また連絡します。
N
こっちは朝9時よん、大丈夫!
なんかデンマークに行った時に、公共性の意識の違いみたいなんを感じたんだよ。日本ともフランスとも違う。自分の税金で幸せに暮らす人が増えるなら嬉しいっていう感じ。幸福度っていうのは、こういう感覚とリンクしてるんかもなあと思った。
また詳しい飛行機の予定とかわかったら教えてー。パリで美味しいものでも食べにいこ。
M
それならよかった(汗)
デンマークの例はおもしろいね。国は違うけど、同じ北欧のフィンランドでは中学で社会がどういう仕組みで回っているかを教えるんだそうな。
それは福祉国家というものがどういう理念と制度で運営しているかがわからないと、痛税感で若者が働く気力を無くしたり、制度そのものをよく理解せずに否定するのを防ぐためだそうな。
まあそれでもフィンランドの国家運営は色々問題含みみたいだし、ノルウェーでは移民排斥を訴えるブレイビクという男が大量殺人事件を起こして問題になったりと、日々努力を積み重ねながらやりくりしてるみたいだが。
話を戻すと、デンマークの事例は再配分の基本理念が正しく共有されていると言えそうだね(この逆が日本の生活保護バッシングと考えるとわかりやすい)。
今日は色々興味深い話ありがとう!また連絡します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます