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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

天竜「百古里(スガリ)」集落の文化力 3

2015-03-30 21:06:29 | アート・文化
 百古里めぐりシリーズ3回目。
 感動がいまだ止まらない。
 人里離れた山間に大正12年創建の西洋風蔵があった。
 建物全体の画像は操作ミスで消去してしまったが、そのデザインが往時を偲ぶ。
 家紋と西洋意匠とのコラボがそこにある。

                       
 まるで大正ロマンの銀行がそこにあるようなたたずまいだ。
 「酒屋」という屋号で呼ばれていたように、酒の販売で財をなすくらい林業労働者が多かったに違いない。
 古民家がフツーの時代に西洋建築を導入する心意気が反映されている。

         
 その近くに、不耕起栽培で古代米を作っている池谷夫妻の田んぼを訪れる。
 田んぼには水が張ってあり、土中の虫を寄せ付けない無農薬栽培を貫いている。

 立派な陶器窯も自宅横にあり、さらには、ピザ釜も作動中だった。
 そこでスイートな焼き芋を入手する。
 環境と共生する生き方を実践している姿が夫妻の動きから放射する。

                        
      
 そしてまた、かねがね注目していた陶芸家の鈴木青宵(セイショウ)さんの工房に行く。
 青宵とは「臨済録」に出ている、幾重の難関を越えると一点の雲もない青空に達するという悟りの境地の様をいう。

 そういう精神世界を持った作品の完成度の高さは言うまでもない。
 派手なデザインはないが、室町時代に起源を持つ遠州の「志戸呂焼」を受け継いでいる。

                  
 釉薬は地元の山で採取された鉄分を含む赤石を使用している。
 廃止された茶工場の工房は、青宵さんのスピリッツが縦横にみなぎっているのがわかる。
 歩いて15分ほどの小さな山間の集落は、自然と人間とのほどよい桃源郷を形成している。

 経済成長だけにしのぎを削る政策は、国破れ山河破れる結果を地方にもたらしている。
 そんななかのアンチテーゼのヒントがこの「百古里」集落にある気がしてならない。 
コメント
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