山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

賊軍も官軍も同じ穴のムジナ ?

2020-12-02 18:56:35 | 読書

 ダビンチさんから提示された課題図書、半藤一利・保阪正康『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社、2015.8.)を読む。明治以降から昭和までの歴史を「官軍と賊軍との暗闘」という視点で見ると、もう一つの歴史が見えてくるというわけだ。なるほど面白かった。

  

 半藤(ハンドウ)氏は、「日本の近代史とは、黒船来航で一挙にこの高揚された民族主義が顕在化し、国家が…松陰の教えを忠実に実現せんとアジアの諸国へ怒涛の進撃をし、それが仇となってかえって国を亡ぼしてしまった。…それが<官軍・賊軍史観>」に他ならないと仮説する。

 そしてそれは、平和ボケの日本の現状の中で、「なぜか<薩長史観>的な、日本を軍事的強国にし大国にするのが目的のような考え方が大きく息を吹き返してきているような気がしてならない」という。そういう氏の感性は戦前の焼け跡を目撃してしまった証人だからこその痛みからくるものに違いない。

      

 政権を奪取した薩長閥が国の中枢でいかに他を君臨し差別してきたのかを数字で証明していたのは説得力がある。薩長閥の日清・日露戦績の「功績」を、反薩長の出身者も昭和も払拭できなかったところに深い闇がある。つまり、「近代日本を作ったのは官軍、滅ぼしたのも官軍」だが、一方の賊軍も薩長閥解消を唱えながらも結果的に同じ陥穽に吸収されてしまう。

  

 敗戦受け入れを命がけで尽力した賊軍派の鈴木貫太郎総理を著者らは讃えている。戊辰戦争の悲惨な崩壊を経験した賊軍の経験値は、「悲惨な最後の姿を避ける知恵があった」のではないかと保阪氏は提起する。とはいえ、官軍的体質と賊軍的体質とは結果的には「同じ穴のムジナ」としか見えないのは、一方的な見方なのだろうか。

              

 異議申し立てができない日本的なシステムは戦前も戦後も変わらない。一時、「同調圧力」と言う言葉が話題になったが、いつのまにか消えてしまった。このへんに日本の深い震源があるとオイラは常々思う。つまりそれは職場でも地域でも組織でもこの壁を避けて通ることができない現実があるからだ。官軍的・賊軍的体質もここにあるように思えた。「真実」という言葉がいま虚ろに聞こえるのは、同調圧力に気を使う子ども・おとなのストレスの反映に他ならない。ここを丹念に解きほぐしていかないと同じ過ちをしてしまう。すでにそれは進行している気がしてならないのは杞憂だろうか。

 

 

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