MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『永遠の門 ゴッホの見た未来 』

2019-11-28 00:39:26 | goo映画レビュー

原題:『At Eternity's Gate』
監督:ジュリアン・シュナーベル
脚本:ジュリアン・シュナーベル/ジャン=クロード・カリエール
撮影:ブノワ・ドゥローム
出演:ウィレム・デフォー/ルパート・フレンド/マッツ・ミケルセン/オスカー・アイザック
2018年/アメリカ・イギリス・フランス

ゴッホの作品に追いつかない「演出」について

 ウィレム・デフォーによるゴッホ、あるいはオスカー・アイザックによるゴーギャンの「再現性」は驚くべき精確性で、その点に関しては文句の言いようがないが、演出はどうかと言えばなかなか素直に理解させてくれない感じがある。
 例えば、作品の冒頭でゴッホは歩いている途中で出会った羊飼いの女性にモデルを頼むのだが、後半で再び同じシーンがある。その違いは最初のシーンは普通の色彩で撮られているのだが、後半はゴッホが目を患ったためなのか全体が黄色がかっているのである。しかし何故同じシーンが使い回されているのか意図がよく分からなかったし、他のシーン(病院内での運動場)ではゴッホ目線でなくても画面が黄色がかったりするのでますます分からない。
 あるいはゴッホと牧師の、あるいはゴッホとフェリックス・レイ医師の比較的長い対話のシーンがあるのだが、それはそれぞれの顔のアップのショットが切り替わるだけで単調な画面が続いてしまい、さらにゴッホが自分の足を見ながら歩いているその足元の映像が長く続いたり、ゴッホが自身の耳を切るシーンは描かれておらず、とにかく映像の地味さは隠しようがない(ゴッホとゴーギャンの絵に対するスタイルの違いを言い争うシーンは興味深いが)。
 しかし本作が他の実写の「ゴッホ映画」と大きく異なるのは、ゴッホの死因を当時16歳だったルネ・スクレタンと彼の兄のガストンによる拳銃の発砲として描いたことであろう。これは『ファン・ゴッホの生涯』(スティーヴン・ネイフ/グレゴリー・ホワイト・スミス共著 松田和也訳 国書刊行会 2016.10.30. (下)のp.396-415 オリジナルは2011年刊)で詳しく検証されているが、例えば、最近でも『ゴッホとゴーギャン』(木村泰司著 ちくま新書 2019.10.10)では「ゴッホが本当に自殺を図ったのか、それとも『耳きり事件』がゴーギャンに対する一種のアピールのように映らなくもないように、自分をピストルで撃つことでテオに何かを訴えたかったのかどうかは今となってはわからない。」(p.137)とあるようにいまだに見解が分かれているようである。


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