トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

渋皮煮を作ってみた

2019-10-11 | 何よりの楽しみ
 フイールドに到着した折々に威野志士様の食い漁った現場から数個づつ拾い集めた栗の実が1升ほど貯まった。すべて勝栗にするつもりで縁台に出しておいたのだが渋皮煮を作ってみようという気になった。
 というのも三兄の一周忌になるから帰省することにしたのだ。その時の土産には小生がおもてなしもご馳走も出来なかった父母、祖父母、ご先祖様の供物として仏壇に供えたい、とそんな峻峭な気持ちになったのであった。まあ、「後生だからお願いします」なんて深謀遠慮が無かった訳でも訳でないだろう。

 それはともかく1昼夜水に浸してから鬼皮を外す。この時はじめて「水に漬けておく」意味が分かった。あとは手順を読みながらの作業になるのだが「灰汁取り」後の渋皮の掃除が性に合わない。「やってられん!」で途中放棄の顛末だった。だから半分ほどは黒筋残りの有様で「仏様でもご存じあるまい」という事態には程遠い見かけである。これが小生が小生たる証だと不貞腐れよう!。

 重曹を加え丁寧に灰汁を掬い取り、すすぎ煮込みを2回して半日放置。この間に行う黒筋取りなどは省略、シロップ煮込み後も半日放置と、結局一夜跨ぎの調理になってしまった。見かけは黒くて人に提供できる代物ではないけれど、食べてみれば喰いすぎを注意しなければならないほどの美味しさだった。この誘惑があっても2回目は作らないのだ!。

 渋皮煮に用いた粒は大きいものを選んで小さいものは茹栗にして冷凍庫だ。茹でてから勝栗にするのを失念していた事に気付いたのだが後の祭りというものである。冷凍栗も食味がどうなるか未体験なので、これはこれでお楽しみである。

栗1.5㎏   ➡    灰汁取り~シロップ煮込みを経て   ➡    完成

ハザ掛けで被害を受けた

2019-10-10 | 小人閑居して憮然
 10月5日にハザ掛けした稲束なのだか7日には猪の先遣隊が一束を落とし食べていったと会友が確認している。その時に対応すれば被害が広がることは無かったのだが、二日の休みを挟み9日に出勤した時には約2割ほどが落とされ喰われていた。代表にメールで知らせたらほどなくやってきて、たまたま会友3人が出ていたこともあり道具小屋のフェンス内に移動させることにした。

 一人では稲架の高さを上げにくいので代表に応援を求めたのだけれど道具小屋のフエンス内とは思いつかなかった。日当たりが悪いのは同じでも風通しが悪くなってしまうのは目に見えているが週末には台風18号の影響もありそうなので退去避難と思えば妥当かもしれない。
 フェンス内だけでは干しきれず庇の下にも竹を吊り干し場を作った。これで2割を失ったとは言え猪に喰われる心配はなくなり一安心である。仲間内では一粒も得られずともどうという事も無いものの、ボーイスカウトの隊員は残念がるだろう。

 稲穂だけ喰われ散乱   ➡    フェンス内に干す   ➡    庇にも下げる

秋は夕暮れ

2019-10-10 | 感じるままの回り道
 10月に入ると秋色が一段と深まっていると思いつつ、郷里南魚沼に法事で立ち寄ったのだが北国の山並みでも紅葉には早かった。そこより暖かい我がフイールドでも紅葉は期待しないまでも季節の終焉は感じる。サクラ類は病葉を早々に落として気の早い裸木状態まで現れた。いくら衣をまとうていなくても見る気もしないけれど、季節の終焉を感じるうらぶれた姿には心惹かれるものがある。
 四季それぞれに終焉の時期はあろうけれど秋以外の終焉時期は冬にしても春夏にしても「歓喜」だけに思える小生なのだった。季語には「山装う」と千段錦を連想させる華やかさも存在しても灯の最後の一瞬の煌めきでもある訳で、それはそれで「夕暮れ」の風情だ。

 ほんの一時、フイールドに鮮やかな赤色を点在させてくれた曼殊沙華も、その色も花弁も褪せて萎びつつある。その花にアゲハチョウはまだ吸蜜にやってくる。蜜があるのか無いのか小生には測りかねるけれど一花一花立ち寄っていく。この写真を撮ろうとしていた時は二頭のアゲハが舞っていたのだが撮りたい写角内に入ってこず断念したのだった。「もそっと、近う近う!」と念じてみても小生の念力は作用する事も無く念力の終焉をも感じたのだった。無念である。

 飛来したアゲハは尾状突起が見えなかったからナガサキアゲハかと観たのだが、翅の傷み具合から落とした可能性もあるとすれば他のアゲハになる。この状態で小生に種別の判断は無理なのであったものの、花色と言い落武者風の尾羽打ち枯らしたアゲハといい、季節の終焉を知らせる場面ではあった。
 「春はあけぼの」との出だしで知られるかの草紙にも秋の事は「秋は夕暮れ」と書き始められる。「夕暮れ」とあっても含みや連想は日の暮ればかりではなく、そこはかとなくかつまた包容力のある大和心と詩情を感じる。だからこその古典で名作なのだろうけれど小生にはもはや終焉だけの夕暮れしか迫ってこないのが浮世の現実・・・。

棚田の稲刈り

2019-10-09 | 月例会
2019/10/5 (土) 9:00~12:00

会 員   4名
外部団体 大人15名 子ども15名
活 動  棚田の稲刈り

 棚田の稲刈りを田植えをしてもらったボーイスカウトのグループに任せて行った。学齢前後の子ども達と保護者の参加で総勢30人だった。例年の活動なので手出しをする事も無く、見守りと落穂ひろい程度でのかかわりだ。すでに隊のメンバーも慣れてきて小生らが参加しなくても稲刈りは成立する。

 それでも稲刈り鎌を貸し出したり車道まで稲束運搬用に竹の棒や軽トラックを用意したりと関連雑務は回ってくるのだった。ハザ掛けまで活動してもらい解散となるのだったが、数人は残り少なくなった栗拾いに会友の案内で山に入っていった。小生はハザ掛け場所に余裕があったから詰まった稲束を抜き取り均等に風通し良く整えて作業終了だ。
 農家出身者は小生独りなので、こういう気配りで手間を喰う。乾燥すれば足踏み脱穀機で脱穀となるけれど、これが結構大変でお爺だけの作業者には脚漕ぎで青息吐息となってしまう。

   ➡      ➡      ➡    ハザ掛け

※ 須磨の真砂は尽きるとも、そこに苛素徒の種は尽きまじ

2019-10-08 | 性向有毒の翁なれば
             長より強い四人組

             鬼の眼に薄笑い

             目から激カレー

             リレー上手でお目こぼし

             市職会動画

             無能好調資質なき放職者

             弛道力、降長を上回れり

             やり放題凶師、降長能無し

             能無しの下に妄卒あり

             頭方式 不遜極まる!

             身を連ねて反面凶師

             いじめに師あり けじめに死あり 教育ヒヤリ 港にヒアリ

             師資心中の務死

             招いた部下らに指図され

             犯罪に有給、隠蔽に不問

             須磨の荒師に聞こえ師は醜聞 

             贔屓の傲慢 暴走煽る

二つ池の区画補修

2019-10-08 | 水辺環境の保全
 先日にニホンアカガエルの産卵域保全を行ったばかりなのだが二つ池を形成する中央畔の護岸作業を施していなかった。この畔は両側が水域なので掘り返しが殊更ひどく徐々に広がり高さを減じ、それゆえに水域を侵食させられてきた。
 林接池の駆け上がり施工に用意していた丸太が不要になったから、この二本を使い畔の護岸を施した。これで産卵域への土砂侵食が多少でも遅らせる。

 この畔の全長両端全て護岸木で設えたいけれど、適径伐採3本が必要で、伐採はともかく3~4mに寸切りした丸太6~7本を曳き出す作業を考えるとなかなか手が出ない。今回の資材も伐採2本で5本の寸切り丸太を曳き出したばかりなのである。径8寸程度の生木3mは小生の曳き馬としての身体能力では限界値に近いのだった。

 必要だと思うから着手しても喫緊の作業ではないと思えば先送りで、それでも大停電で熱中症死者を出してなお電源車300台も遊ばせていた判断よりは許される。国の隅々まで電気がいきわたり依存してしまった我が国において、原発ならずとも「全電源喪失」の事態を考慮していなかった危機管理とは何なんだろう。誰も責任がない絵空事の危機管理であったに違いない。
 小生のような姥捨て山の泥浚いで必要な木々管理、三途の河原での石積みを崩される事態などとは危機量が比較にならないほど異なる。まあ、監督官庁担当者諸氏・担当部署ともども小生と同じ程度の泥水池危機管理水準なのであろう。

                   ➡   


今日のトンボ「赤い縁紋」

2019-10-08 | 小父のお隣さん
 時折、赤い縁紋の個体を見る時もあるのだが、どのトンボにも表れるのかどうかまでは知らない。この日はマユタテアカネにその個体がいたのだが写真で見ると明瞭には断じられない出来だった。接近アップすれば明瞭間違いなしと判ってはいても翅を「ピクッ」と動かすに至っては小生の方が動けなくなる。おおむねこの段階で「The END」なのである。

 ミヤマアカネの様に目立つ白い縁紋を持つ種もあるが図鑑を見ていたらこの種、雄と雌で縁紋の色が異なるようだ。雄は赤い縁紋で雌が白い縁紋だとか。思わず「屁ー!」と言ってしまいそうだけれど、小生ミヤマアカネの赤い縁紋は見たことがない。だいたいが白い大きな縁紋で存在に気付くのだから赤い縁紋の雄は目につきにくいのかも。

林接池の手直し

2019-10-07 | 水辺環境の保全
 林接池の導水管を手直ししたのは盛夏頃だったか。その結果、水位は満水位を維持しているけれどそのために気になる箇所が顕在化してしまう。護岸木が水に浸っていないのだ。浸っていないと腐食が早まるし見た目も悪い。
 水見回りの常々、林接池に駆け上がり・浅瀬が無いのも気になっていて、先日必要な材を用意しておいた。これで手直しを一気やってしまおうとの魂胆だったが護岸木の手直しだけで済ましてしまった。10月初めだというのに蒸し暑く、駆け上がりを造作するための掘り取りは「必要でもあるまい・・・」との神の声があったためである。故に小生は朝令暮改人間であるという見解は誤解だ。

 結局、護岸木を外し、丸太の半分が水面下に浸るように掘り下げ据える作業を施すこと4本分、流路側の護岸木2本は無かったことにした。護岸木の手直しを終えたら堤の高さが気になる。丸太とほぼ同一面なのだった。盛り上げたくても付近に用土は無く、浚渫するほど泥土はたまってはおらず、それでも浚渫すれば胴突き作業で固めた層を破壊することにもなるし、結局は見なかったことにした。人生、見なかった事にする決断も心の平安には大切なのである。決して糊塗して誤魔化す様な卑怯な振舞ではない。
 そういう振舞は霞が関や永田、はたまた権力有識者達、知らぬ顔の半兵衛様の十八番なのだからおひねりも無い姥捨て山では無用の長物である。

      水面下まで掘り下げ  ➡   塩梅を確認  ➡   手直し終了

 眉の近くまで手拭いで汗止めしていても眼鏡に汗が滴り視野が歪む。そのため補水をかね一休みしながら眼鏡を拭うのだが、箸休めならぬ手休めにトンボを観ていた。このところ居続けているのか池に来るたびに飛翔を見るハネビロエゾトンボだ。胸部側面の輪郭で判断しているのだが他の水域では飛翔していない。
 手を伸ばせば届く距離まで回遊して来る。これも作業している小生だけが体験できる特権と自覚はするが手は差し出さないし伸ばさない。まあ、あのぶそくった人気者たちのように金貨や高額商品券の回遊が皆無の特権は寂しく孤独である。

毎朝の濁り

2019-10-07 | 感じるままの回り道
 フイールドへ到着し水見回りが日課のようなもので、この時にトンボの撮影が多く、そのトンボもめっきりと数と種類を減らしてきた。トンボに代わって蛇の幼体が度々目につくものの「こんな時期に孵化したのか!」と思えるようなサイズも見る。
 大概、ヒバカリとヤマカガシで、この日、車道で圧死していたヘビは恐らくタカチホヘビではないかと思ったけれど細かいアリがたかっていたので手にはしなかった。

 さて、水域での変化は濁りが多発してきた事にある。威野志士様の仕業ではなく、経験から「コガモ」と推定しているものの姿を確認していないので確証はない。それでも今期、水辺の補修に刈り払いを返上して努めた結果、水域の環境が適ったのだろうか、棚田部まで濁りが出ている。コナギを採餌しているかどうか知らないが水深を深くしたから休息には今までよりは向いていると思う。
 写真は上の池であるが、ほとんど全域が濁りだ。水深60cm前後で猪が毎晩遊ぶには条件が悪く水鳥の仕業と考えるのが妥当だろう。

迷い咲き、狂い咲き

2019-10-06 | 感じるままの回り道
 フイールド駐車場のフジサクラの一部にチラホラと花が見える。もともと小ぶりの花だけれど春の花よりもうらぶれた咲き方である。春に開花しても気にする人もいないサクラの品種だから、今時、チラホラ花を見せても気付いてくれる人もいないのであった。

 たまたまこの日は列植された立ち木に孟宗竹を渡し棚田で刈り取った稲束をかけていたのだったが、外部の参加者も含め30人ほどいたのにかかわらず小生だけが見上げたに過ぎない。それほど目立たない開花だったと言うべきか、それとも些事抹消など気にしていないのかわからないけれど、まあ、小生の手出しする部分は無くて暇をこいていたからなのだろう。

 季節外れの開花を狂い咲き、迷い咲きなんて評するけれども、そんな状態がしばしばどころか当たり前になってしまうと「あんまりだ」なんて想いになってくる。これも路頭でウロウロするしかない暇人の証か・・・。

                      

ステージを撤去する

2019-10-06 | 今日は真面目に
 長らく快適な場所を提供してくれていた原っぱ部のステージだったけれど、寄る年波にはかなわず踏み抜かれると大怪我の原因にもなりうるから撤去した。腐食が進んだのは未使用の建材を集積してブルーシートで覆ったことにもある。風が通らなくなりシロアリが大発生して腐食を速めてしまった。材が大事とばかり「角を矯めて牛を殺す」ような塩梅だ。

 材の腐食が進んだのでゲンノウ1本で破壊できるかと思ったのは大間違いで、丸太の心材は強度を保っていたし厚板も中央部はすっぽ抜けるほど腐食は進んでいなかったからである。結局はバールを取りに道具小屋まで戻りバールを持ち帰る。解体はバール1本で事足りてゲンノウの出る幕は無かった。我が見立ても大したものではなかったとゲンナリ顔で苦笑いの手太楽なものの知る人はいない。ほんと「ゲンNO」だったわい。

 渡したままにした梁材3本は水辺の補修に使える。オーバーフロー部を丸太で形成するよりは梁材のようなサイズの大きいブロックを沈めれば丸太より水抜けは段違いに減らせるからである。4寸角の柱材は水辺の杭として使うつもりで、野ざらしでシロアリの餌にするよりなんぼか良いだろう。
 今回、ステージを撤去したことで梁材が出て、オーバーフロー部の手直しも課題となってしまった。なにによらず物事は連鎖反応のように、あるいは芋蔓式のごとく連なってくる。
 これらは因果応報、自業自得と言ったところだろうか、それとも動けるうちは牛馬のごとく動けとの神仏の御心なのかどうか判るはずもない。シロアリも白髪のお爺も、僕らはみんな生きている。ステージを去るまでは…。そのステージさえ無いのが下々弱者で先も読めない浮世になってしまった。

                 ➡    

竦んだはmeか巳ーちゃんか?

2019-10-06 | 感じるままの回り道
 拠点へ水筒を忘れ取りに戻る途中立ち止まってしまった。足元にシマヘビがいたのだが動かない。奇妙なことに一見ジグザグの体勢に見えた。こんな姿勢は初めて見るのでそのまま観察したのだった。体長80㎝程度の中型のシマヘビなのだが筋骨隆々とさせて緊張状態なのが目に見える。
 そのうえ、いわゆる蛇行姿勢というより「つづら折り」みたいに細かいのだった。お互いに微動ともせず呼吸を測っていたものの、小生の方が誘惑に負けカメラを出してしまった。まあ、アダムとイブの昔より蛇の誘惑に負けるのは、そうと相場は決まっておるのだ。リンゴは無かったから拠点で生栗をかじってみたが少年時代の時ほど美味しさは感じなかったし栗の葉では隠れない。ましてやイブなど伴ってはおらず、この顛末イーブンとはならぬ小生の負け。

 下に掲げた2枚撮影し立ち竦みは終わり、跨ごうと脚を出したとたんに斜面を下り去った。それも蛇行ではなく1本の直線状に滑り落ちたのだった。「変なヘビ…」と思ったものの、もしかしてツチノコの幼体かもしれんと思い直してみたのだったがツチノコの生育など知る訳もなく、年の功も役に立たなかったし蛇の道は「じゃあ、またねー。邪魔したねー。」の一直線だった。

                     

おいしいミカン「はるみ」果汁で醸造酢。熟成6カ月

2019-10-05 | 何よりの楽しみ
 熟成瓶    取り出したバイオマット
 3月に商品になれなかったおいしいミカン「はるみ」を頂いた。可食出来る量は食べたものの痛みが早いのでジャムと果汁に加工してしまった。そのジャムは「はるみ」特有の風味を持っていて濃厚な味わいだったけれど8月には食べつくしてしまい残ったのは床下収納庫で熟成させていた醸造酢のみで、すでに半年経過したから取り出しての結果確認である。
 3月末に酢種は無いので酵母で発酵させた後、ボールに入れ開放面で放置、酢酸菌の感染を確認してからの貯蔵熟成である。

 量としては2ℓ貯蔵瓶に8分目程度で、熟成中に二回ほど揺すって撹拌したからバイオマットが2枚形成されている。このバイオマット、見かけによらずしっかりとした物体となっていてトングで挟んでも指で摘まんでも崩れる気配さえなかった。取り出した2枚は貯蔵瓶で冷凍保存して気が向いたらまた醸造酢を作る酢種にする。
 ひところ一世を風靡した「紅茶キノコ」という代物はバイオマットだったのだろうか、そんな気がしてきた。

 バイオマットのほかに瓶の底には漉し切れなかった澱も沈んでいるので、簡単にお茶パックで濾過しながら捨てずに取っておいた酢の容器に移し替えた。900ml1本満杯と500ml程度だったから、全体で1.4リットルになる。さて肝心の出来であるが、開封時には酸の匂いがしたし、小さじで口に入れても酸っぱい味はする。腐敗臭は無いものの恐る恐る甘酢仕立てで調理に使っての試食だ。

 生ワカメが無かったし柿もなかったから人参の甘酢漬けで味見をした。食えないほどではないけれど酸度が薄い印象がした。酸度を測ろうにも計器がない。ネットで調べたら薬品を使って結構面倒な作業だけだし、酸度計を購入してまでの必要もないし、醸造酢の酸度は不明のままで終わり。また素材が人参という個性の強い材料だったことが酢の風味を隠した面もあろう。
 それでも「はるみ果汁」で醸造した酢とは言え、その風味までが保たれたとは思えないのだが、まあ、小生は全くの素人で初心者、とにもかくにも「酢」となったことで充分であった。

 さて試食の結果、今のところ身体髪膚に異常は見られない。キノコなどでもそうなのだが初めて試食する時は少量食べて時間経過を観察し、ようやく安心して調理可食の段階を踏む。今回も同じ段取りになった。
 郷里から新米が到着したし、今日はフイールド棚田の稲刈りである。近々、雨天にでもなった時に酢飯仕立てに渋皮煮と昆布の角煮を乗っけて独り収穫飯を喰おう、と妄想が奔る事自体、侘しいし酸っぱい老後である。まあ、我が人生なんて生涯かけて醸造してできた酢のようなもんだわい・・・が、屁でなくて良かった。
 
     瓶詰   ➡    バイオマットも保存   ➡    甘酢漬け試食

ニホンアカガエル産卵域の保全作業

2019-10-04 | 水辺環境の保全
 前日に護岸用の資材を林内で伐採し林道わきに置いたのを現場まで曳くのから作業を開始する。都合3本を曳いたのだがこれだけで汗ばんでしまった。曇天だったとはいえ力仕事には涼しさは無縁の残暑であった。

 曳くのはロープでなくトビを打ち込んで曳いたのだが突然抜ける事が多いので気を遣う。ロープでも良いのだけれど擦れて傷むし泥で汚れるしで使いたくない。ロープだと抜ける事はまず無いものの、どちらも一長一短ある。トビを打っての曳き回しは一体感がある反面、突然すっぽ抜け柄の先端が腹部や胸部を直撃・心停止なんて可能性も無きにしも非ずだしバランスを失い大転倒なんて事態もありうるのだった。

 とにもかくにもそのような事態にはならないだけを気を付けて所定の場所まで曳き、並べる位置の見当を確認してから据えた。据えること自体は楽勝の部類だけれど足場が泥濘部なので、これはこれで動き難い。自ら行っている作業に文句を言っても始まらないからそこは粛々と行って済ましたのだが来春の事とは言え、準備が整ったので一安心だ。
 この付近はニホンアカガエルが産卵をしている場所で、威野志士様が水際を掘り崩さなければ余計な設えはしたくなかったものの掘り崩すことは周年の出来事で、そのために水域が浅くなる一方なのだった。そのうえ水深10㎝程度での維持だからひとたび漏水すれば真っ先に干上がってしまう。産卵後は湛水第一で気を遣う場所だ。

 産卵場所を観察すると「日陰・浅瀬・止水」の三条件があるようで、ヒキガエルは「日向・浅瀬・止水域」とお互い一線を画している。それに合わせヒキガエル用には棚田部の手入れを済ませてあるが、ヒキガエルの産卵はニホンアカガエルほど神経質でなく、体格通り鷹揚な選択なので、あえて用意せずとも好きなところで産卵している現実もある。
 とりあえずニホンアカガエルの産卵域の準備を済ましたから、これからの水辺の手入れは水見回りしながら対処していけば良いだろう。

    見当を観る   ➡    据え付け   ➡    浚渫土で埋め立て


用材を間伐して調達

2019-10-03 | 今日は真面目に
 久しぶりの伐採作業である。足拵えもスパイク付きの地下足袋にしたのだが荷室に脚絆が見当たらない。脚絆を当てないとどうしても足元不如意に感じる。何よりもズボンの裾が飛び出すと煩い。しばらくは用無しと洗濯したままなのか記憶にないほど間が開いてしまった。

 伐採場所は用材として使いたい二つ池に近い斜面を選んだ。径250mm前後で3mの長さを6本欲しいので、当座は3本の伐採のつもりで牽引器をも携行である。林道至近の場所とは言え林道に直接落とせる余裕はない。樹間を選んでも左右から枝が伸びた場所ばかりで枝の太さを考えると「掛かり木」は必至と観ていた。

 最初の1本は思惑通り掛かってしまい牽引器の出番になる。足場のない傾斜場を掛かった木と牽引器を固定した樹を結ぶために往復する。独り作業なので手間を要するし無駄が多いのだ。先手を欲しくても慣れた人はおらず、結果的に独りでも骨惜しみせず丁寧に作業を進める方が安心だ。

 2本目は1本目が落ちた空間に落とせたから難なく着地し、枝払いをし玉切りし枝を集積してこの日の作業は終えた。この丸太を護岸に使う場所まで移動をしても良かったのだが、ロープで林内を曳き行くのも1本行ってうんざりした。次回はトビを使い転がして移動するつもり。資材調達ができたので二つ池のニホンアカガエルの産卵域の土砂止めと林接する池の浅瀬を形成するための設えが出来る。
 林接する池にはここ毎日、体長70mm程度のトンボがいる。エゾトンボ科のハネビロエゾトンボかとみているのだけれど確証はなく過日「この付近でテネラルを見た」というのが想起の元でしかない。

 一本目は掛かり木  ➡   牽引器で落とした       2本目は順当