竹原のブドウ畑を初めて見たという男のために奥さんはこの地でぶどう栽培の基礎を作った神田家の話を3分ほどしてくれた。今ではデラウェア以外の品種の栽培も盛んに行われているということだった。
そして明神地区の居住者の4人に1人は三井金属鉱業関係の仕事に就いているという情報も得た。行きの途中で気になっていた大きな食品工場について私が質問すると、それは忠海のジャム製造会社の関連企業だと奥さんは言う。地元の人の話は非常にためになる。
竹原ブドウの沿革
明治三年ごろ神田信助翁は、神田家の池畔に二、三本の甲州葡萄を植え、栗材やモロ木をもつて池上に棚をつくり、葡萄蔓を誘引して年々美果を得、晩年これを竹棚に改良して、畑作に転換する動機をつくつた。
『芸南風土記 / 芸南新聞社(昭和三十六年五月五日発行)』
そして明神地区の居住者の4人に1人は三井金属鉱業関係の仕事に就いているという情報も得た。行きの途中で気になっていた大きな食品工場について私が質問すると、それは忠海のジャム製造会社の関連企業だと奥さんは言う。地元の人の話は非常にためになる。
竹原ブドウの沿革
明治三年ごろ神田信助翁は、神田家の池畔に二、三本の甲州葡萄を植え、栗材やモロ木をもつて池上に棚をつくり、葡萄蔓を誘引して年々美果を得、晩年これを竹棚に改良して、畑作に転換する動機をつくつた。
『芸南風土記 / 芸南新聞社(昭和三十六年五月五日発行)』