MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

カルティエと「芸術」との微妙な関係について

2019-11-23 19:35:58 | 美術

 東京の六本木の国立新美術館で現在催されている「カルティエ、時の結晶」という展覧会を最初、フランスの写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)の作品展かと勘違いしていたのだが、実は「本物」のカルティエだった。
 ところで何故「カルティエ」に「名前」が無いのか勘案するならば、1847年にフランス人宝石細工師のルイ=フランソワ・カルティエ(Louis-François Cartier)が彼の師匠のアドルフ・ピカール(Adolphe Picard)から工房を受け継ぎ、その後、息子のアルフレッド・カルティエ(Alfred Cartier)、その3人の息子のルイ・ジョセフ・カルティエ(Louis Joseph Cartier)、ピエール・C・カルティエ(Pierre Camille Cartier)、ジャック・T・カルティエ(Jacques Théodule Cartier)、ジャックの息子のジャン=ジャック・カルティエ(Jean-Jacques Cartier)とルイの息子のクロード・カルティエ(Claude Cartier)と引き継がれ、ピエールが亡くなる1964年まで100年以上カルティエ一族が引き継げていたことでネームバリューを確固としたものにしたからだと思う。
 フランスの印象派の画家たちがアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)やアール・デコ(Art Déco)に行かなかった理由は、カルティエ一族の存在が大きいと思うのだが、彼らがルネ・ラリック(René Lalique)のように宝飾デザイナーとして語られないのは、ジャンヌ・トゥーサン(Jeanne Toussaint)など複数の職人による「工房」であったということと、作家というよりもビジネスの側面に長けていたということなのか?
 しかし展覧会においても展示されているが、ルイ・カルティエが世界中から蒐集した書籍やオブジェなどの資料は驚くべき量で、この労力があってこその作品群だと分かる。


(「フラミンゴ」ブローチ (Flamingo brooch) 1940年)


(「オーキッド(蘭)」ブローチ (Orchid brooch) 1937年)

 美術館では観客全員に無料で音声ガイドを貸し出すのだから、その「財力」は推し量って知るべしところだが、ジュエリーなどの展示の限界は、やはり人が身に付けてこそ光るからであって、結果的にジュエリーは身に付ける人を輝かせる「付属物」でしかないからであろう。


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