山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

トリマーを始動させる

2021-01-21 20:35:18 | 農作業・野菜

 道沿いで伸び放題になっていた茶樹をトリマーで整枝する。1時間近くやっていると手がしびれてきたり、トリマーの重さで腕や腰の負担がかかっていくのがわかる。やり過ぎると筋肉痛になるぞとこの辺でやめる。プロや几帳面の人のようにはいかないのを前提にトラ刈りOKでスピード剪定でいく。

     

 一年のうちで使用するのはやはり冬場となる。その時以外は倉庫に眠ることが多い。それでも、エンジンがかかるのが嬉しい。電動のものもあるようだがパワーが全然違う。ときどき歯の間に枝の断片が挟まって動かなくなってしまうこともある。しかしながら、剪定鋏でやっていくのも効率が悪い。

  

 剪定して散らばったゴミをとりあえず集めておく。これらは茶畑跡の土留め付近にばらまく予定だ。抜根した跡地は霜が降りていて、歩くとぬかってしまう。裸地になるといろいろ問題も出てくる。

 こうした剪定ごみを燃やしてしまったり、ゴミ収集に出すのはもったいない。これは資源なのだ。木材チップもどきとして裸地に活用していくのだ。いずれ肥料にもなる。

              

 植え込みのなかに真ん中が剥げてしまっている状態の「ウバメカシ」があった。よく見たら、アケビなどのツル性植物が根元にごっそりあり、太陽を奪い取っていたことがわかった。急いで、鎌でそれらの根っ子を掘り出していく。こういう時間を確保するのがふだんではついつい後回しになってしまっていた。ここまで放置してきたことを反省する。こうして、畑の周りは少しはスッキリしてきた。農閑期でもやることが多過ぎるのが農業だ。

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連判状を取り戻した仁木弾正の妖術

2021-01-20 23:00:20 | アート・文化

 歌舞伎座の去年のカレンダーの最後に、仁木(ニッキ)弾正が連判状を取り戻した浮世絵があった。「見立十二支」の十二枚のうち、「子(ネズミ)」の出番となっている。絵師は「一勇斎(歌川)国芳」、版元は「角金」、彫師名人は「彫巳の(ホリミノ)」、嘉永5年(1852年)の発行。最近、静岡市や浜松市の美術館でも武者絵や骸骨絵で有名を博した「国芳」ブームもあり、没後150年を記念した特別展も開催された。

 歌舞伎としての題材は、伊達騒動を裏テーマにした「伽羅先代萩(メイボクセンダイハギ)」。悪人仁木弾正(五代目市川海老蔵)が暗殺を誓った血判状を取り返したとき、床下で警護していた「荒獅子男之助(八代目市川團十郎/画像右側)」が鉄扇で向かいあい、それで弾正の額を撃つとネズミの妖術が破れ弾正の姿が現われるという有名な場面である。

 弾正の衣装も注目だ。鼠地の衣装はもちろん、そこに高麗屋の「四つ花菱」の家紋をあしらっており、それは当たり役の弾正役で人気があった五世松本幸四郎への敬意による。

 ちなみに、弾正は仙台藩の重臣・原田甲斐がモデル。山本周五郎の「樅ノ木は残った」では、原田甲斐は藩を守った功労者として描いている。

  

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シデコブシを剪定する

2021-01-19 20:34:35 | 農作業・野菜

 庭の片隅にシデコブシ(モクレン科)を発見したのは7年くらい前だった。何本かの樹木が密植していてジャングル状態だったのだ。そのうちに、密植から小さなシデコブシを守りこれを中心に剪定を続けてきたらあっという間に大きくなる。枝がどんどん上に真っ直ぐ伸びてしまうので、まずは左右に開いた形にするよう真ん中あたりの枝数本を強剪定する。

       

 ほんとうは、紫色のシデコブシが好きだったけれどそれはどうも園芸種らしいので、白くてわずかに紫がある現状の花で妥協する。木登りしやすいように枝を伐っていく。今ではすっかりこのコーナーの主役になってきたシデコブシ。早春には雪のような花を空に描いていく自由さがいい。また、晩春には白っぽい絨毯を地面に敷いてくれるようになった。これらも剪定の蓄積のおかげでもある。

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川の水量を見に行く

2021-01-18 23:02:04 | 出会い・近隣

 雨が少ないので地元の水道組合から節水の連絡があった。そう言えば、国道沿いでいつも満々としている湧き水もほぼ止まっていた。そこで、近くの川を見に行く。川筋はいつもの三分の一以下の水量だった。

  

 ここで採れる鮎は他の川で採れる鮎よりもうまいと地元の関係者は胸を張る。それは川にできている苔がいいのだという。むかしはわんさと鮎が採れていたが今はさすがに減っているという。きょうは水が澄んでいるが、ときには土砂が流されて濁っていることもある。

 

 むかしはキャンプ場としてにぎわったときもあったようだが、今は釣り人も数えるくらい閑散としている。そこで、地元の有志が竹を刈ったり、雑木を伐ったりして整備が始まっている。

 

 鬱蒼としていた河原がだんだんと明るくなってきた。魅力ある河原にするためにひとりボランティアをやっているチェンソーや草刈機の音がこだまする。薪ストーブ用の柴や薪が所々に山積みされていた。「必要なら持ってっていいよ」と言うので、さっそく、連絡してお礼を述べるとともに伐ってくれた丸太をダルマストーブに投入する。ありがたい。それに勇気をいただいてオイラもひとりボランティアとして国道側の植栽整備を始めることとなった。

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「あしわら様」に会いに行く

2021-01-17 21:27:39 | 歴史・文化財

昨日の「天王の森」の先に「あしわら様」という祠がある。祠の前は旧道のメインルートだった。ここは峠となっていてムラとムラとを結ぶ分岐点でもある。これから長い異界への旅をはじめるにあたって、旅の安全を祈る場が「あしわら様」だ。杉と檜の巨木の根元にある。

   

 旅の安全はもちろん足の悪い人も遠くから祈願にくるという。そのときに、珍しい石・穴あき石や靴(昔はわらじ)を持ち寄ったりする。また、「柴立て」といって常緑の枝を周りに何本か挿して奥山に入る心意気を入れたという。新年には地元の有志がやってきて「柴立て」をしてお参りもしている。

           

 大木には直径5cmほどのツルが伐られずに上に伸びているのも貴重だ。太いそれが数本もあるが、フジなのかアケビなのかは春にならないとわからない。葉があればなんとか同定できそうなのだが。しかしこんな太いツル植物はなかなか普通の山でも会えない。いかにも、鬱蒼とした結界となっている。

 

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「天王の森」はいま

2021-01-16 22:30:54 | 風景

 近所にお宮がある「天王の森」に行ってみる。むかしは神社林があり子ども心には怖かった森だったという。今では茶畑が占めているが、ここ数年茶畑や竹林も伸び放題となってきた。つまり、神社林も経済効率の対象となり森は消えたが、今では森自身が再生しようとしているというわけだ。

  

 遠くを見ると、眺望は360度の山並みに囲まれている。どこを見ても杉林に制覇された森は相変わらず変わらない。山や森を市場にしてしまった。投資の対象にされた山や森は本来の多様性を放擲された。だから、森の持つ豊かな価値は一部では強調されても林業政策そのものには抜本的に変わらない。しかも、大臣の不祥事がどういうわけか農林関係者に多いのはどういうわけだ。

  

 この慎ましやかな山里のたたずまいの静謐は、コロナに翻弄されている都会からは削除されている。あらためて、資本集積のための都市集中の破綻は明らかになった。コロナ対策にしても地球温暖化・IT支援・電気自動車にしてもいつも後手後手になってしまう日本の現状はどういうわけだろう。その点では、矛盾を抱えながらもEUの哲学はスケールが大きい。目先の利益ばかり追う日本のポリシーの貧しさばかりが最近浮き彫りにされてくる。 

       

 そんななか、「天王の森」のお宮の前をきれいに整備したり、茶畑を香花・シキミに変えたり、地元の動き方も徐々に変わりつつある。その努力が次の地域を育てていくステップになっていくことを願ってやまない。

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やむなく柿の剪定

2021-01-15 20:03:04 | 農作業・野菜

 屋根や電線に柿の枝がかかりそうになって久しい。コロナ対策じゃないけど実がいっぱいなってほしいが、葉が屋根を汚したり樋に詰まったり、電線に触れてしまいそうだ。剪定すると収穫が少なくなってしまう。どっちを優先するか毎年迷って、強剪定手前で躊躇してしまう。すると、結果は全部中途半端になっている現状だ。

             

 そこで、樹形は無視して電線や屋根にぶつからないよう強剪定した。ほんとうはもっと下方に枝が出てほしいがなかなか出てくれない。むしろてっぺんがどんどん真っ直ぐ伸びてしまう。今回の剪定で2年くらいは屋根や電線への心配はなくなった。実の収穫はあまり期待できないけど。

            

 もう1本のカキノキは建物と杉の防風林との隣にあり、ふだんでも太陽が当たらない。しかも、道路に隣接しているので何回か枝が自動車にぶつかってしまうこともあった。だから、古木のわりには収穫は毎年数えるほどだった。品種は次郎柿なので味はうまいことは確かなのだが、こちらも屋根にかかる枝を強剪定する。

                

 剪定した枝は常設焚き火場を満杯にした。こうなるとまた、緊急焚き火宣言を近々発布しなければならない。そうでなくとも、これから剪定すべき樹木が目白押しだ。昨年は木から落ちて痛い目にあったので今年は落ちないよう注意しなければね。     

 

 

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人気の防火貯水槽だった

2021-01-14 21:14:00 | 路上観察

 昨年の今ごろだった。浜松市春野町の砂川集落へ散策会の下見に行ったときだった。シンプルだがわかりやすい防火水槽のマンホールを路上で見つけた。

 中央のマークは旧春野町の町章。「春」の字を三重の円で町民の融和を表象している。マンホールのカラー化がはじまった時代なのだろうか。製作会社は、キューポラのある町・埼玉川口市の「長島鋳物」。「火」の字のデザインが優れているとともにわかりやすい。それは逆から見ると「Y」に見え、万歳しているようにも見えちゃうが。

 福島県舘岩村・千葉県芝山町・山梨県甲府市や大阪駅前の梅田にも同じデザインがある。マンホールの中央をそれぞれの市町村のデザインで表章している。

 

 

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緊急焚き火宣言

2021-01-13 19:15:41 | 野外活動

 冬の作業では畑での資材の片づけが馬鹿にできない。一昨日、竹の支柱を撤去してまとめておいたところ、突風が吹いてきてそれらが吹き飛ばされそうになった。放置しておいたら危険な「緊急事態」であると判断し、急遽それらを焚き火処分することにした。

   

 きょうの風はひどくはないこと、きのう雨が降って地表が濡れていることを考慮して、畑からの残滓と竹の支柱・ツル植物を中心に燃やすことにする。いつもだと、いただいていた材木の端材を投入するのだが、きょうはそれを使わないで、枯れた茶樹を薪にしてじわじわと併用して燃やしていった。

 

 炎を見ていたらただ火を燃やすのももったいないので、お昼は過ぎてはいたがうどんを茹でることになる。幸いきょうは天気も気温も良かったので、和宮様は珍しく「外で食べても良いぞよ」とおっしゃるので、あわてて椅子やテーブルなどを出したりして冬のアウトドアを楽しむ。

             

 焚き火のそばで昼食をしたせいか寒さは感じない。風もおとなしい。裏山から運んできた太い古木もいつのまにか小さくなって熾火となっていった。時間がなかったので焼き芋ができなかったのが心残りだ。

          

 もちろん、七輪で沸かしたお湯でホットコーヒーをいれるのはいつもどおりのルーチンワークとなる。こうして焚き火コースの食事は大団円となる。シンプルだけど畑も庭も気になるゴミがなくなり、胃袋も気分も満悦となった。

 ガース総理はコロナの「緊急事態宣言」をやっと発令した。わが中山間地は「三密」はあり得ない。なにしろ人と会うのは稀だし、飲み屋も食事処もない。お店が一軒もないのだ。これじゃあ、若者も都会へ行っちゃうよ。コロナ禍とは、都会への一極集中と格差、それをさらに拡大したグローバル化、そして経済第一主義の自然(地球)破壊、それへの地球の異議申し立てなのだ。そこへメスを入れないと「ほんとうに生きること」は難しい。山や田舎で生活できない状況を作ったのは誰か、ということだ。

 

 

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鳥羽山城を侵攻!?

2021-01-12 23:17:43 | 歴史・文化財

 久しぶりの街中にでかけたとき、ほんの少しの空き時間ができたので近くの鳥羽山城に行くことになった。以前、散策会で訪れたこともあったが山城の地味な魅力はわからなかったころだ。時間がないのでまずは山城の玄関である「大手道」から一気に突入する。この先に本丸がある。

 桜と紅葉の名所でもあるここは今ではハイキングにも人気があり公園にもなっている。久しぶりのしっとりとした雨に濡れた階段には赤い落葉の絨毯が迎えてくれた。家康が隣の武田軍が居座る「二俣城」を奪還・攻略するためここに本陣を築いたところでもある。

    

 ところどころに「野面積み」の石垣が見られる。山城ファンにとっては城の遺構がたまらないほどの箇所が発見できそうだが、不勉強のオイラには足早にスルーするしかない。浜松市も並みなみならぬ調査で発掘と保存を手掛けたのがわかる。それほどきれいに整備されている。

 二俣城は甲斐を南下する武田軍と駿府側の防御の徳川軍との軍事的拠点だったが、この鳥羽山城は城主や家老の住まいとしても利用されたようだ。また同時に、迎賓館のような外交施設だったらしく、本丸のそばには枯山水の庭園もあった。その遺構の存在は山城としては稀であるという。そして天目茶碗などが発掘されていることからもそれはうかがえる。

  

 天守閣らしき建物からの眺望は見事だった。目の前に天竜川が悠々と流れており、遠くは浜松の街並みを展望できる。この地域の「二俣」は、山間部と平野を結ぶ流通の拠点でもあった。とくに山林運搬の基地として昭和の時代まで栄えていた。二俣を歩くと古風な蔵にたびたび出会う。芸者をあげてどんちゃん騒ぎしたという山林地主や関係者の話もよく耳にする。今は往時の勢いがなく商店街もシャッター通りとなってしまっている。

 

 二俣は同時に信仰の交通路にあった。秋葉神社や近くの光明寺への道すがらには、貴重な文化財の跡があるのに、なかなか発掘・活用されていない。地域の宝を共有・発掘していく人材がいないのだろうか。もったいないことだ。オイラの住んでいる中山間地にはこうした名所旧跡なるものは皆無と言っていいのに。そんなことをブツブツ言いながら城跡を駆け巡ったが、つぎはもう少し時間をかけて「国破れて山河在り」や栄華のあれこれを満喫してみたいものだ。

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