わが道草山に4・5本の竹を採りに行く。
いつのまにか道の真ん中に4本の若竹の邪魔がはいる。
そしていつのまにか、ササユリが咲き出していた。
秋になると雑草に埋もれてしまい、ササユリの所在もわからなくなる。
それに栽培がチョー難しいとくる。
いかにも日本的な気難しいたたずまいである。
陽あたりが悪いせいか、「ノアザミ」がやっと咲き出す。
同じ時期に咲く「キツネアザミ」は、アザミでないのにアザミみたいということでキツネに化かされたという謂れがある。
国道では今が盛んである「ウツギ」が咲き出した。
小さな昆虫が飛び交う。
全般的に、春は黄色、晩春以降は白い花が目立ってくる。
なかでも、「ユキノシタ」の群落が石垣沿いを埋め尽くす。
このユキノシタをじっくり見つめると、なかなかユニークな花であるのがわかる。
身近にあると、その独自性や美しさが当り前になってしまう。
それは、「平和」ということ、「生きている」ということ、「自然」があるということ、「虫」が飛び交うという当り前に鈍感になってしまうのと似ている。
「ほんとうのこと」がいつのまにか「ほんとうでなくなる」ことに気がつかない人間の愚かさを自省したいものだ。
いつのまにか道の真ん中に4本の若竹の邪魔がはいる。
そしていつのまにか、ササユリが咲き出していた。
秋になると雑草に埋もれてしまい、ササユリの所在もわからなくなる。
それに栽培がチョー難しいとくる。
いかにも日本的な気難しいたたずまいである。
陽あたりが悪いせいか、「ノアザミ」がやっと咲き出す。
同じ時期に咲く「キツネアザミ」は、アザミでないのにアザミみたいということでキツネに化かされたという謂れがある。
国道では今が盛んである「ウツギ」が咲き出した。
小さな昆虫が飛び交う。
全般的に、春は黄色、晩春以降は白い花が目立ってくる。
なかでも、「ユキノシタ」の群落が石垣沿いを埋め尽くす。
このユキノシタをじっくり見つめると、なかなかユニークな花であるのがわかる。
身近にあると、その独自性や美しさが当り前になってしまう。
それは、「平和」ということ、「生きている」ということ、「自然」があるということ、「虫」が飛び交うという当り前に鈍感になってしまうのと似ている。
「ほんとうのこと」がいつのまにか「ほんとうでなくなる」ことに気がつかない人間の愚かさを自省したいものだ。