山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

プチプチで暖房効果よし

2021-01-11 18:05:21 | 特産品・モノ

 100年以上前に作られたらしいわが民家は隙間だらけなので換気は抜群だ。しかし、夏はいいけど冬は厳しい。台所の水道が凍ってしまうことさえある。だからこのところ、寝る前は水道の水を細目に出しておく始末だ。当然、和宮様から「暖房の方法はないのか」と詰問されて久しい。

 そんなとき、隣の師匠から「プチプチロールがあるから使いなよ」と言ってくれたので、ありがたく使わせていただく。掘り炬燵のある居間だけでもこのプチプチで包囲することにする。土間からの冷気が半端じゃない。つい玄関の引戸を開けると強風がプチプチシートを襲い剥がしてしまう。ガムテープだと跡が残るので養生テープで止めたが粘着力が弱いのがわかった。そこで、なりふりかまわず先端を板で張り付けることになった。

             

 このプチプチの正式名称は、「気泡緩衝材(カンショウザイ)」というポリエチレンフィルムであるのがわかった。アメリカのエンジニアが新しい壁紙開発をしていて誤って気泡ができてしまったのがきっかけという。失敗から学ぶことが大切だ。

  そう言えば、前回のコロナ収束に失敗したことに日本の政治家に反省がないことが致命的だ。いつものことだが選ばれた専門家もおとなしい学者ばかりだから抜本的な改革が進まない。もの申す専門家は除外されているのは日本学術会議の理事選任拒否問題と同じ根っこにある。

 さてまた話を戻して、ずいぶん前、プチプチの玩具も発売されたことも知っていた。しかし、プチプチ記念日が8月8日であることは知らなかった。プチプチを潰すときの音が「パチパチ」だからということらしい。

 それはともかく、この緩衝材を部屋中に張り巡らすことで暖房はずいぶん向上した。寒さに弱い和宮様も何とかこの冬を乗りきることができそうだ。

 

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芋汁をいただく

2021-01-10 21:46:01 | 出会い・近隣

 先日、近所の人が自然薯の芋汁を持ってきてくれた。わが家がイノシシの狼藉で葉物野菜が大幅に遅れてしまっているのを心配して、大根・小松菜・白菜・水菜等をお裾分けをたびたびしてくれたうえに、なんと丼にあふれるほどの芋汁をわざわざ運搬してくれたのだ。ありがたいありがたい。一回では食べきれないので二回に分けていただく。麦を入れたご飯に汁をそのままかけて喉をスルーする快感がたまらない。栄養満点、疲労回復にもいい。加熱すると栄養素を失うので生食が最善なのだ。

   

 和宮様お手製の栗ご飯も忘れられない。冷凍庫にしばらく眠っていた栗を早く食べなくちゃと「栗ご飯週間」を作って「片づける」というわけだ。おこわの硬さとねっとりが栗を引き立てる。もちろん栗はわが裏山に鎮座する丹波の栗だ。これも、イノシシは深夜から明け方に落ちた栗を確保し、明るくなってから落ちた栗はわが家がもらうという紳士協定によって収穫したものだ。

            

 そしてきょうは、懐かしい旧友がはるばる車で「あずき」を持ってきてくれた。旧友は以前散策会のボランティアをオイラがやっていたころ、参加者としてたびたび顔出ししてくれていたのをきっかけに、同じ町内ということでときどき交流させていただいていた仲間だった。ちょうど、アイドルがお汁粉や餡入り饅頭の作り方をテレビでやっていたので、タイミングがじつに良かったのだ。これも「ありがたや音頭」となる。

 そういえば、昨年の夏から知り合いからいただきものが急に多くなってきた。これはイノシシ被害に対する同情もあったが、和宮様の手術に対するお見舞いや共感がかなり効いている気がする!?  女性のネットワークがこんなところにも発揮されているのを発見する。弱さを補強してくれる田舎の底力がここにあった。

 

 

 

 

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侵入した竹を伐採し土留めに

2021-01-09 23:06:46 | 屋外作業

 裏山に竹がじわじわと侵入してきた。今まで竹は全くなかったのにいつのまにか当たり前の風景になってしまっていた。まだ外径が細いからいいがこれが太くなっていくと始末が悪い。まずは草刈機でばんばん伐っていく。

   

 草刈機で竹を切れる太さなら今のところいいが、これが太くなると鋸となる。すると労働効率も途端に悪くなる。また、足場の悪い斜面だと労働密度が急速に上がってしまう。だから今のうちに竹を切るのはチャンスでもあるのだ。そのことでまた、山に光が広がり今まで芽を出していなかった木や草にチャンスを与える意味もある。

   

 山から下まで伐採した竹を運搬する。これが意外に時間がかかった。竹を伐るほうがある意味で楽だった。少しづつ下におろしていくが同じ作業姿勢なので腰に負担がかかる。降ろした竹をこんどは茶畑跡に運搬する。これも斜面を4往復ほどかついで運搬するのでなまくらジイジには過酷な労働となる。案の定、翌日は爆睡となった。

  

 茶畑跡の土留めの2段目に伐採した竹を杭に沿って置いていく。その上に枯れた茶の木を乗せていく。風が強いのであわててその茶の木の上に乗って土砂をかけていく。これでとりあえずの作業は終わる。この程度でほんとうの土留めになるかはわからない。すべてありあわせの原材料を使っての作業だ。そんな自前主義を貫くところに自己満足と居直りが充満する。見映えの悪さは承知の上だが、はたしてどんな楽園ができるのかは本人も手探りというのが本音だ。

  きょうは台所の水道が寒さで昼まで使えなかったが、湯沸かし器のほうの水道が使えたのが幸いした。お膳布巾が硬直していた。今年の冬の一番の寒さだったようだ。

 

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「唐箕」ーしっかりした戦力に

2021-01-08 20:59:19 | 特産品・モノ

 ハブ茶の原料である「エビスグサ」と「エゴマ」の種のごみ取りのために「唐箕」を稼働する。「唐」の国から来た「箕」はやはり優れものだった。昨年補修した「唐箕」も久しぶりの登場だが、細かい所ではまだ補修が必要だが、そこは目をつぶってまずは種に混じっている茎やゴミをハンドルの風力で飛ばしていく。

            

 漏斗の下に種の流量を調節する木製の「弁」がある。6段階ほどに分かれているが振動で「弁」が落ちてしまう。そこはまだ補修が完全ではないことがわかる。一番上の段に「弁」を置く。ほんとうはこれで種が落下するのが止まるはずだがわずかに隙間がある。

            

 弁をもっと下にしてしまうと、どひゃーと種がいっきに流れてしまうので、一番上の弁の隙間から少しづつ落としていく。エビスグサより小さいエゴマの種にはこれでなんとか我慢してもらう。ふつうのゴマよりも小さくて丸い。今回は収穫量が少ないので唐箕を使わないでもザルでできないことはなかったが、今後のこともありいちおうやってみる。

            

 唐箕の出口は三つある。ふつうは一番目の「樋」に出てくる。二番目の「樋」にはやや茎が混じっている。三番目の出口からは葉っぱの破片や小さな茎の断片が吹き飛ばされていく。隣の集落では蕎麦をこの唐箕で脱穀していた。江戸時代には普及していた唐箕が現代でも活躍しているとはなんともハンディな優れものなのだろう。なにしろ、石油を使わないエコな道具なのだ。地球温暖化対策にはみんなで唐箕を使おうと心では叫ぶが、笑われてしまうので飲み込むことにする。「大型農業機械を捨て つつましいエコ社会へ行こう」

   

 ということで、なんとかごみ取りをしたが小さい茎がわずかに残っていてとても商品化にはほど遠い。左がエビスグサ、右がエゴマ。唐箕がわが農作業の戦力として定置した瞬間でもあった。わが家の野生化植物の御三家はこれに「キクイモ」が加わる。いずれもたくましい植物だ。ご三家に畑を乗っ取られないよう注意していくのが今年の課題だ!?

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薪づくりが忙しい

2021-01-07 19:03:25 | 屋外作業

 ダルマストーブの薪づくりが忙しい。チェンソーが調子悪いので丸鋸盤で丸太を切っていく。しかし、丸太の幅が十数cmを越えると切れないのが難点だ。また、ストーブの高さに合わせると約40cmまでの長さに切らなくてはならない。薪を強く詰めすぎると「ロストル」という火皿が90度に回転して薪が底に落ちてしまう。すると燃えなくなってしまうので、全部薪を出して最初からやり直す。ダルマストーブも牧歌的だがそれなりの「技」が必要だ。

      

 このところ、ダッチオーブンにサツマイモを入れストーブのてっぺんの天蓋(テンガイ)に置き、焼き芋を楽しんでいる。時間をかけてじっくり焼くとねっとりした焼き芋となる。それも、ベニハルカとかシルクスィートとかの品種がうまい。杉の薪は燃焼が早く、周りは杉の針葉樹ばかり。さいわい、シイタケ農家の方のコナラの細いほだ木の木っ端があったのでそれを使わせてもらう。それに、抜根した茶樹の根っ子や杉の枯葉などを併用する。

                       

 今年は煙突掃除をしなかったのでときどき煙突の周囲や煙を見ながら火災に注意を払う。なにせ、煙突掃除は煙突を分解しながら煤を採るけれどじつに厄介なのだ。しかしそれが不十分だと煙が室内に充満してしまう。また、煤の微粒子が細かいので吸わないよう細心の注意が必要だが、ついあちこちこぼしてしまう。ダルマストーブの思い出は小学校での風物詩となって懐かしいが、それを個人でやるとなると忙しい。スローライフとは時間はゆったり流れるけれどなかなか忙しい。

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出版社のキャッチコピーを比較する ②

2021-01-06 18:37:05 | 意見・所感

  集英社の全面広告には、作家・女優の松井玲奈の画像と共に、『今日から、進年。』というキャッチコピーが朝日新聞に出ていた。「キーを叩く。指を止め、想いを巡らす。そしてまた、キーを叩く。この行為を繰り返し、世界はだんだん輪郭を顕わしていく。」と、見事な滑り出しで言葉を紡ぐ。

 そして、「誰かの毎日を、そしてこの社会を 明るく照らすような小説を、 これからも丁寧に紡いでいこう。 私たちはまた、書き進める。 今年という新しい物語を。」と結ぶ。「英知が集う」社名らしく言葉にけれんみがない。

         ・ 

 日本経済新聞をめくったとき、そこにも集英社の全面広告があった。しかし、写真も文章も違うものになっていた。『今日から、進年。』のキャッチコピーは変らない。写真はnon-noのモデル・女優の新木優子。

「お気に入りの服を着たとき、メイクを上手くできたとき。心は、ちょっと前を向く。…いつだって、そうやって、わたしはわたし自身を 元気づけることができる。…わたしたちの瞳が輝けば、きっと世の中は明るくなるから。 進もう、わたしらしく。」と、ポエムのような歌詞にもなるような洗練された言葉が産み出されている。朝日にも日経にも読者に合わせて違う宣伝をしているその感性の磨き方が集英社らしい。

         

 いっぽう、辞書と言えば三省堂と言ってしまう如く「考える辞書」を標榜している三省堂。「時代」「絆」「レジリエンス」という言葉を提起しているが、キャッチコピーとしては迫力に欠ける。小さな字で「ことばを通して考えを深めることが、未来をきりひらく第一歩となることを願います」と書いてあるのは、もっと大きくしてもいいのではないかと思う。

            

 最後に小学館だ。ドル箱の名探偵コナンを登場させ、「こどもはみんな、何かの探偵だ。」と、「世界を探究したいなら、本を読もう」と誘い込む。「…世界はいつも、大きな難事件だ。 <知りたい>想いがある人にだけ、世界は、そっと、真相を打ち明けてくれるよ」と結ぶところは小学館の面目躍如というところだ。元旦の新聞の面白さは、こんなところにも躍動がある。きっと、元旦号にはコピーライターが胃を痛めながら吐露してきた傑作のるつぼが反映されている。それだけに、新しい時代を「具体的に」切り開くエネルギーにしなければもったいない。

 

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出版社のキャッチコピーを比較する ①

2021-01-05 21:51:59 | 意見・所感

 元旦の午後、新聞を買いにわざわざ街のコンビニに出かける。コンビニには新聞の殆んどが無くなっていて4か所を探し回る。いつもは新聞の社説を読むのを毎年心掛けてきたが、どういうわけか、出版社の広告のキャッチコピーが気になった。

   まずは岩波書店。「現実を見よと言われ、夢想を止めよと笑われながら、それでも想像を止めない。その力がいまをつくりあげた。その力が未来を切り開く。 そんな想像力をはぐくむ本をつくり続けるー わたしたちの新年の決意です。」と結び、『想像力が明日をつくる』というキャッチコピーと宮崎駿の絵コンテで全面広告とした。しかし、表現が従来的で心をキャッチするほどのパワーが足りない。言いたいことはよくわかるが、老舗に安住している環境から一歩も出ていない、と言ったら言い過ぎだろうか。

   

 その点では、文芸春秋社の『活字のなかに<人間>がいる』という言葉でグッと惹きつけられる。スペイン風邪のときの菊池寛の小説の紹介で、中身は岩波書店には及ばないものの、このキャッチコピーには迫力がある。

        

        

 光文社のこうあったらいいなという写真に、『ニューノーマルな、朝の絶景』という取り合わせは遊び心のなかに思いを貫徹している。また、大修館書店の明鏡国語辞典のキャッチもオーソドックスに特色を伝えている。

  

 新潮社の『私たちは人類史上かつてなく他人と<接続>しているのに、なぜ孤独を感じるのだろう』という、コロナ禍を踏まえた不安感に入り込む。「私たちを取り巻く環境と、人間との進化の結果が合っていないことが、私たちの心に影響を及ぼしているのだ」と、引用したハンセンの『スマホ脳』を紹介している。

 そして最後に、「読書そのものは孤独な作業なのに、そこからは大きな充足感を得ることができる」と結ぶところはさすがの新潮社だ。しかも、荒木経惟(ノブヨシ)の写真がまた惹きつけられてしまう。中身が秀逸。保守論壇の覇者ともいうべき新潮・文藝春秋はさすがに鍛えられている。(つづく) 

 

    

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足踏み脱穀機再び登場

2021-01-04 18:54:23 | 農作業・野菜

 前回はハブ茶の原料の「エビスグサ」を脱穀したが、今回は「エゴマ」の脱穀だった。収穫した長さはどちらも120cmくらい。短いのは「千場扱き」を利用すればよかったかもしれないが、量が少ないので手で扱いでいく。エゴマの種は2mmくらいなので足踏み機を強力に回していくと遠くに飛び散ってしまう。足の微妙な踏み方が必要だがそれがいい。

       

 次に、簡易「篩」で小さな枝やゴミを除去していく。商品にするわけではないのでこんな感じでもいいかもしれないが、次の過程で「唐箕」にかけて終了とする。今回は野生化しているエゴマの葉をジュースにしたり、炒めたり、佃煮にしたりしたので、けっこう種の収穫量は少なくなってしまった。したがって、エゴマ油はあまり期待できないかもしれない。すり鉢で擦ったり、炒ったりして調理することになりそうだ。

 東京都がコロナ感染者が1300人を越え、いよいよ緊急事態宣言が検討される。対応の遅さは相変わらずだから、都会に住む人よ、「便利さを捨て、ムラに行こう」と言いたい。人間の過度な効率・便利さのグローバルな欲望が裏目に出ているわけで、これからの時代は経済も人間もスローに生きることを良しとする生き方を選択するということではないか。  

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新年は初雪からスタート

2021-01-03 20:46:28 | 風景

 年末は風花が見られていたが、大みそかの夜は気がつかないうちに雪が積もりだしていた。さすがに寒いので、ダルマストーブに火を入れる。元旦には雪は止んだので、朝早く集落のお宮で新年の挨拶を短時間で交わす。玄関前にある常設焚き火場もすっかり雪景色となっていた。

                   

 大雨が降ると川となってしまう隣の道路には、動物も人間も踏み込んだ跡がない。つまりこの奥には人が住んでいないのだ。放置するとジャングルが出現して道が見えなくなるので、数か月に1回は清掃に草刈りに自前でしなければならない。つまり、その管理をやる人間が他にはいないというわけだ。境界に接するところの殆んどは相手・地主がいないので結局こちらがやらざるを得ない運命なのだ。

            

 積雪は数センチなので畑の被害はなかった。大根・キャベツ・パクチー・ニンジン・レタス・ブロッコリーなどが植わっているが、イノシシ被害があり植え付けが大幅に遅れていた。したがって、食べられるには来月以降が本番になりそうだ。

              

 ブルーベリーは葉の紅葉が秋には素敵だったが今はさすがに冬支度中。雪景色のブルーベリー園はわが家では珍しい。成長はとてもゆっくりなブルーベリーだが、ヒコバエが意外に多い。

   

 裏山の道草山から見た茶園。残念ながらこれはまもなく抜根される。耕作放棄地の荒野が増えていく中この風景がなくなるのは残念だが、中山間地ではあちこちに抜根されていく現場をを観ないわけにはいかない。それがわが家にもやってきたわけだが、太陽光発電のシュールな並列にするよりは小さな森にもどしていくことをしこしこ進めたい。それが新年の抱負となる。 

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オンラインで「図夢(ズーム)歌舞伎」を見る

2021-01-02 19:14:49 | アート・文化

 娘から「ぜひ観てよ」と強く言われたビデオがあって、あわててオンラインの「図夢(ズーム)歌舞伎」をパソコンで観る。コンビニを舞台に「弥次喜多」が登場する。市川猿之助が監督・脚本・演出をプロジュースしている。弥次さんが松本幸四郎、喜多さんが市川猿之助、リストラされた遊び人が市川中車という豪華顔ぶれだ。

      

 そこに、コンビニで万引きしたという金髪・赤髪の不良二人組(染五郎・團子)の若手も加わる。疫病(コロナ禍)で困っている人や生き方に模索している不良への暖かいメッセージもこめられている。歌舞伎というとつい社会や大衆に迎合してしまうイメージが強いが、最近は、「アテルイ」「風の谷のナウシカ」など、虐げられた民衆の立場を代弁する内容も加わっている。いわば、前進座がこだわっていることをも軽快に取り入れるフットワークの良さが素晴らしい。

 インタビューに応えた猿之助の次の言葉がすべてを語っている。「この作品で一番考えてほしいのは、果たして今私たちがいる文明はほんとうに正しいのか、自分たちの生き方がほんとうに正しいのか、地球をめちゃくちゃにして、疫病がはやって、これ人災じゃないのか!  自分たちの生き方がこのままでは滅びるぞっていうことをちょっと考えてもらいたい」と。

           

 饒舌な遊び心に飽きてしまう場面もなくはなかったが、猿之助が問うメッセージは随所に感じられる。華々しい表面的な格好良さだけで勝負するだけでなく、こうした応援メッセージを取り入れていく柔軟さはこれからの歌舞伎のすそ野を広げていくに違いない。それはコロナ禍で公演できない状況をオンライン歌舞伎で切り返す発想からして新しい。それは演劇というジャンルを超えてしまうチャレンジ精神をもみなぎっている。つまりそれだけ自分の置かれている立場を追い込んでいくプロ精神があるからでもある。初めて見たオンラインだったがこれからが楽しみとなった。( 画像は、YAHOOニュース・CREAwebから)

        

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