寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

横浜の悪所に向かう(その6)

2008年12月24日 | 

横浜市中区曙町は現役の色街である。通りを高級外車が行き交うのを見て名人が呟いた。

「いやに黒い車が多いね」

「そうだな。運転してるのは裏稼業の人ばかりだ。昼前から店が開くので下の者の仕事をチェックしに来てるんだろう」

3丁目に入ったとたん、私は目ぼしい建物を見つけて指差した。

横浜市中区曙町3丁目のスナック

「このスナックは戦後すぐに建てられたものだと思う。丸柱に原色のタイル、赤線の時代に流行したスタイルだ。曙町にこの種の建物が残っているとは思わなかったよ。足を棒にして歩いた甲斐があった(笑)」

「なるほど。赤線の遺構か。また一つ勉強になった」

スナックの側面

「料理屋」と「風俗店」がごっちゃになった界隈を歩いても不思議といやらしさは感じなかった。暇そうな「魔法のア●ジ●」のボーイが写真だけでも見てくれとしきりに頼むのには往生した。
隣の末吉町にも「遊び場」がある


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横浜の悪所に向かう(その5)

2008年12月24日 | 

旧「ちょんの間」見学を終えて「太田橋」の袂に出た。強い日差しに目を細めた。私達は「大岡川」に沿って引き返すことにした。色街の近くにあるものは「一膳飯屋」「理髪店」「銭湯」だけではない。特殊な「病院」が黄金町にも存在していた。

産婦人科の看板に「優生保護法指定医」とあるのを私は見逃さなかった。これは「人工中絶手術」を行うことのできる資格を持った医者という意味である。

ここは娼婦を専門に診察する病院であった可能性が強い。金銭関係で成立する「営み」によって不幸にも芽生えた「命」を摘む仕事人がいたことは記憶に留めておく必要があろう。

大岡川に架かる「黄金橋」を渡れば歓楽街

「黄金橋」を渡り末吉町に入る。元祖牛鍋屋として有名な「太田なわのれん」の位置を確認して歓楽街に移動した。

明治期の牛鍋にこだわる高級店「太田なわのれん」

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