MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「学問の自由」について

2020-11-11 20:55:43 | Weblog


(2020年11月6日付毎日新聞朝刊)

 「学問の自由」とはなかなか定義が難しいと思う。例えば、ただの「自由」ならば分かりやすい。何故ならば自由とは必ず学問が通った後に宿るものだからである。だから本当ならば「学問」は放っておくことが一番だと思うし、そういう意味においては「学問の自由」を水戸黄門に譬える伊吹文明元衆院議長の認識は正しいとしても、黄門さまが持っているものが「印籠」であるかどうかはそれなりに知性がなければ分からず、実際のところ日本学術会議が政府の政策に影響を及ぼすことなどまずないのであるが、何故わざわざ菅義偉首相が日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命拒否するというような「無駄」なことをしたのか勘案するならば、庶民の自由を最も嫌う人種が政治家だからなのだと思う次第である。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20201105k0000m010177000c


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