寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

茶豆を茹でる

2015年10月18日 | 家飯
茶豆の鞘の両端を挟みで切り落とし水で洗って汚れを落とす。ザルにあけた豆に塩を軽くまぶしておく。大鍋に湯を沸かし塩を大さじ2杯ほど入れて豆を茹でる。私は4分半が最適だと思う。

豆を冷水に移して粗熱を取りザルに移す。水気が切れたら豆に塩を(控えめに)均一にまぶして冷蔵庫で一晩寝かせる。甘味を十分に引き出した塩の効果を確認してニンマリ。日本の誇る秋の味覚の一つを堪能した。

枝豆

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滋賀県蒲生郡日野町大窪・南山王宮日枝神社(その2)

2015年10月18日 | 
神殿から少し離れた石垣のそばに何か保存されている。近付いてみると木の根元に置かれていたのは天明七年の屋根瓦であった。

屋根瓦

屋根瓦(拡大)

野ざらしではなくぜひ蔵の中で保管してもらいたい貴重な資料である。神殿の向かって右に金比羅神社が鎮座していた。

金比羅神社

参道

下の広場に雪はあまり無かったが、木々に囲まれた境内にはかなり残っており土道はぬかるんでいる所もあった。案内板(順路)に従い境内社を見て回ることにした。

案内板

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写真と絵図でふりかえる福山市(福山市生涯学習プラザ歴史資料室)

2015年10月17日 | 日記
10月1日より霞町1丁目のローズコム3階で東京阿部家(もと福山藩主)旧蔵の写真などの展示が始まっている。明治前期の福山城古写真を見ると天守は現在のコンクリート製とは大きく異なっているのがよく分かる。私が一番感動したのは昭和28年(1953)に寺本左近が作成した福山市鳥瞰図(ちょうかんず)である。芦田川左岸土手下に本庄町(当時)のと場が描かれており60年という月日が街をどのように変えたかを知ることのできる一級資料だと思う。企画展示は入場無料、休館日は月曜と祝日。郷土史を研究する人は11月28日までにぜひ見て欲しい。

福山市鳥瞰図

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滋賀県蒲生郡日野町大窪・南山王宮日枝神社(その1)

2015年10月17日 | 
慈眼院の近くにレンタサイクルを停めて南側の小山へと向かう。南山王宮日枝神社と刻まれた標柱が建ち参道が一発で分かる境内の造りである。なかなか格好いい。

日枝神社の石鳥居

石段

石鳥居を潜った先の石段などは元禄八年(1695)に造られたという。日枝は「ひえ」と読む。日枝山は比叡山のことで、総本社は大津市坂本の日吉大社である。

本殿

日吉の今の読みは「ひよし」だが、「ひえ」と読む地方もある。東向きの日枝神社の神殿は安永二年の建立と説明板には書いてあった。私は北の方角に目を移した。

説明板

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第15回広島県高校生スペシャリストの祭典(福山市緑町公園など)

2015年10月16日 | 日記
エブリイ緑町店駐車場に臨時の立て看板が設置されているのを見て「明日と明後日は緑町公園で催しがあるんだな」と思った。予想通り公園入口からローズアリーナ前までテントが設営されていた。

緑町公園入口

ステージ

ステージの方では高校生がダンスの練習をしていた。種明かしをすると17日・18日は健康ふくやま21フェスティバル2015・第39回緑化祭・第39回ふれあい福祉まつりと表題の祭典が同時開催となるのだ。

チラシ

露店

ステージの西側に位置する露店の食品販売価格をチェック。わりに安いではないか。ここは儲けを出すことにはあまり力点を置いていないようだ。土日の天気は良いとのこと、結構人が集まるだろう。

緑化祭のブース

緑化祭の横断幕

私は気が向いたら緑化祭の様子(写真はばら花壇の周辺)を見に行くかもしれない。植物関係は毒(ウマシカの余計な講釈)が無いので意外と楽しめる。広大な公園では木々の葉っぱが赤く染まり始めている。

大学跡地

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夏の汚れを重曹溶液で落とす

2015年10月16日 | 日記
10月の第2週に入ってから一気に涼しくなった。扇風機を片付ける前に羽根とカバーにびっしりとついた綿埃や汚れを重曹を溶かしたぬるま湯に浸して落とした。

霞町1丁目

街(福山市中心部)の景色がすっかり秋めいてきた。下井手川(農業用水路)沿いに柿がたわわに実っていたが、カラスが穴を開けていないので渋柿だろう。今年は熟しが食べられるかな。私はやわらかくなった柿を凍らせてシャーベットのように味わうのが好きだ。

柿の木

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滋賀県蒲生郡日野町大窪・下清雲町に設置された飛び出し坊やの看板

2015年10月15日 | 
洋服のりふぉーむ店前から細い路地に入り南へ進むと上清雲町の地蔵堂の前に出た。もともとの日野町遊廓はこのお堂より東側辺りで営業していたのではなかろうか。

瓦店

民家

どん突きを右折して急いで西へ向かう。残り時間25分を切っていた。道の両側に建つ大きな古民家は瓦店だった。格子戸には枯れた味わいがある。

飛び出し坊やの看板

店を過ぎた先の(消火用)ホース格納箱には下清雲町の表示があった。箱のすぐそばに滋賀県ではお馴染の飛び出し坊やの看板が設置されていた。ドライバーに注意を促すのが主な目的だが、少子化が問題となっている今、看板自体の存続を危ぶむ声も出ている。まもなく圓通山慈眼院(日野町大窪1317・曹洞宗)の門前に到着した。

圓通山慈眼院

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火災事故の悲劇は繰り返す

2015年10月15日 | 日記
広島県福山市西桜町1丁目12のホテルプリンス跡地。忌み地再開発の気配はまだない。悲惨な火災事故の教訓は活かされずに広島市中区流川町のメイドカフェが全焼し3人の犠牲者を出した。

両事件に共通する問題点は建物が古く(流川の物件は敗戦後数年して建てられたもの)防火対策が不十分であったことだ。そして利用者がその危険性にすら気付いていなかった節がある。人間のドロドロとした欲望の先に見えるものが地獄ではなかろうか。悲劇の連鎖を止めるために行政トップは恥部にメスを入れることを躊躇ってはいけない。

ホテルプリンス跡地

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滋賀県蒲生郡日野町大窪・仕出町の通り

2015年10月14日 | 
滋賀県道41号に出て南下。次の辻(タバコ屋の角)を左折する。細かいタイルを貼った造りの売り場(大概婆さんが腰掛けていた)が懐かしい。昭和40年代迄はよく見られたものであるが、今となっては大変貴重だ。

タバコ屋

近江日野商人館

仕出町の通りを西へ行くと山中兵右衛門旧宅を資料館にした「近江日野商人館(日野町大窪1011)」が強烈な存在感を示す。3年前の『西日本の旅』では「山中が失業中の大工や左官のためにわざわざ新築して築いた富の一部を社会に還元した」と紹介していた。

洋館

曳山の収納庫

洋館を過ぎた向かい辺りが仕出町会議所で隣に大きな曳山の収納庫が建っている。私は各町内で同様のものを目にして驚いたのだが、日野町で生まれ育った人にとって日野祭の曳山は特別なのだろう。最後の写真は平成25年4月にオープンした「洋服のりふぉーむ店(同1002)」、古民家活用の一例である。

りふぉーむの店

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福山市本庄町中2丁目から見た福塩線の黄色い車両

2015年10月14日 | 日記
能満の2踏切を通過し終点のJR福山駅を目指す電車(福塩線)。今では新幹線・在来線共に高架の上を走るのが当たり前という認識だが、昭和40年代までの電車は地面より少し高い所を行き来していたのである。

住宅

踏切を渡り南へ向かい高架下を潜ると南本庄である。西7番ガード(南)の信号機南西に位置するゑびすあられの工場跡地で住宅の建設が進む。もう既に一軒は2階まで骨組が出来上がっている。駅南口(三之丸町)に建造中の東横インもあらゆる角度から目立つようになった。

ホテル

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滋賀県蒲生郡日野町大窪・板塀に囲まれた家

2015年10月13日 | 
上岡本町の辻堂から通りを東へ進む。建設会社の対面に染屋の看板が出ている。今では非常に少なくなった伝統産業である。私の知る限り福山市には草戸町4丁目(鷹取川廃川地)に幟などを手掛ける専門店が一軒残っているだけだ。

料理屋

料理屋の「うを市(日野町大窪791)」を過ぎ南大窪町に入ると板塀に囲まれた大きな屋敷が出現する。土蔵も多数あり商人の町らしくなってきた。「酢屋忠本店(同729)」の先で滋賀県道41号(現代の御代参街道)と接続するが、県道を横断して約400m行った所に牢屋(上鍛冶町だと思われる)が置かれていたようだ。

酒屋

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福山市本庄町中4丁目4・JRアパートの解体工事 

2015年10月13日 | 日記
福塩線の「能満の4踏切」を越えた東側の一画にJRアパートがある。先日、本庄町を通った際に解体工事の表示が出ているのを見た。発注者が西日本旅客鉄道㈱岡山建築区、請負者は㈱ジェイアール西日本ビルト岡山支店(岡山市北区西島田町)。工期は10月下旬まで延長した模様だ。

解体工事

広い敷地には全部でアパートが4つ建っていたが、今回取り壊されたのは南側の一番小さな4号棟だった。3号棟の向かい、本庄町中1丁目22辺りは新しい家(分譲住宅)で埋まり長者町以西の開発が盛んであることが分かる。

解体工事2

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滋賀県蒲生郡日野町大窪・上岡本町会議所前の地蔵堂

2015年10月12日 | 
野口写真館横から約50m南の交差点角に「上岡本町会議所」が建つ。建物の前が滋賀県でよく目にする地蔵堂である。京都に地蔵盆という風習が残っているが、日野町でもお盆に子どもが御菓子を貰って歩くようだ。

地蔵堂

お堂の周りは綺麗に掃除されており筒に美しい花が活けられている。私はこんな風景が好きで定期的に近江を旅するのだと思う。「わしが、わしが…」と能書きを垂れずに陰徳を積む人がいる町は魅力的だ。

岡本町の民家

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今年も作ったぞ!栗の渋皮煮

2015年10月12日 | 家飯
私が自ら作る数少ない和菓子の一つが渋皮煮である。見てくれがいいだけの甘露煮の平板な味と違い、こちらには奥行きがある。渋(アク)を完全に抜かずにほんの少し残しておくのがポイントだ。

鬼皮を剥いた状態

栗は一晩水に浸けてやわらかくして鬼皮を剥く。包丁で底を切り落とす際に渋皮を傷つけないように注意する。アク抜きには重曹を使う。一回の処理で使う量は耳かき5杯程度。

下処理

下処理2

栗を重曹を加えた水で20分ほど茹でると汁が赤褐色になる。汁を捨て栗を冷やして竹串などを使ってかたい皮を除去する(この作業が最も骨が折れる)。あとは3~4回茹でこぼしてアクを更に抜く。次に栗を糖液で煮て冷まして完成である。食べ終わった時に僅かな渋によって甘味が中和されるのを私は最上とする。

渋皮煮

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滋賀県蒲生郡日野町の遊廓跡に辿り着く

2015年10月11日 | 
私が日野町へ寄ろうと思ったのは遊廓跡の存在をこの目で確かめたかったというのが大きい。文献に記述が少ないのは小規模だったためと思われる。手持ち時間が30分になった今、最善の方法は地元の人から聞き取りを行うことだった。私はダメ元で「日野まちなみ保全会(日野町松尾1501)」前で出会った人に話を聞いた。

奇しくも同い年の男性は気さくな方だった。古い地図まで持って来てくれて簡単に町の説明をして「祖父から聞いた話ですが…この先の野口写真館の裏に遊廓があったそうですよ。手すりの付いた建物だからすぐに分かるでしょう」と観光客に教えてくれた。

日野ギンザ

野口写真館

私は丁重に礼を述べて日野ギンザを東に進んだ。写真館(同町大窪541)の脇道には名所までの大体の距離を示す標柱が建っていた。ここからは緩やかな下りとなる。

標柱

妓楼

10m程先に2階の窓に手すりが設けられた横長の建物があった。相当手を入れながらも平成まで生き残ったことは奇跡に近い。私は独特の造りにしばし見とれた。

妓楼跡2

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