私が日野町へ寄ろうと思ったのは遊廓跡の存在をこの目で確かめたかったというのが大きい。文献に記述が少ないのは小規模だったためと思われる。手持ち時間が30分になった今、最善の方法は地元の人から聞き取りを行うことだった。私はダメ元で「日野まちなみ保全会(日野町松尾1501)」前で出会った人に話を聞いた。
奇しくも同い年の男性は気さくな方だった。古い地図まで持って来てくれて簡単に町の説明をして「祖父から聞いた話ですが…この先の野口写真館の裏に遊廓があったそうですよ。手すりの付いた建物だからすぐに分かるでしょう」と観光客に教えてくれた。
私は丁重に礼を述べて日野ギンザを東に進んだ。写真館(同町大窪541)の脇道には名所までの大体の距離を示す標柱が建っていた。ここからは緩やかな下りとなる。
10m程先に2階の窓に手すりが設けられた横長の建物があった。相当手を入れながらも平成まで生き残ったことは奇跡に近い。私は独特の造りにしばし見とれた。
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奇しくも同い年の男性は気さくな方だった。古い地図まで持って来てくれて簡単に町の説明をして「祖父から聞いた話ですが…この先の野口写真館の裏に遊廓があったそうですよ。手すりの付いた建物だからすぐに分かるでしょう」と観光客に教えてくれた。
私は丁重に礼を述べて日野ギンザを東に進んだ。写真館(同町大窪541)の脇道には名所までの大体の距離を示す標柱が建っていた。ここからは緩やかな下りとなる。
10m程先に2階の窓に手すりが設けられた横長の建物があった。相当手を入れながらも平成まで生き残ったことは奇跡に近い。私は独特の造りにしばし見とれた。
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