寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岩国城下・錦見七町の一つである魚町

2009年12月16日 | 

「歴史町名 魚町」の札を見つけた魚好きの男は「臥竜橋通り」から細い道に入った。角の黒い家は「着物リメイク工房」である。

岩国市岩国1-14-16辺りから北西の方向には古い建物が並び「観光名所」の一つになっている。空襲被害を免れた城下町には江戸時代の情緒が今もなお残る。

旧魚町界隈

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西岩国を走るレトロバス「いちすけ号」

2009年12月16日 | 

私は幸運にも錦帯橋に向かう「レトロバス」を見ることができた。「いちすけ号」という名の通り、日本の電気の父と呼ばれる藤岡市助と関係がある。

藤岡が設立した「岩国電気軌道株式会社」の電車が昭和の初めまで錦見の町を走っていた事実を知る人は少ない。このバスは当時の車両を模して造られているのだ。

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椎尾八幡宮から西岩国の町並みを望む

2009年12月15日 | 

椎尾八幡宮からの帰り道、西岩国の町並みが眼下に広がる。中央辺りに郷土料理の大きな店があった。私は藤岡市助が生れた「錦見」を感慨深げにしばらく眺めていた。

国道2号線から再び「臥竜橋通り」に出るために交差点で信号が青に変わるのを待つ。そして横断歩道を渡りきったところに思いもかけない物が近づいてきた。

一の鳥居前から臥竜橋通りを望む

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吉川氏の守護神である椎尾八幡宮に参拝する

2009年12月15日 | 

手入れの行き届いた境内に到着。椎尾八幡宮は岩国藩主吉川氏の守護神で猿田彦を合祀している。今も西岩国の人々の厚い信仰を集める。

椎尾八幡宮の立て札

参拝を済ませた私は狛犬の前に立ち「効能」を黙読した。そして屈伸運動をしてから狛犬の足をさすってみた。少しだけ足が軽くなったような気がした(笑)。小休憩の後、町歩きを再開することにした。

椎尾八幡宮の狛犬

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椎尾八幡宮の石段を上る(後編)

2009年12月14日 | 

更に上っていくと石段は左に折れてほぼ直線で境内とつながっているようである。私は深い息を吐いて「本宮は意外に遠いんだな」と呟いた。

参道の途中に「伊勢宮・荒神社」があったのでお参りしておいた。はるか上の鳥居を見上げてペースを上げた。第三目的地はもうすぐである。

本宮へ通じる石段

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椎尾八幡宮の石段を上る(前編)

2009年12月14日 | 

「臥竜橋通り」を北東に進むと国道2号線と合流する。私は横断歩道を渡って石造りの鳥居をくぐり左側の石段を上った。

この石段を登るとお稲荷さんがある

おびただしい数の赤い幟には「正一位岩国稲荷大明神」と書いてある。石段が折れ曲がるところに稲荷があったので賽銭を入れて手を合わせた。

岩国稲荷大明神

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岩国城下・鍛冶屋町を抜けて活気ある臥竜橋通りに出る

2009年12月13日 | 

鍛冶屋町を北西に進み大通りに出る。斜向かいのビル一階で営業する「お好み焼店」は繁盛していた。

太い道路は「臥竜橋通り」と呼ばれ岩国の城下町を中央で分断する。通りを南西に進めば「臥竜橋」に着く。橋を渡った先は川西地区だ。私は鳥居のある逆方向に足を向けた。

「さぬきうどん店」でぶっかけを食べたい気分だったが、先は長いと思い我慢することにした(笑)

さぬきうどん店


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岩国城下・錦見七町の一つである鍛冶屋町(米屋町)

2009年12月12日 | 

「明覚寺」の前を通り過ぎ「靴屋」の角を左に曲がると旧鍛冶屋町(米屋町)である。道の左手で現在も「刃物店」が営業を続けている。

この辺りは小説「おはん」で描かれたおかよの置屋があった界隈である。芸者衆で賑わった面影は今や微塵もないが、小規模の「貸座敷」が存在した記録は残っている。

旧鍛冶屋町(米屋町)

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岩国城下・錦見七町の一つである登富町

2009年12月11日 | 

江戸時代、錦帯橋を渡った東部エリアを「錦見」と呼び、ここに下級武家屋敷(大明小路)と町屋が配置された。

城下における北の筋が通称:本町(玖珂町・柳井町・鍛冶屋町・塩町)、南の筋が裏町(材木町・魚町・豆腐町)で「錦見七町」を構成した。

歴史町名:登富町

私は裏町三丁目にあたる豆腐町(後に登富町と表記されるようになる)の四辻に立った。「歴史町名」の札をつけた精肉店は戦前「射的場」であった。昔この界隈には職人(特に大工)が多く住んでいたという。現在は食料品関係の店が点在している。

辻を真っ直ぐ(北西に)進めば「岩国市小売市場」だが、ここを右に曲がる。少し行くと左手に「明覚寺」が建っていた。

明覚寺

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人通りの少ない登富町商店街を歩く

2009年12月11日 | 

「登富(とうふ)町商店街」を見つけ北西の方向に進む。氷屋(道の右手中ほど)の先には「歴史町名 新地」という木札が掛けてあった。現町名では岩国市岩国2丁目15‐2×辺りになる。

歴史町名:新地

格子戸の家は大正から昭和初頭にかけて建てられたものだろうか。まるで80年ほど前にタイムスリップしたかのような感じだ。

細い路地は彦根市の「旧袋町」と似ている。大きな違いはここはほとんどが十字路になっていることだ。私はかつての「色街」へ足を踏み入れようとしていた。

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懐かしい雰囲気の岩国2丁目界隈

2009年12月10日 | 

「教育資料館」を後にし「大明小路」に出た。惣菜屋、大判焼の店、精肉店が軒を並べる一角(岩国2丁目)には懐かしい雰囲気が漂っていた。

近くに住む人が惣菜などを買い求めては立ち去って行く。昭和50年代前半までは私の故郷でも同様の光景が見られたが、今ではギスギスしたセンス無き町に変わった。大判焼やたこ焼きを売る小さな店は町から姿を消し、大型スーパーで冷凍品が売られる時代だ。

「三原家」

老舗「三原家」まで歩いて引き返し、木造三階建ての脇道に入る。「新町」という看板を頼りに南下し第二の目的地へ移動した。

旧新町界隈

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岩国学校教育資料館を無料で見学する(後編)

2009年12月10日 | 

私が大いに興味を持ったのは二階に展示してある民俗資料だ。紙すき用具や布団を温めるのに使用した行火(あんか)は初めて目にした。当時の産業や庶民の生活を知る上で重要な品々がさりげなく置かれている点が良い。

湯たんぽと行火

貴重な建物と資料を無料で公開する岩国市には敬意を表したい。この学校で学んだ宇野千代さんの幸福のことばを見て「深いな」と思った。

幸福のことば(宇野千代)

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岩国学校教育資料館を無料で見学する(前編)

2009年12月09日 | 

旅の第一目的地である「岩国学校教育資料館(山口県指定文化財)」に到着。所在地は岩国市岩国3丁目1‐8である。和洋折衷の学校の三階部分は明治5(1873)年に増築されたもの。昭和47(1972)年に解体修理が行われて教育資料館になった。

岩国城下は戦火を免れたのでこのような古い建造物が多く残っている。資料館には藤岡市助(工部大学校卒)が開発した電球や戦前の教科書などが展示してあった。

岩国学校の概略

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岩国市錦見6丁目を通り国道2号線に出る

2009年12月09日 | 

岩国市錦見(にしみ)6丁目の「岩国刑務所」付近をぶらついて国道2号線を目指す。

静かでこじんまりとした町が気に入った。2号線に沿って西に進み「錦帯橋入口」の信号機のあるところから左に曲がった。

岩国市錦見4丁目界隈

錦見4丁目のコンビニ、寿司屋を通過してしばらく歩くと古風な三階建ての建物が現れた。

岩国学校教育資料館

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西岩国駅前で立ち話をするバスの運転手達

2009年12月08日 | 

駅員のいない改札を通過し外に出た。現在駅舎(国の登録有形文化財)の管理はJRの手を離れてNPOの「ふれあい交流館」として利用されている。

駅前にコミュニティ循環バス「くるりん」が2台も停まっていた。私は陸橋の上からバスが出るのを5分ほど待っていたが、運転手が暇そうに立ち話を続けるばかりだ。

彼らが再び業務に就くまでに1kmは歩けそうだと判断して駅舎・バス・運転手の3点セットを撮影した。ありのままの姿を記録しておくのも少しは価値があるかもと思ったのだ(笑)

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