日本版「文化大革命」の始まり:廃仏毀釈の嵐

2019-07-01 11:26:51 | 宗教分析

 

いやーあのChinaより100年も早く「文革」やってたなんて、やっぱ日本て国はハンパねーっすわ(゚∀゚)よく日本ダイスキーな人たちが言ってる伝統的な神仏習合=因習を廃して、寺院や仏像をフルボッコにするなんて、そこに痺れる憧れるぅ!

 

なんつってw
まあ鵜飼秀徳『仏教抹殺』や安丸良夫『神々の明治維新』なんかを読む限りじゃあ政府の意図を超えて民衆の不満が爆発したり、勝ち馬に乗る(政府におもねる)権力者が忖度して動いたりしてたわけで、マオ先生による権力闘争の理由づけとして「走資派」(=劉少奇とか鄧小平)をボコるべしとして始まったChinaの文化大革命と一緒にできないっしょ、て話になるんだがね(・∀・)

 

それに仏教を単なる被害者と見るのも誤りで、圭室文雄の『葬式と檀家』によれば、江戸時代に特権的立場にいた仏教教団は幕府の名を騙って自分たちに有利な(偽の)法律で集金してたりしたようだ。まあそういった悪行に対するルサンチマンが、旧体制との結びつきとも相まって、攻撃される理由になった点は否定できないだろう(もちろん、江戸時代に成立した国学や水戸学の思想的影響で行われた側面もあったわけで、一枚岩の統一的な動きとは必ずしも言い難い)。とはいえ、新体制への熱狂による行動というのは、敗戦後のアメリカに対する態度を連想もさせて興味深いところである。

 

しかしいっつも思うのだが、日本人が宗教のことを考える時って、本当こういう政府の政策=作為の契機(©丸山真男)について無頓着だよねー。江戸時代の仏教徒自動登録システム=檀家制度、明治維新の廃仏毀釈や仏教のハシゴ外し(妻帯とか肉食とか勝手にシンドバット←古い)、あるいは明治憲法における神道=無宗教の策定(コワッシーの辣腕発揮w)と教育勅語、大本など新宗教の弾圧etc...といったシステム面や組織論について驚くほど言及がなく、多神教的世界観が~とかシンクレティズムが~とかそんな精神面ばっかりなのに驚かされる(だから、俺は「単に自分の来歴が知りたい=ライナスの毛布が欲しいだけで、ちゃんとかつての社会を知りたいとは思ってないんじゃないの?」と疑っているのだが)。

 

え?だって政府の取り決めって内面に関係なくねーって??だったら、例えば江戸時代の切支丹禁制の影響をどう考えるかって話で、明治時代で布教と信仰が容認された後でも(特に農村では)邪宗という観念が消えずに、京都の同志社が設立される時は京都にキリスト教の学校を作るとは何事か!と強い反発が起こったりしていたのである。なーんて話も、「日本人は多神教だから一神教は合わなかったんだ」で片づける始末。じゃあ戦国時代の急速なイエズス会の勢力拡大や、島原の乱はどう説明すんのかって話だし(一応付言しておくが、典礼問題のようにイエズス会が現地の慣習を考慮し柔軟に対応してもいた件、あるいは日本人を改宗させる方法として戦略的にトップダウン方式[君主→家臣]を採っていた件などは無論考慮すべきである。つまり、急速な教勢の広がりは、16世紀において日本人が一神教的発想にパラダイムシフトしたとは必ずしも意味しない、て話)。ザルとはまさにこういう思い付きを言うんですなー。

 

というわけで、日本に本当に興味があるのであれば、明治政府の宗教政策、なかでも廃仏毀釈とその影響は避けて通れないはずだ(なぜって、しばしば日本の特徴と言われる神仏習合への挑戦なのだから。ちなみに、神道に関しても、かなーり多くの宮中祭祀がこの時に新しく作られている。まあ「創られた伝統」というホブズホウム先生の言葉通りなわけだが、それを無視して連綿と同じことが昔から続いてるみたいな認識は、単なる幻想を通り越して、ちょっとナイーブすぎてあきれてしまうわな)。

 

・・・というわけで、本当は別の記事を書くつもりだったが、会議の連続で時間が取れず、似たような話題を掲載することにした次第。じゃあ明日も早いんでお休みとっつぁん・・・


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