水戸街道(国道6号)を横断して「鳩の街通り商店街」のアーチをくぐった。道幅がやけに狭いのはこの一画が空襲被害を受けていないからである。「鳩の街」ができた経緯は『東京人no.186』の赤線・青線跡一覧に簡潔に書かれてあった。
東武線曳舟駅から隅田川方向に歩いていくと「鳩の街商店街」の看板が見える。やや幅が狭い道路を目抜き通りとして広がっていたのが、鳩の街のカフェー街。羅災した玉の井の業者が、玉の井と向島花街の中間にあたる焼けなかった住宅地に注目し、移転。昭和二十年五月に数軒が営業を開始し、戦後、進駐軍が出入りしていた頃に、”平和”にちなんで「鳩の街」と名付けられた。(125頁)
また同誌に昭和の生き字引である小沢昭一さんがこんなエッセイを寄せている。
鳩の街では、元気一杯の従業婦が多く、服装も髪型も戦後風で人気を呼びました。
以下省略
それはそうと、あの頃、鳩の街のお遊び代がチョンの間(三十分足らず)で三百円。当時カケダシの私のNHK出演料が三百円。お女郎さんと同じ値打だなと、妙に感じ入ったものです。(116頁)
売春防止法施行により特殊飲食店街は昭和33(1958)年3月31日をもって姿を消した。新興の色街は非常に短命だった。「鳩の街通り商店街」には当時の建物がまだ残っている。レトロな造りの「田中写真館」を見て、北北西に進んだ。