小学生の時分、捨てられた子犬を連れて帰り「飼ってもええかな」と尋ねてこっぴどく叱られた。
「いけん」
「なんでぇ」
「いけん言うたらいけんのじゃ」
「可哀想じゃがの」
「一時の感情に流されるのはアホじゃ」
かなり食い下がったが、親は最後にキツイ一発を放った。
「おみゃーは、犬の糞の始末を死ぬまで出来るんか。畜生を飼うんならそこまで責任を負わにゃーいけんので。ヨソさんの土地に平気で糞をひらすのはヒキタレ(=ドアホ)じゃ」
「‥‥‥(わしにはとてもできんの)」
これで犬を飼うことを断念した。糞の始末もできない畜生以下の人間は1970年代中期に既に腐るくらいいたのである。新幹線の高架下は糞の城が築かれており、鼻をつまみながら歩いたものだ。モラル無き街が私は嫌いだった。
その後、少しは改善したが、また同様の現象が生じている。きちんと犬の世話をする飼い主(少数)がいることは知っている。この人達が白い目で見られるのは非常に気の毒だ、多数のドアホのせいで。
「いけん」
「なんでぇ」
「いけん言うたらいけんのじゃ」
「可哀想じゃがの」
「一時の感情に流されるのはアホじゃ」
かなり食い下がったが、親は最後にキツイ一発を放った。
「おみゃーは、犬の糞の始末を死ぬまで出来るんか。畜生を飼うんならそこまで責任を負わにゃーいけんので。ヨソさんの土地に平気で糞をひらすのはヒキタレ(=ドアホ)じゃ」
「‥‥‥(わしにはとてもできんの)」
これで犬を飼うことを断念した。糞の始末もできない畜生以下の人間は1970年代中期に既に腐るくらいいたのである。新幹線の高架下は糞の城が築かれており、鼻をつまみながら歩いたものだ。モラル無き街が私は嫌いだった。
その後、少しは改善したが、また同様の現象が生じている。きちんと犬の世話をする飼い主(少数)がいることは知っている。この人達が白い目で見られるのは非常に気の毒だ、多数のドアホのせいで。
