元教師で「賢治の学校」を創立した鳥山敏子の対談集2冊を読む。
『豊かな社会の透明な家族』(法蔵館、1998.6 )の相手は、『覚醒のネットワーク』でオイラにも大きな影響を与えた社会学者上田紀行。
『創られながら創ること』(太郎次郎社、1993.7 )の相手は、現代社会を切り取る気鋭の社会学者・本名見田宗介として以前から注目していた真木悠介。

2冊とも1990年代に発行されたものだが、そこで提起された家族・子ども・教育がかかえている問題は、今日ではむしろ深刻になってさえある。
つまり、問題はまたまた先送りされ、景気・経済先行に誘導されてしまっている。

こうしたうわべの豊かさに埋没してしまった私たちは、どうすればよいのか。
自分のいのちは人や生き物とともにあり、自分の中の中心軸を形成していくことが肝要だという。
つまり、生きるとは自分の基軸を探索する過程でもあり、そのことで人とつながる過程でもあるということに違いない。

そういえば二十数年前、駅のベンチに座る鳥山さんを目撃したことがある。
その横顔は、修行僧の面持ちだったことを思い出した。
今にしてみればきっとそれは、学校教育のかたたくなシステムと孤独な戦いをしていたころだったようだ。

自分にとっての中心軸とは何か、それをどのように実行しているのか、の提起が迫る。
鳥山敏子のようにはなれないが、逃げることを肯定しながらもわずかな前進をもよしとすること、それを止めないことを貫きたいと思う。
『豊かな社会の透明な家族』(法蔵館、1998.6 )の相手は、『覚醒のネットワーク』でオイラにも大きな影響を与えた社会学者上田紀行。
『創られながら創ること』(太郎次郎社、1993.7 )の相手は、現代社会を切り取る気鋭の社会学者・本名見田宗介として以前から注目していた真木悠介。

2冊とも1990年代に発行されたものだが、そこで提起された家族・子ども・教育がかかえている問題は、今日ではむしろ深刻になってさえある。
つまり、問題はまたまた先送りされ、景気・経済先行に誘導されてしまっている。

こうしたうわべの豊かさに埋没してしまった私たちは、どうすればよいのか。
自分のいのちは人や生き物とともにあり、自分の中の中心軸を形成していくことが肝要だという。
つまり、生きるとは自分の基軸を探索する過程でもあり、そのことで人とつながる過程でもあるということに違いない。

そういえば二十数年前、駅のベンチに座る鳥山さんを目撃したことがある。
その横顔は、修行僧の面持ちだったことを思い出した。
今にしてみればきっとそれは、学校教育のかたたくなシステムと孤独な戦いをしていたころだったようだ。

自分にとっての中心軸とは何か、それをどのように実行しているのか、の提起が迫る。
鳥山敏子のようにはなれないが、逃げることを肯定しながらもわずかな前進をもよしとすること、それを止めないことを貫きたいと思う。