MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

荒木一郎と「荒木一郎」

2021-08-03 00:58:17 | Weblog

 『まわり舞台の上で 荒木一郎』(荒木一郎著 文遊社 2016.10.15)において荒木は自分の仕事の仕方を以下のように語っている。

荒木 やりたいとか、あんまりそういうふうに考えない。自分がないんだよ、だから。いつも言うけど、主張はあるよ。けど、『自分が何々やりたい』って、でしゃばることは全然ないです、自分の中では。そういうのは一度もないんですよ。『歌手になりたい』とかそういうものは……。強いて言えば、『役者をやりたいな』っていうものはずっとあったから、『映画会社に入りたい』とか、そういうものをずっと持ってはいたけども、なんていうか、しゃしゃり出るということは、特に音楽系では、全然ないと言ってもいいぐらいないよね。『これやりたいんですけど』って言ったことは一回もない。」(p.522)

 完全に天才の仕事の仕方なのであるが、つまり荒木は役者であれ、シンガーソングライターであれ、人に頼まれただけであれほどの仕事をこなしたのである。それはもちろん結果を出したから仕事が絶えなかったはずなのだが、1985年(荒木が41歳)を境に荒木は表舞台から消えてしまっている。その理由を本書では本人は言及していない。仕事が絶えてしまったのか、時代に追いつかれ追い越されたのか、あるいは自ら仕事をセーブしたのか分からないのだが、以下の発言が気になる。

荒木 北條さんっていうのが、ある意味で、菊田一夫なんかと並び称される、大御所だったんだよね。その北條さんが結構僕のことを買ってくれて、ーまぁ、うちのおふくろの七光りもあるんだけども、よくNHK降ろされたりするけども、そういうときに『自分が御見人になる』みたいなことを言ってくれてたんだよ。ところが、死んじゃったの、すぐそのあと。だから、北條さんが生きてたら、もっと、また違った形になったかなと思う」(p.545)

 「北條さん」とは劇作家の北条誠のことで1976年11月18日に58歳で亡くなっている。荒木が32歳の時だった。荒木一郎に荒木一郎ばりのマネージャーが付いていれば荒木は大スターになっていたのかもしれない。


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