寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

横浜の悪所に向かう(その4)

2008年12月23日 | 

黄金町(こがねちょう)は昭和38(1963)年に公開された黒澤明監督の映画『天国と地獄』の舞台になった。地元の人間が「以前は普通の人が歩くような場所ではなかった」と語るようにヤクの密売人や娼婦などが集まる危険な町だった。

左端の建物が「権兵衛(横浜市中区黄金町)」

昭和30年頃に開店した大衆食堂「権兵衛」。女主人・富永さんはあるテレビ局の取材を受けて当時の治安の悪さについて「・・・いろんなことがあり、いろんな人がいた・・・」と言葉を選んで回想していたのが印象的である。

黄金町の「小料理屋」

「小料理屋」の古ぼけた掲示板が、かつてここでは非合法の商売が公然と行われていたことを静かに物語っていた。

「小料理屋」の壁に残る従業員急募の掲示

京急による耐震補強工事終了後に、横浜市が高架下を借り上げて地域住民が利用できる「スタジオ」を作った。「ちょんの間」跡にも変化が見られる。「ライヴバー」や「たこ焼きバー」などができて、クリーンな町作りが着実に進んでいる。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜の悪所に向かう(その3)

2008年12月23日 | 

好い天気で汗ばむほどである。「雨男」という不名誉なあだ名をつけられている私はうれしかった。「大岡川桜桟橋」を通過して奇妙な一角が視界に入った。名人が口を開いた。

「君が言ってたのはアレかい?」

「うん。緑色の屋根が見えるだろ。あの建物を起点として両側にびっしり店が並んでいる。数年前まで、ちょんの間があった。多国籍の女性がうろうろしていたんだ」

「・・・・・」

「さあ、行こう」

横浜市中区日ノ出町のガード下

私達はガード下を歩いた。県警の大規模な摘発があって「ちょんの間」は消滅したが、今でも周辺には警官が立っているし、老人が組織した自警団のようなものも見た。絶えず監視を続けなければ何が起こるかわからないということなのだろう。

自転車を利用して布団を干す住民あり

「自転車に布団をのっけるのは学生時代に俺もやったよ。物干し竿もない日当たりの悪いところで暮らしてたからね。ああする他なかった(笑)」

「〇〇臭い下宿だったな。ゴキブリの館とか言ってなかった?」

「そう。古い建物で床板の節穴からゴキちゃんが侵入してきて安眠を妨げたもんだよ。夜中ゴソゴソという音を聞くのは気持ち悪かったな。包丁で叩き潰すのが日課になってたほどだ(笑)」

「それは酷い。想像したくもない」

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする