山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

庶民を主役にした「新吉原雀」

2020-12-15 23:10:11 | アート・文化

 歌舞伎座のカレンダーに三代目豊国の浮世絵があった。歌舞伎にしては地味で庶民的な衣装だ。というのも、「下駄屋のお政」(三代目岩井粂三郎)と「地まわりの吉」(八代目市川団十郎)が主役でもあるだからだ。この「新吉原雀」は、1852年(嘉永5年)9月、江戸木挽町の河原崎座で上演されたもの。「吉原雀」とは、吉原へくるひやかし客と廓との賑やかな様子を現わしている。それは、雀というよりわが畑の隣のススキヶ原へやってくる「ヨシキリ」の鳴き声のように騒がしいということらしい。

           

 「吉原雀」はそもそも、鳥を売る夫婦が吉原の男女の様子・客と茶屋との駆け引き等、吉原の世界を踊りと歌で表現したもの。そこに「放生会」(ホウジョウエ)という仏教イベントを絡ませている。つまり、生き物(かごの鳥)を買うことによって鳥を助けそのいのちを解放するという行為をいう。それは遊女と篭の鳥とを暗示させているようでもある。「放生会」は秋の行事だが、画面には上にモミジをあしらっている。

                

 そういうような「吉原雀」に対し、「新吉原雀」のストーリーはどういうものかは残念ながらわからない。「地まわりの吉」の職業?である「地まわり」とは、江戸とその近郊を結ぶ物流関係を表すが、もう一つの意味は、その縄張り・利権を確保するならず者、プーさんを示している。

 江戸の経済を支えた主たるものは、そういう近郊からの「地まわり物」と関西の上方からの「下り物」とから成立している。

            

 「新吉原雀」の眼目は、踊りと作詞・楽曲にあるらしい。それはかなり高度なテクニックが必要とされ、若手の登竜門でもあるらしい。すなわち、日本版オペラが独自に形成されていたということでもある。そうした重層的な背景がある浮世絵だった。「吉」と「お政」が夫婦だったかどうか、鳥を売っていたのかどうか、知りたいところだった。

          

 

 

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