MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

入試改革がいつも失敗する原因について

2019-11-02 23:59:49 | Weblog

(2019年11月1日付毎日新聞夕刊)
 
 「英語民間試験が延期されたことはよかったですが、補助金などを出して地域格差や経済格差の問題を解消すればいいでしょう、となっては解決しない。複数の民間試験の活用は、マラソンと50メートル走の成績を比べて、走力の優劣を決めるようなもの。異なる試験の成績を対応させるため導入された共通指標『CEFR(セファール)』の活用自体にも問題がある。セファールと各試験の成績の対応づけも各事業者が自己申告したもので、第三者による検証が行われておらず、公正さにはほど遠い」という京都工芸繊維大学の羽藤(はとう)由美教授の意見はもっともなのだが、マラソンと50メートル走ほど違うというのは余りにも極端すぎる比喩だと思う。
 時事ネタに絡めるならば、基本的に全員マラソンコースを走るのだが、「東京」や「札幌」を含む6コース全てを事前に走れる人と自分の得意なコースが分からないままぶっつけ本番で走らなければならない人の違いといったところだと思う。
 文部科学省の入試改革がいつも失敗する原因は2つあると思う。一つは優秀な成績で入省した人たちは自分たちの恵まれた環境やDNAに鈍感で、努力だけで勝ち取ったと思い込んでいる自分たちの成功体験に沿った入試制度を試みるために、「知性」や「貧乏」の想像を絶する底辺にいる学生をイメージできないのである。
 もう一つは同様にエリート意識が抜けないために、文科省の役人たちは英語教育の専門家の言うことを聞かない。専門家の言うことなど聞かなくても自分たちの考えでどうにか出来ると高を括ってからである。
 この傾向が変わることはないだろうから、一般の日本人が流暢に英語を喋る日が来ることは絶対に無いのである。

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