山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

桜と山と川とともに報恩碑

2016-03-04 21:03:11 | 歴史・文化財
浜松市春野町のにぎわいは王子製紙が気田(ケタ)地区に近代製紙工場を開いたことから始まる。
 そこに至るには、江戸後期に名主の和田正光や酒井十右衛門ら農民の尽力が大きい。
 原野を開墾したり、水を引いて新田開発をしたりして気田地区の基盤を形成してきた。

                            
 その場末にある桜を追っているうちに小高い「井堰山」(田持山)があり、「報恩之碑」があることを偶然知る。
 まだ新しい平成15年建立の碑だ。
 かつての地元リーダーは、財産や命をかけて地域の発展にかけていたのがわかる。
 そこには現在の政治家に欠落している魂の中心軸がある。

                            
 この小さな山の隣には、豊かな水量が流れ鮎が生息する「気田川」がある。
 この山の木を伐り出して水門を作り、水田が形成されていった。
 それを踏まえてか、山の中腹に「水天宮」が祀られていた。

        
                    
 人影は全くないが桜は早春を早くも独占している。
 麓の河津桜はすでに散り始めている。
 春一番最初に咲くというわが家の「彼岸桜」はまだ固い蕾のままだ。

 ウグイスの声はなんとか聞こえるが、まだ元気がない。
 張りと艶のある声はまもなくだと待っているんだけど。
                       
 
 
 
コメント
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