覚書の必要性について . . . 本文を読む
第二段。書籍に関するメモ書きが姿を消し、全て覚書で構成されている。
「平凡で価値が無い」何を当たり前のこと言ってんのか。個人などいなくても世界は回る。あるのは生きたいという願望だけだ。そうであるに違いない、は往々にして「そうである」と同じものとして扱われてしまう、三国志を避けてきた訳…勧善懲悪、いきなり正史へ、狂人かどうかを決めるのは自らについて説明できるかどうか(ヴェロニカは死ぬことにした
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モン・スールは家族、恋愛、少女の成長など様々な話題を扱った作品であるが、それに関連して気になったのが父親の扱いである。作中において、父親には全く救いが提示されていない。これが計算づくなのか偶然なのか判断しがたいが、非常に興味深い特徴であるように思う。
父親は悪意をもって失踪したのではなく、リストラによって自分の価値が無くなったことに恐れおののき、息子(池内)と娘(美波)の前から姿を消したのであ . . . 本文を読む
知識が足し算であるとすれば、法則はかけ算である。
例えば法則は、足しただけでは二桁にも満たない個々の事実を容易に四桁、五桁、場合によってはあらゆるものに共通する性質にまで昇華するのである。
しかし、もしその法則が誤っていれば、蓄積した事実の価値がマイナスの符号によって反転するだけでなく、その被害は元の事実の数十倍、数百倍…と止まることを知らずに拡大してしまう。
法則とは、まことに便利で . . . 本文を読む
繰り返し述べてきた「情念」という視点によると、例えば「はじめの一歩」への思い入れなども容易に理解できる(千堂vs一歩や間柴vs木村を始めとして、いかに多くの人々の「情念」によってこの作品が成り立っていることか!)。
ただし前にも述べたとおり、生々しい感情をただ吐き出させるのは下の下である。(ほとんどの場合)それは演出ではなく、単なる感情の垂れ流しに他ならないからだ。そんなものならないほうがマシ . . . 本文を読む
私が狂気を求めたのは、「普通」、すなわち虚ろな社会的規範に支配された意識への懐疑や侮蔑という理由があったからだと前に述べた(世界への敵意:病的な完璧主義と滅びの希求。それが後に無関心と「嘲笑主義」へ繋がった。なお、今日では前提を失った言葉は「規律」であるという考えに繋がっている)。確かにそれは事実の一面、あるいは表層を説明してはいるのだが、その原因、深奥にまでは達していないのではないか、と強く思っ . . . 本文を読む
最近仕事しかしてない気がする。もしこれが前の職場だったら、早くも年度の始めで嫌気がさしていただろう。
だけど今の職場では、仕事が楽しいと感じている。多分これは、今の職場が水にあっていて、さらに「~をやれば…になる」という先の流れが見えるようになってきたからだと思う。
最近では、自分から色々な仕事を要求したりするし、今の仕事をもっと追求したいと思ってもいる。突然の異動だったが、その結果は大き . . . 本文を読む