原題:『待ち伏せ』
監督:稲垣浩
脚本:稲垣浩/小国英雄/高岩肇/宮川一郎
撮影:山田一夫
出演:三船敏郎/石原裕次郎/勝新太郎/中村錦之助/浅丘ルリ子/北川美佳/有島一郎
1970年/日本
道路を舗装するアスファルトの謎について
本作はとても興味深い作品だと思う。それはもちろん三船敏郎、石原裕次郎、勝新太郎、中村錦之助という当時のスーパースターたちの共演にあるのだが、それにも関わらず噂によるならば興行的には失敗しているからである。
ストーリーとして重要な点を挙げてみるならば、主人公の鎬刀三郎が嫉妬深い夫に家の中で縛られていたおくにを助け出し、峠のふもとにある茶屋に預け、最後も何も声をかけないまま鎬刀はおくにを置いて立ち去り彼女を自由にしたり、その茶屋の主人の徳兵衛を手伝うために茶屋から逃れられないお雪がその後に巻き込まれる騒動のおかげで徳兵衛の許しを得られるところなど女性の自立が描かれているように見えるのだが、実は「縛られている」のは女性だけではなく男性も同様なのである。
三船敏郎が演じる鎬刀三郎は「フリー」の用心棒であるが「からす」と呼ばれている武士に仕事を依頼されている。石原裕次郎が演じる弥太郎は渡世人という性格上比較的自由人であるが、勝新太郎が演じる玄哲は藩に雇われていた医師だったが、水野越前守の代わりに罪を被ったことで追放され徳兵衛の茶屋で薬を調合して生活している。中村錦之助が演じる伊吹兵馬は「野猿の辰」と呼ばれる盗人を捕えはしたものの、酷い怪我を負い茶屋に世話になるが、最後には武士たちのまとめ役になる。
ここで注目したいことは、クライマックスで殺陣のシーンにおいてアスファルトで舗装された道路が見えることである。江戸時代にアスファルトで舗装された道路が存在するのかという間違いをここで指摘したい訳ではない。監督は時代劇ばかり撮っていた稲垣浩で、カメラマンもベテランの山田一夫で、4大スターまで揃っていながら、道路の上に土を盛ればいいだけなのにこんな単純なミスがあり得るとは思えないのである。それならばこの「アスファルト」は意図されたものと捉えるしかなく、それは本作が時代劇ではなく「現代劇」であるという暗示であろう。
ではそれは誰に向けられた暗示なのか勘案するならば、当時存在していた「五社協定」に関わっている関係者たちに対してであろう。ラストにおいて金を払わなければ何もしないはずの鎬刀三郎が報奨金を払う相手である「からす」たちを叩き切る時、他の3人と共に「フリー」になる覚悟を示したように見えるだけでなく、役柄が当時のそれぞれの状況を示していないだろうか。