12月9日(日)
今日は「セーリング納め」。
幸いな事に天気は上々風も強からず弱からず絶好のセーリング日和。
艇長さんも歳をとったがクルー達も歳をとり無理が利かなくなった。
寒くなったので風邪でも引かぬうちに
12月はこれぐらいで終りにしようという事。
実際は冬になると安定した力強い風が吹くので
寒ささえ我慢すれば豪快な快適なセーリングが出来るのだが
我々は歳をとりすぎた。
ヨットハーバーの出会いがしら超大型LPGタンカーに遭遇。
吃驚。
3艘のタッグボートが見えるが実際は5艘のタッグボートに曳かれ
根岸のガスパッチョ東京ガスの埠頭に着岸しようとしている。
我がセントメイ号は思ったよりタンカーに接近していたので
下から見上げると物凄い迫力。
船の大きい事に改めて仰天。

ミスターマスダは防寒対策バッチリで
その上にライフジャケットを着込み殆ど達磨さん状態。

金沢八景沖では大学のヨット部の小型艇が冬季練習中。
水はかぶり放題だしあれは寒い。
なかにはチン(横転)している艇も見られた。
この季節に海に投げ出され冷たいだろうに お気の毒。

途中我が「横浜市民ヨットハーバー」所属の僚船とすれ違い写真をパチリ。
ヨットに乗っていても中々自分達の船の写真は撮れないものだ。
写真を引き伸ばしてあげたら喜ばれるだろう。

午後2時寒くならないうちに引き上げる事になった。
ワインも飲み干したし満足そうに帰途につくクルーの面々。

ハーバー帰投後 艇の清掃・洗浄を行いセーリング納めは無事終了。
安全第一でセーリングを楽しんできたが今年も大過なく過ごせて感謝・感謝。
年末に艇にしめ飾りを飾りに来れば来年の航海安全も約束されるだろう。
今日は「セーリング納め」。
幸いな事に天気は上々風も強からず弱からず絶好のセーリング日和。
艇長さんも歳をとったがクルー達も歳をとり無理が利かなくなった。
寒くなったので風邪でも引かぬうちに
12月はこれぐらいで終りにしようという事。
実際は冬になると安定した力強い風が吹くので
寒ささえ我慢すれば豪快な快適なセーリングが出来るのだが
我々は歳をとりすぎた。
ヨットハーバーの出会いがしら超大型LPGタンカーに遭遇。
吃驚。
3艘のタッグボートが見えるが実際は5艘のタッグボートに曳かれ
根岸のガスパッチョ東京ガスの埠頭に着岸しようとしている。
我がセントメイ号は思ったよりタンカーに接近していたので
下から見上げると物凄い迫力。
船の大きい事に改めて仰天。

ミスターマスダは防寒対策バッチリで
その上にライフジャケットを着込み殆ど達磨さん状態。

金沢八景沖では大学のヨット部の小型艇が冬季練習中。
水はかぶり放題だしあれは寒い。
なかにはチン(横転)している艇も見られた。
この季節に海に投げ出され冷たいだろうに お気の毒。

途中我が「横浜市民ヨットハーバー」所属の僚船とすれ違い写真をパチリ。
ヨットに乗っていても中々自分達の船の写真は撮れないものだ。
写真を引き伸ばしてあげたら喜ばれるだろう。

午後2時寒くならないうちに引き上げる事になった。
ワインも飲み干したし満足そうに帰途につくクルーの面々。

ハーバー帰投後 艇の清掃・洗浄を行いセーリング納めは無事終了。
安全第一でセーリングを楽しんできたが今年も大過なく過ごせて感謝・感謝。
年末に艇にしめ飾りを飾りに来れば来年の航海安全も約束されるだろう。
(10月25日 続く)
ここはカルタゴ、今は高級住宅地になっているが
所謂[古戦場]なのだろう。
文明の興亡を肌で感じられる。
ローマに攻め落とされローマ人が侵入して来た時の遺跡が、そこかしこにある。

海の眺望が見事、攻めて来るローマ軍をここでハンニバルが迎え討ったのか。
ローマに一番恐れられた男ハンニバル。
カルタゴ帝国内部のの枢機卿達の日和見・裏切りがなければ
ハンニバルがローマ史を書き換えたかも知れない。

観光バスは港に帰ってくる。
丁度日没だ。
芸術写真をひとつ。

夕食は再び「クラブ・コンコルディア」前回行って気に入っている。
ツアコンのSさんよりアペタイザーに寿司の差し入れあり。
この船には日本食レストランはないがシェフが見よう見まねで作ってくれた。
「本わさび」を使っているし教えられたレシピを完全に守っているのだろう。
結構美味しいと思った。
言葉の賛辞も必要だが何事もチップ・チップ、チップをはずみました。
結構いけました。
船は既に岸壁を離れマルタ島に向け出航。

ロビーに出た。乗客はイタリア人、ドイツ人、フランス人(アフリカ系も結構大勢)
「ボナセーラ」
「グーテンターク」
「ボンソアール」
「アシタマニアーナ」
色々な言葉が飛びかっている。
今回のクルーズではアメリカ人はマイノリティ。
10月25日はこれで終わり。
ここはカルタゴ、今は高級住宅地になっているが
所謂[古戦場]なのだろう。
文明の興亡を肌で感じられる。
ローマに攻め落とされローマ人が侵入して来た時の遺跡が、そこかしこにある。

海の眺望が見事、攻めて来るローマ軍をここでハンニバルが迎え討ったのか。
ローマに一番恐れられた男ハンニバル。
カルタゴ帝国内部のの枢機卿達の日和見・裏切りがなければ
ハンニバルがローマ史を書き換えたかも知れない。

観光バスは港に帰ってくる。
丁度日没だ。
芸術写真をひとつ。

夕食は再び「クラブ・コンコルディア」前回行って気に入っている。
ツアコンのSさんよりアペタイザーに寿司の差し入れあり。
この船には日本食レストランはないがシェフが見よう見まねで作ってくれた。
「本わさび」を使っているし教えられたレシピを完全に守っているのだろう。
結構美味しいと思った。
言葉の賛辞も必要だが何事もチップ・チップ、チップをはずみました。

船は既に岸壁を離れマルタ島に向け出航。

ロビーに出た。乗客はイタリア人、ドイツ人、フランス人(アフリカ系も結構大勢)
「ボナセーラ」
「グーテンターク」
「ボンソアール」
「アシタマニアーナ」
色々な言葉が飛びかっている。
今回のクルーズではアメリカ人はマイノリティ。
10月25日はこれで終わり。
(10月25日 続き)
港の反対側にあるのがカルタゴの街だ。
今は高級住宅地となっている。
カルタゴの落日とか泰西名画で想像していたカルタゴとはだいぶ違う。
この土地独特の白い石の建物に青色のペンキ塗りの
ドアー・窓枠が印象的で記憶に残る。
チェニス港の倉庫のドアーは大変カラフルだったがここは青一色。
この村の特徴との事。
前にも書いたが「青色は虫除け」の効果があるそうだ。
クレオパトラの青いアイシャドーも虫除けだったとはミセス・マスダの学説。

村の中央には大賑わいの喫茶店がある。
水タバコも呑ませてくれる。
正面の階段の上である。

この喫茶店を描いた絵皿を記念にゲット。

この街のスークでは遊牧民ベルベル人の壷を購入。
粗い土を低温で焼いた素朴な壷である。
ベルベル人は遊牧民だそうだ。
本物のベルベル人の壷は海外に持ち出し禁止。
ミスターマスダの買った壷はレプリカ。

オーダーメイドの香水を作って売っているシークがある。
買う気はないが女性軍が大挙冷やかしで御店を占拠。

またチュニジアのおやつの揚げパン「バンベローニ」を
名物だと進められ試食、
美味。名物に旨いものあり。
港の反対側にあるのがカルタゴの街だ。
今は高級住宅地となっている。
カルタゴの落日とか泰西名画で想像していたカルタゴとはだいぶ違う。
この土地独特の白い石の建物に青色のペンキ塗りの
ドアー・窓枠が印象的で記憶に残る。
チェニス港の倉庫のドアーは大変カラフルだったがここは青一色。
この村の特徴との事。
前にも書いたが「青色は虫除け」の効果があるそうだ。
クレオパトラの青いアイシャドーも虫除けだったとはミセス・マスダの学説。

村の中央には大賑わいの喫茶店がある。
水タバコも呑ませてくれる。
正面の階段の上である。

この喫茶店を描いた絵皿を記念にゲット。

この街のスークでは遊牧民ベルベル人の壷を購入。
粗い土を低温で焼いた素朴な壷である。
ベルベル人は遊牧民だそうだ。
本物のベルベル人の壷は海外に持ち出し禁止。
ミスターマスダの買った壷はレプリカ。

オーダーメイドの香水を作って売っているシークがある。
買う気はないが女性軍が大挙冷やかしで御店を占拠。

またチュニジアのおやつの揚げパン「バンベローニ」を
名物だと進められ試食、
美味。名物に旨いものあり。
(10月25日 続き)
今向かっている首都チュニスに100万人。
バスを官庁街で降り観光が始まる。

官庁街を「カスバ」と言うらしい。
地の果てアルジェリアの「カスバの女」は有名だが
カスバ(官公庁)にある歓楽街の女と言う意味なのか?
官公庁街を抜けると旧市街スーク。


シークのひと隅にはひなが一日「水タバコ」を吸っている人達がいる。
水を通してタバコの煙を吸うのでニコチンが少なくなるのだろう。
健康的なタバコなのだろうか。
今回の旅行中に一度試しに吸ってみたい気もする。

このシークは、まるで映画[知りすぎた男]の舞台のようだ。
ジェームス・スチュアートとドリス・ディーの気分で
雑踏のスーク市場で陶器の皿の価格交渉をする。
突き当たりの凱旋門の向こうは新市街地
フランス時代の建物が残っており当時の隆盛が偲ばれる。

今向かっている首都チュニスに100万人。
バスを官庁街で降り観光が始まる。

官庁街を「カスバ」と言うらしい。
地の果てアルジェリアの「カスバの女」は有名だが
カスバ(官公庁)にある歓楽街の女と言う意味なのか?
官公庁街を抜けると旧市街スーク。


シークのひと隅にはひなが一日「水タバコ」を吸っている人達がいる。
水を通してタバコの煙を吸うのでニコチンが少なくなるのだろう。
健康的なタバコなのだろうか。
今回の旅行中に一度試しに吸ってみたい気もする。

このシークは、まるで映画[知りすぎた男]の舞台のようだ。
ジェームス・スチュアートとドリス・ディーの気分で
雑踏のスーク市場で陶器の皿の価格交渉をする。
突き当たりの凱旋門の向こうは新市街地
フランス時代の建物が残っており当時の隆盛が偲ばれる。

(10月25日 続き)
我々の船「コスタ・コンコルディア号」を運行しているコスタ社は
地中海を中心に大型豪華客船12隻で観光クルーズを行っている。
勿論コスタ社の観光船が着く港々にはコスタ社の
観光バスが大挙待ち受けている。
船のスケジュールに合わせての観光なので
他の会社の観光バスは利用しにくい。
殆どモノポリー、料金も割高だがノー・チョイス。
今日もコスタ社のその観光バスチェニス・カルタゴの観光へ。

埠頭の倉庫の扉がカラフルなのが印象的。
青い色は虫除けだそうだ。
地元の民族音楽を二人の楽師が奏で侘しく我々を歓迎してくれる。

観光ガイドはチュニジア人。まずまずの日本語。
チュニジアの人口は1000万人 産業の第一は農業 オリーブ、穀物特に麦。
続いて鉱業、石油。
バスは港の一部となっている運河沿いに上ってゆく。

建設中の橋、大成建設が建設している日本・チュニジア友好の橋だそうだ。
スエズでも両国友好の橋だと言って「ナセル大橋」が有ったけ!
この間 日本のTV「ウルルン」と言う番組で、ここに働く
日本人技術者の御苦労話を放映していた。
エピソードとして日本から行ったレポーターが苦心して「回転すし」を
日本人技術者達に食べさせる番組。
食材調達の苦心、回転ずしの装置の組み立て
全ての準備は日本人技術者達には内緒で
突然のサプライズを与えるという趣向。
結構感動的なシーンだった。
そのことを現地の人にお話すると、その番組はこちらでも放映され大変有名。
あれはヤラセでも有名と一言、素直じゃーないね。

街には大統領の肖像画が目立つ。
2009年に大統領選挙がある為らしい。

我々の船「コスタ・コンコルディア号」を運行しているコスタ社は
地中海を中心に大型豪華客船12隻で観光クルーズを行っている。
勿論コスタ社の観光船が着く港々にはコスタ社の
観光バスが大挙待ち受けている。
船のスケジュールに合わせての観光なので
他の会社の観光バスは利用しにくい。
殆どモノポリー、料金も割高だがノー・チョイス。
今日もコスタ社のその観光バスチェニス・カルタゴの観光へ。

埠頭の倉庫の扉がカラフルなのが印象的。
青い色は虫除けだそうだ。
地元の民族音楽を二人の楽師が奏で侘しく我々を歓迎してくれる。

観光ガイドはチュニジア人。まずまずの日本語。
チュニジアの人口は1000万人 産業の第一は農業 オリーブ、穀物特に麦。
続いて鉱業、石油。
バスは港の一部となっている運河沿いに上ってゆく。

建設中の橋、大成建設が建設している日本・チュニジア友好の橋だそうだ。
スエズでも両国友好の橋だと言って「ナセル大橋」が有ったけ!
この間 日本のTV「ウルルン」と言う番組で、ここに働く
日本人技術者の御苦労話を放映していた。
エピソードとして日本から行ったレポーターが苦心して「回転すし」を
日本人技術者達に食べさせる番組。
食材調達の苦心、回転ずしの装置の組み立て
全ての準備は日本人技術者達には内緒で
突然のサプライズを与えるという趣向。
結構感動的なシーンだった。
そのことを現地の人にお話すると、その番組はこちらでも放映され大変有名。
あれはヤラセでも有名と一言、素直じゃーないね。

街には大統領の肖像画が目立つ。
2009年に大統領選挙がある為らしい。

10月25日(木)
午前中は船内で休息。
チュニジア・チュニス港入港は午後1時。
チュニジアは日本の本州の3/4、
シシリー島に近いアフリカ。
ハンニバルのカルタゴ帝国として泰西名画に
よく描かれているので興味があった。
アフリカ大陸チュニス港に近がずいてきた。
海岸線に白い家々が見える。
海が濁っている。汚染がひどい感じだ。鴎がいっぱい、
長閑にちっぽけな漁船が三艘ほど漁をしている。
地中海でもヨーロッパ側とアフリカ側では
海洋汚染に関して熱心度が少し違うのかも知れない。

漁港と隣接しているがヨットは1隻も見られない。

今クルーズで一番質素なオーシャンターミナルだ。
矢張り此処はアフリカ側か。
着岸してターミナルを見渡せば通関待ちの夥しい数の車、それも殆どが中古車。

我々の船の着く岸壁には大きな倉庫がある。
ドアーがカラフルに塗られている。
青い色は虫除けの色でチェニジアの蝿は青色が嫌いらしい。
その倉庫の裏手に今日我々の乗る観光バスが横付けされている。
それも半端な数ではない。
40台はあるだろうか?

下船すると此処は沙漠の国でもある。
早速駱駝と記念撮影。

午前中は船内で休息。
チュニジア・チュニス港入港は午後1時。
チュニジアは日本の本州の3/4、
シシリー島に近いアフリカ。
ハンニバルのカルタゴ帝国として泰西名画に
よく描かれているので興味があった。
アフリカ大陸チュニス港に近がずいてきた。
海岸線に白い家々が見える。
海が濁っている。汚染がひどい感じだ。鴎がいっぱい、
長閑にちっぽけな漁船が三艘ほど漁をしている。
地中海でもヨーロッパ側とアフリカ側では
海洋汚染に関して熱心度が少し違うのかも知れない。

漁港と隣接しているがヨットは1隻も見られない。

今クルーズで一番質素なオーシャンターミナルだ。
矢張り此処はアフリカ側か。
着岸してターミナルを見渡せば通関待ちの夥しい数の車、それも殆どが中古車。

我々の船の着く岸壁には大きな倉庫がある。
ドアーがカラフルに塗られている。
青い色は虫除けの色でチェニジアの蝿は青色が嫌いらしい。
その倉庫の裏手に今日我々の乗る観光バスが横付けされている。
それも半端な数ではない。
40台はあるだろうか?

下船すると此処は沙漠の国でもある。
早速駱駝と記念撮影。

12月3日(月)
久し振りにFY御夫妻とランチ。
御互いに旅行に出ていたりミスターマスダは入院したり
FY夫人は腰痛だったりでスケジュールが合わず久し振りの再会。
ランチの場所は白金の八芳園。
結婚式場だがウイークデーは閑散としている。
「はとバス」のコースに組入れられているらしく
八芳園の「食事とお庭の散策」のあと
白洲次郎、白洲正子夫妻が移り住んだ
農家「武相荘」の見学に行くらしい。
若いカップルが係りと結婚式・披露宴の打ち合わせを
しているのが散見される。
小雨が降っており落ち着いた雰囲気が良い。
ランチは庭の眺めの良い日本料理店。
ランチにしては結構なお値段だ。
和風仕立てのフォアグラのソテーが中々良い。
食事のあとのお庭の散策は大変気持ちの良いひと時であった。
殆ど雨は止んでいるが空はどんより。
それでも錦秋を絵に描いたような艶やかさ。
お日様が出ていたら物凄いだろう。
とても都心の真ん中にあるお庭とは思えない。
添付写真は充分その美しさを伝えていないがご想像頂きたい。
8人の庭師が常時手入れをしているそうで「素晴らしい庭」だ。
弊ブログご愛読者にも是非一度お訪ねになることをお勧めする。





久し振りにFY御夫妻とランチ。
御互いに旅行に出ていたりミスターマスダは入院したり
FY夫人は腰痛だったりでスケジュールが合わず久し振りの再会。
ランチの場所は白金の八芳園。
結婚式場だがウイークデーは閑散としている。
「はとバス」のコースに組入れられているらしく
八芳園の「食事とお庭の散策」のあと
白洲次郎、白洲正子夫妻が移り住んだ
農家「武相荘」の見学に行くらしい。
若いカップルが係りと結婚式・披露宴の打ち合わせを
しているのが散見される。
小雨が降っており落ち着いた雰囲気が良い。
ランチは庭の眺めの良い日本料理店。
ランチにしては結構なお値段だ。
和風仕立てのフォアグラのソテーが中々良い。
食事のあとのお庭の散策は大変気持ちの良いひと時であった。
殆ど雨は止んでいるが空はどんより。
それでも錦秋を絵に描いたような艶やかさ。
お日様が出ていたら物凄いだろう。
とても都心の真ん中にあるお庭とは思えない。
添付写真は充分その美しさを伝えていないがご想像頂きたい。
8人の庭師が常時手入れをしているそうで「素晴らしい庭」だ。
弊ブログご愛読者にも是非一度お訪ねになることをお勧めする。





(10月24日 続く)
ショパンとジョルジュ・サンドの愛の巣「バルデモッサ」観光を終え帰船後
間もなく午後1時 船はチェニジアのチェニス港に向け出港。
チェニジアはカルタゴ 今回の旅で多いに期待している寄港地だ。
今回の旅では観光と言うだけでなく文明の興亡の跡を訪ね歴史や宗教、
人間や地球の将来も考えされている。
波静かな地中海 漸くゆっくりした船上生活が楽しめる。
サロンで「ひねもすのたりのたりかな」と海を眺めて過ごす。

昼酒が利いたかキャビンに帰ってお昼寝。
今夜はフォーマル・デー、船長の歓迎レセプション、
会場入り口で船長さんと握手。

続いて1800席の劇場で歓迎式。
現在の乗客数は凡そ3500名 なので二度に分けて歓迎式を行う。
船も大きいが歓迎式もジャンボーだ。

シャンペンの様なものが振舞われる。
船長さんはイタリア語をはじめ、ドイツ語、スペイン語、フランス語、英語と
乗客数の順に5ヶ国語でスピーチ。
続いて事務長ほか幹部の紹介。
続いてミラノ、ローマ・レストランに分かれてフォーマルディナー。
船長さん以下幹部がテーブルに挨拶に来る。
船長さん達は歓迎式に2回出席 ミラノ、ローマ・レストランに夫々2回づつ
計6ヶ所廻らねばならずお忙しい事だろう。
一方、乗客はお酒も入りリラックス、皆さんお洒落を楽しんでいる。
カジノも盛況だがあまり稼いでいる人は居ない様だ。

船内の画廊も今晩はオークションをやっている。
画廊には中々良い油彩画もある。
今日訊ねたポルトフィーノの風景画もオークションに出品されている。
幾らぐらいの値が付くのだろう。

夜中にベランダに出たら大きなお月様が出ていた。
ショパンとジョルジュ・サンドの愛の巣「バルデモッサ」観光を終え帰船後
間もなく午後1時 船はチェニジアのチェニス港に向け出港。
チェニジアはカルタゴ 今回の旅で多いに期待している寄港地だ。
今回の旅では観光と言うだけでなく文明の興亡の跡を訪ね歴史や宗教、
人間や地球の将来も考えされている。
波静かな地中海 漸くゆっくりした船上生活が楽しめる。
サロンで「ひねもすのたりのたりかな」と海を眺めて過ごす。

昼酒が利いたかキャビンに帰ってお昼寝。
今夜はフォーマル・デー、船長の歓迎レセプション、
会場入り口で船長さんと握手。

続いて1800席の劇場で歓迎式。
現在の乗客数は凡そ3500名 なので二度に分けて歓迎式を行う。
船も大きいが歓迎式もジャンボーだ。

シャンペンの様なものが振舞われる。
船長さんはイタリア語をはじめ、ドイツ語、スペイン語、フランス語、英語と
乗客数の順に5ヶ国語でスピーチ。
続いて事務長ほか幹部の紹介。
続いてミラノ、ローマ・レストランに分かれてフォーマルディナー。
船長さん以下幹部がテーブルに挨拶に来る。
船長さん達は歓迎式に2回出席 ミラノ、ローマ・レストランに夫々2回づつ
計6ヶ所廻らねばならずお忙しい事だろう。
一方、乗客はお酒も入りリラックス、皆さんお洒落を楽しんでいる。
カジノも盛況だがあまり稼いでいる人は居ない様だ。

船内の画廊も今晩はオークションをやっている。
画廊には中々良い油彩画もある。
今日訊ねたポルトフィーノの風景画もオークションに出品されている。
幾らぐらいの値が付くのだろう。

夜中にベランダに出たら大きなお月様が出ていた。
(10月24日 続き)
マジョルカ島はあまり雨の降る土地ではないらしいが
幸いな事に今日は雨が降っている。
マジョルカ島にショパン滞在中の其の時も雨が降り止まず、
毎日雨の音を聞いており、それに楽想を得て
「雨だれ」を作曲したと云われている。
観光客へのサーヴィスの為か
修道院跡の博物館講堂でピアノのミニコンサート。
本日は外は雨、中々良い雰囲気だ。

専属のピアニストがピアノ演奏をしてくれる。
勿論ショパンの曲ばかりだ。
先ず「雨だれ」そして「ノクターン」興が乗って来て「スケルツオ」
憩いのひと時であった。
ショパンとジョルジュ・サンズが住んでいた修道院跡内部の部屋も
今は博物館の一部となっておりショパンの遺品などを展示している。


持ってきた愛用のピアノは輸入関税が高いので港の保税倉庫に止め置き
地元のパトロンのピアノを使わせてもらっていた。
ショパン達がマジョルカ島から帰国する際、港の倉庫に止め置きされていた
そのピアノを売って旅費にしたため
ショパン愛用のピアノがマジョルカ島に今も残っている訳だ。
ピアノの後ろの旗はポーランド?の旗。
当時有名なプレイエル社製のピアノで高価なものではあった。
ショパンもジョルジュ・サンドも貧乏だったらしい。

ショパンのデスマスクと石膏の手や初版の楽譜が陳列されている。

ショパン直筆の楽譜も並べられていたが、
楽譜が傷むといけないのでこれは撮影禁止。
マジョルカ島はあまり雨の降る土地ではないらしいが
幸いな事に今日は雨が降っている。
マジョルカ島にショパン滞在中の其の時も雨が降り止まず、
毎日雨の音を聞いており、それに楽想を得て
「雨だれ」を作曲したと云われている。
観光客へのサーヴィスの為か
修道院跡の博物館講堂でピアノのミニコンサート。
本日は外は雨、中々良い雰囲気だ。

専属のピアニストがピアノ演奏をしてくれる。
勿論ショパンの曲ばかりだ。
先ず「雨だれ」そして「ノクターン」興が乗って来て「スケルツオ」
憩いのひと時であった。
ショパンとジョルジュ・サンズが住んでいた修道院跡内部の部屋も
今は博物館の一部となっておりショパンの遺品などを展示している。


持ってきた愛用のピアノは輸入関税が高いので港の保税倉庫に止め置き
地元のパトロンのピアノを使わせてもらっていた。
ショパン達がマジョルカ島から帰国する際、港の倉庫に止め置きされていた
そのピアノを売って旅費にしたため
ショパン愛用のピアノがマジョルカ島に今も残っている訳だ。
ピアノの後ろの旗はポーランド?の旗。
当時有名なプレイエル社製のピアノで高価なものではあった。
ショパンもジョルジュ・サンドも貧乏だったらしい。

ショパンのデスマスクと石膏の手や初版の楽譜が陳列されている。

ショパン直筆の楽譜も並べられていたが、
楽譜が傷むといけないのでこれは撮影禁止。