トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

傾斜木の伐採、半割り

2020-10-12 | 今日は真面目に
 何年前の強風だったか、二本並んで傾斜してしまったヒノキの大木、伐採するにしてもさしあたり用材としての使い道も無かったし倒れたところで崖に掛かって人身事故につながるような環境でも無いので放置していた。今回、水桶と半割にして橋の用材にしたいから覚悟を決めて準備した。
 立っている場所は斜面の角で足場が悪いし二本並んで傾いているから間での作業は狭い。空間のある側で作業位置をとると枝の張り出しが多い方向なので作業位置に回転しながら倒れる可能性も否定できない上に、既に傾斜している大木だから伐倒寸前で跳ねたり爆ぜたりするような思わぬリスクも存在する。いきおい慎重にならざるを得ない作業なのだった。

 胸高直径40cmほどで、伐採後に年輪を数えたら55年生だった。年輪を詳しく見ていると太りが1年で1mm程度の年もあれば6mm程度も太った年もあった。バウムクーヘンのように等間隔の年輪が出ないのはやはり自然環境からの影響なのだろう。受け口が小さすぎて上端が崖に届かないところで止まってしまった。何のことは無い、傾斜を更にきつくして危なくしたのだった。仕方が無いからこの状態のまま水桶を作るブロックを切りだした。こういう行為は「掛かり木の玉伐り」と言い厳禁作業なのだが他に取るべき方策も浮かばない。危険を避けるために様子を観つつ少しづつ切り離し地上に落としたが、半割丸太にする2mを採りたい。これも上部が崖に掛かった状態で切り離す、やはりやってはいけない「掛かり木を玉伐る」になった。

 本来ならば木元方向に曳いて崖から落とすか上部を曳いて崖から落として作業をすべきなのだが崖の上になった太い枝払いをしないと動かないし、届きもしない太い枝を払うなど出来もしないのだった。今回の危ない玉伐りは立ち木に掛かってしまったのではなく崖に掛かって「落ちようもない」状況だったから「思いもかけない動き」に留意しながら望めば良かっただけ楽だったかもしれない。ただ樹木が大きいだけに伐採する前は光明真言を唱え安全作業を肝に命じたのだった。

 半割丸太に使うため玉伐りした丸太に楔を打ち込んで割った。2mを越える丸太を楔で割るのは厄介だったがチェーンソーで切り割りするより「作業している」格闘感がある。まあ、さすがに疲れた。

          

**総括しちゃった咳群永田、総括しない無責群永田・・・

2020-10-12 | 性向有毒の翁なれば
            咳も出さない平熱だんね
                   忍び寄るのは悪霊だけん ハアコリャコリャ

            権謀術数磨いてなんぼ
                   品性粛々夜変る ハアコリャコリャ

            怖い執事が坊ちゃま操縦
                   それが今ではダイレクト ハアコリャコリャ

            長期操り伊達では出来ぬ
                   浪花節とは能天気 ハアコリャコリャ

            権力握ればもろ手で剣
                   抜いて押し切る錆刀 ハアコリャコリャ

            浪花節だけ天々高し
                   他にないのか人となり ハアコリャコリャ

            政ゆえ君子は寄らず
                   浪花節だよ塵政は ハアコリャコリャ

            勝手嬉しいはないちもんめ
                   名簿の小父さんコリャいらぬ ハアコリャコリャ

            徐衆徐衆とタンクは進む
                   徐衆いよいよ済みよるか ハアコリャコリャ

            帯に短したすきに長し
                   永田にゃウンカ稗ばかり ハアコリャコリャ

            風に追われて店子は去った
                   エントロピーに押し出され ハアコリャコリャ

            文書サクラも箒ととぼけ
                   喉の仏のペーコペコ ハアコリャコリャ







文字通りハネナガウンカ

2020-10-11 | 小父のお隣さん
 S先生に呼ばれてツバキの葉を覗いたら、そこには小さな虫の大きな翅が見えた。第一印象はヨットだった。「ハネナガウンカ」と言い見かけるのは珍しいのだとか。小生は初めて見た昆虫である。とにもかくにもちんちくりんの体に長い翅を付けている。一見、太陽光パネルに見えなくもない。
 頭部と思っていたのはお尻で、頭部には微細な口吻がついていた。まあ、ウンカの類だから当たり前田のクラッカーだろうぞ。家で思い返しても「ハネナガ」なのか「ナガハネ」なのか記憶が曖昧だったからネットで確定させた。近腫がアップされていたけれどこの写真のように横脈がしっかりしていた写真は無かった。たまたまなのかどうか分からないけれど二度目の観察は無いのだろうと思っている。どちらかと言えば珍しい類らしいのだが、そもそもウンカに注意を払う事はないのだった。

 米作農家生まれで育ちだから「ウンカ」の名前は珍しくも無いけれど、個体そのものを観察したことなど皆無だし、近縁種のハゴロモやヨコバイなども興味の対象外なのだった。ウンカと言えど、それでも眺めてしまう姿かたちだった。「ウンコ!屁ェー」は臭いが「ウンカ?、へー!」は臭くなかった。小生本人が臭いのは加齢の結果で非はない。

          

コナギの抜去、ようやく終わる

2020-10-11 | 水辺環境の保全
 棚田部のコナギ抜去がようやく終わった。今期3回目か4回目になるはずで、前回は造林鎌で刈り、根を残したから悔いを残す抜去回数が増えたのだ。手軽に横着に行えば付けが来る。今回もそのつもりで造林鎌と熊手ガーデンレーキを用意し、根茎を残したくないから熊手ガーデンレーキで引き抜いてみたのだが、うまくいっても周囲の藻まで搔き集めてしまう。その中にはヤゴもコエビも水生生物が多いのだった。結局は造林鎌も諦めて手抜きとなった。やはり作業に手抜きは出来ない。

 抜き取ったコナギは畔に上げるのが楽なものの、そのままではおっつけ威之志士様の跋扈蹂躙に遭い湛水構造破壊に繋がってしまう。そこで棚田中央に設えた整流堤に投げ上げた。ここは僅かな水流を田全域に廻すための構築でエコトーンも兼ねているから跋扈蹂躙されても許容範囲なのである。
 抜き取った一部は田の周囲に繁茂したイヌビエを陸地側に倒し戻らないよう重しとした。これは威之志士様の跋扈蹂躙場所を提供する結果になる事必定なものの稔った穂は集積するにはもったいない。

 棚田部の抜去を終え、少し時間が早いから温水田のコナギ少々とカサスゲを抜いた。これでこの棚の冬の準備は終えたけれど、今期の刈り払いは9月に済ますことが出来ず残っている。

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今日のトンボ「一瞬、躊躇なき連結」

2020-10-10 | 小父のお隣さん
 撮影する時は「マユタテアカネの連結体」と思って撮影したものの写真をみていると、その確信が揺らぐ。いかに判断材料を認識していないか分かる事態だ。顔を一瞥できれば確定できるけれど、側面でオスとメスが写っていても判らないものは判らん。
 飛行中に「お繋がり」をする現場は珍しくもないものの藪から棒に突撃し、すでにその時点で連結は成り立っている。ホンに一瞬の出来事なのだ。

 好調な打者や熟練の立ち合いは球筋や太刀筋が「止まって見える」と聞くがトンボのオスも本能で習性であってもその範疇なのだろうと
想像する。一瞬にして躊躇なく連結した後は何事も無いように威風堂々と飛翔おわします。佐々木小次郎の「飛燕切り」や宮本武蔵の箸で飛んでいるハエを掴む技などもそんな芸当だったに違いない。この時の武蔵、馬糞を舐めて飛んできたハエを掴んだ箸で沢庵を摘まんで食べたのだろうか。武蔵と言えど「清潔不潔」の領域は無かったに違いない。
 さて一方、永田町は忠恕無き習性で野合の繰り返し、はてまた忠恕無き深謀遠慮の泥田のままである。まあ、お互い銭湯でシャンプーと石鹸を貸し借りしながら汚れを落とそうにも細かな泥土は落ちにくく爪を染めるだけだ。それの明け暮れで年を越せる輩は幸せな黄色い脳を持っているに違いない。昔は「黄変脳」と言ったが、どこから輸入したものか…。今では世界各国に蔓延しパンデミック状態、新型コロナより恐ろしい。郷里の同級生に「黄色い声」の持ち主がいた。還暦を過ぎてもそのままで、思い出しても懐かしい。

 さてさて子どもの頃はトンボのこの姿勢が交尾そのものと思っていて「後頭部にあるのか…」と言うような認識だった。日常茶飯事でもあったから性教育の一端は担っていたように思える。それがそうでは無くてイトトンボでは明瞭に見える「ハート形」の時に精子を受け渡せるのだと知ったのは、このフイールドで水域を設える活動するようになってからだ。
 だからどうした訳でもないけれど、まあ、身近な物でも勝手な解釈や思い込みで人生の大部分を過ごすこともあるのだというお話…越後ではそう申しましたとさ。記憶の言葉ではイチゴサッテモウシタモウシタ・・・。

 何と言うべきか、そのあいまいな筋たての昔話でも瞬時に語りが出てくるような父母やジジババは居なくなったように感じる。絵本の読み聞かせは「大事」と言われるけれど紙面を読まずに、たとえ一話でも童話を自分の言葉で語れる事はもっと大事だと思う小生であった。イチゴサッテモウシタモウシタ。

           

幾何回転体を急ぎ働き・・・

2020-10-09 | 今日は真面目に
 頼まれたと言うべきか打診されたと言うべきか、「軽トラ市」に出す玩具を揃えなければならない。小生の心づもりは年が明けて1月末開催見込みの「森の市」だったのだ。製作するのに当たり実物見本が欲しいから木の玩具を何種類か残しておいて、それを目安に「そろそろ切り出し」を始めなくてはと思っていた矢先だった。当然、手持ちは無いし日にちが無いから手の込んだ玩具は作れない。簡単そうに見える玩具でも手間暇は要するのが木製玩具なのだ。

 今回はまあ、お義理にと言う感覚で「幾何回転体」の玩具にした。円盤2枚を合わせた形でも出来上がるまでには製図・糸のこ盤・ボール盤・木工旋盤・糸のこ盤・組み立て調整・接合・塗装と段取りは多い。それでも他の立体玩具よりはシンプルなので2種類を作る事にしたのだった。
 「コロコロ」はパンケーキを90度違えて結合させた形だが、結合深さで動きが異なる。両円盤の中心距離を半径に設定すれば「不等高重心」となり揺らぎが見える。中心距離を√2rにすれば等高重心となり、転がりは安定して見える。前者は「オロイド」と呼ばれ後者は「ツーサークルローラー」と言うのだとか。反対かも知れないが小生は「コロコロ」なので支障はないし、受け手もそこの違いなど気がつかない。

 中心間距離を零にしたタイプは等高重心体で「スフェリコン」とよばれる。今回は軽くて安い杉板を使った。薄いと割れやすいけれど相互に挟み合っているから弱点はカバーし合える。この杉材にしたことで加工の手間暇が節約できたのだ。丈夫さが取り柄の材を使うと加工時間が長くなる。板厚のある二体は猫用の玩具として作ってみた。丈夫さが取り柄だ。小生的には「コロリン」と呼ぶ。
 
        

 下の四点は「ヘキサ・スフェリコン」と言うそうで、恐らく小生のオリジナルデザインだ。回転しやすく加工はシンプルに、とバリエーションを工夫してみたのだが力の掛け方や転がす角度にコツが必要で「幼児の玩具」には向いていない。どのタイプも「優しく転がす」必要があるのだが、大方は放り投げたりする場合が多くて説明するのも疲れるから展示もしなくなった。この呼称も小生的に「ゴロタン」である。どれも転がり方を評した呼称である。
        
          

 軌跡と言うか軌道は稲妻型で急角度で方向転換する。そのため慣性エネルギーの消耗が大きいしバランス調整が難しい型だ。運動エネルギーを蓄えたくて重くすれば方向転換点でスリップしエネルギーを失うし、軽くすれば曲がり切れない。転がらせる床面との摩擦係数も大きく影響する動き方なので緩傾斜面で転がすのが適当なのだろう。まあ、転がらせて「なんぼ!」の厄介かける回転体だが、お蔵入りの玩具でもある。
 本稿を作っている間にメールが来た。「降雨のため10日の稲刈りを11日に変更する」と言う内容だったが、これで11日の市への参加は流れた。作った玩具は1月開催予定の市までお蔵入り・・・。
   

      

ペンペングサも生えん!

2020-10-08 | 小人閑居して憮然
 会友のMさんが今期初めて開花したトチノキに実が付いたかどうか話をしていた事で、ひと尾根越えたところの母樹にトチの実を拾いに出かけたのだったが林床は散々たる有様になっていた。近くに大粒の実を落す栗の木が2本あってそれを狙い威之志士様が日参、いいえ毎夜参じた結果だ。もう植生も消え失せて裸地になっていた。これでは埒もあかない。

 拠点、道具小屋の周囲にクリの樹5本ほどあるものの、林床はここまで裸にされてはいない。全くと言って良いほど人の出入りが無くなった結果だろう、勝手気まま縦横無尽ぶりだった。周囲の沢もトレイルも手入れがされなくなって通るにはいささか勇気がいる環境になっていた。最初はこの区域を活動対象として道を整備し侵入竹を伐採し倒木を処理し、おチビちゃんたちの散策ルートにもなったのだったが栄華盛衰そのままを見た感じだった。

ワークショップより魅力的…な谷底

2020-10-08 | 何よりの楽しみ
 頼まれて春先に蒸留水や発酵シロップ作りを行った郊外のプレハブまで出かけた。レモングラスとヒノキ生葉で芳香蒸留水の実演なのだが、水道が小屋内に無い外付けなので外で蒸留するつもりだったのだが風防を忘れてしまった。これでは焔が揺らぎ加熱効率が下がる。結局は室内で蒸留し冷却水の導入と排水は窓を開けて行った。窓の外では排水がビチャビチャと煩いし駐車場まで流れ出して漏水に見える有様だ。

 一度仕掛ければ、後は蒸留水が溜まるのを待つだけで人の手も人の目もあるから場所を離れても大丈夫。息抜きに外に出たところでアサギマダラの初見となった。終了後に散策しながら撮影機会を狙ったのだったが不発。そうそううまくはいかないのが我が人生だ。

 それはともかく、一体の雨水を集める調整池が直下の谷底にあった。砂防ダムらしき堰堤は高くてアルミ製の伸縮梯子が掛かっていた。遠望なのだが5~6メートルはありそうだった。
 斜面はクズで覆われた急傾斜で登り下りは恐らく不可能だ。若い頃、渓流釣りで「下れる」と思った草の斜面は下り始めると身を没する深さで逃げ帰った事があった。その時よりクズのジャングルは深い。堰堤の外側には集落が近かったので、そちらから接近進入しているのだろうが梯子があっても調整池内の管理はされていない。

 しかしながら雨水だけの調整池と言っても水面は広いし深さもあるように見える。水域に侵出し始めた木本を排除すれば開放面が現れるはずで、そうすれば冬鳥の休息地にもなるだろう。この場所より北側の集落近くには少し大きい溜池があって「渡り鳥のお宿」なんて立て看板もあった。ここなら水面面積は小さくともトンボやカエル、はてまたクチボソなどの在来種のリザーブに適いそうに思える。まあ、小生が手を出す余裕はないけれど、何とも魅力的で、ほっといては宝の捨て腐りだろうなあ。
 レッドデータ云々するより、こんな場所でも具体的に手を入れた方が絶滅緩和には役立つと思えるのだが、一方では我がフイールドもそうだけれど、ウシガエルを放したりオオカナダモを投げ込んだりする輩も絶えないから、まあ、こういう輩は猪鹿猿と同じ絶滅渇望種で未来永劫絶滅しない。

            

水辺のアナ、穴、孔

2020-10-07 | 水辺環境の保全
 度々漏水の発生する箇所はだいたい同じだ。これは漏水路を全て潰せない事に由る結果で、所詮漏水路地下構造など把握したくても出来ない相談である。この泥水池2と3を繋ぐ水路にも完治させられない漏水部があって№4へ漏水している。その結果№3が減水することになるのだが、漏水部の目当てはあるのでさしあたり粘泥土でも寄せておけば緊急避難にはなっていた。しかしいつまでも斯様なその場しのぎは続くわけもなく、刈り草の場外搬出を機会に周囲の清掃をしておいてトレンチを行った。

 護岸丸太の岸側に沿って掘り進めるとほどなく漏水孔が現れた。拳が入るほどの大きさだ。近くには通水こそしていないが恐らく過去に手当てした漏水孔の残骸があった。この場所の護岸丸太は水底に置かれただけのような設えなので、一旦、丸太を排除し深さを与えるよう土を掘って戻した。丸太の上面が水位と同等にまで沈ませたかったのだが胴突きで打ってもそこまでには沈まず、再度掘り上げる元気もなく埋め戻した。だが漏水孔の周囲は深く掘り下げてから土を戻し胴突きで固めておいたから「生物的漏水」であっても数年は持つだろう。

 トレンチ ➡    ➡    ➡   覆土鎮圧し終了

 あーあ、山のアナ多でそら見た事か 汗水垂らすと他人の言う 我ダダ濡れて帰り来ぬ 山のアナ多と他人の言う アナ多はあるけど貴女無し キジョランある上アナ多ある じょんのびじょんのび えちごではそう申しましたとさ・・・

渡河点にナリハテタから・・・

2020-10-06 | 小人閑居して憮然
 ナリハテタと言うチョウは居ないが成り果てた事実はある。シェルター水路として構築した絞り水により涸れない水路、林道の擁壁下は幅40cmほどの泥地にしていた。それと言うのも年中日陰だし擁壁には苔が育っているから、この環境を好むヤブヤンマなどの産卵場所として設えていたのだ。それがある時期から威之志士様の通り道になって擁壁の苔すら剛毛で擦り落とされコンクリート地肌むき出しにしてしまった。
 この剛毛で磨かれた表面は「おいらへの当て付けかい」と更に許せん気分だ。

 威之志士様がまかり通るようでは産卵されても被害を受けるだけの場所でしかない。この日、天気予報は「9時頃より降雨」だったが雲底が見えるので作業を済ます時間はありそうだからと出かけた。泥池と言っても林道擁壁を作った直下だから工事の残骸、粘土質の中に青い岩石の破片が詰まっている層でスコップだけでは浚えず、ツルハシで砕いてから浚い取り頭部より高い一輪車に放り上げる作業となった。
 掘り取り長さは4mほどで一輪車何杯になっただろうか、まだ先が見えないうちに小雨模様になったものの、既に顔面から泥汚れで頸のタオルでさえ絞れば汗が滴る有様では小雨など屁でも無いものの、息が上がっていては屁も出ない。

 最後の数車は帰り際のYさんが手伝ってくれたから小生は掘り上げるだけで済んだ。一車ごとに林道へよじ登り埋め立て場所に運び、また泥地に降りる一連の上下動は結構ご老体には堪えるのだ。よじ登るのに腿上げしなくてはならず。降りるには高さがあるから腰に響かないようスコップに支えてもらい脚を落す。まあ、てなもんや三度笠であっても無事落着で祝着至極!。
 ざまあみろクソイノシシッ!と留飲はわずかだったが威之志士様らは「クソッ、クソジジイ!」とブウフーウーと言っているのだろうて。ともかく「この馬鹿どもらが!」と少々雷を落した気分ですっきりしたものの本質は意地悪爺さんであったわい。

              ➡  

やっとこさ場外搬出

2020-10-05 | 今日は真面目に
 刈り草や抜去除草体は場外搬出しないと威之志士様の跋扈蹂躙に遭って無残な掘り返しに見舞われることになるが、その後始末に明け暮れるお爺には誰も見舞ってはくれないのが世間であり人生なのだった。
 あの「愚痴は言うまいこぼすまい。これが漢の生きる道!」と追従して胸を張ってみたけれど痛む腰を伸ばしただけに過ぎなく、そう、世間はすげなく所詮はお爺の妄想で「威之志士様がいない頃はこんな作業は不要だった」と威之志士様に恨みつらみがつのる。そうそう、「豚熱に見舞われて全滅してしまえ!」もカサスゲに風なのだった。そうそう現実はどうにもならず、おいらがコロナに罹患しないよう気を付けなくては・・・ならん。

 さて、泥水地と棚田部の除草体をようやく場外搬出できた。万全を期するにはガーデンレーキで掻き集めて「綺麗」にすべきなのだが、あまり綺麗にしすぎるのも環境破壊につながってしまう。既に開花の終わったミソハギも地上30cmほどのところを鎌で切り取った。カサスゲの繁茂しすぎている水辺もそのように刈り取って場外搬出した。
 刈り払い機で地際から処理すれば見た目は綺麗になるけれど、それではバッタも棲めないしカエルやヘビも身も隠せないから遠ざかってしまう。これでは生物多様性を維持できない。小生が刈り払わないから見かねて刈り払ってくれる人もいるのだが一律に地際から全草刈り払いに終始してしまうので「環境破壊だ」と思いつつも善意からくる行為を軌道修正させるのは難しい。「環境保全」に対する理解や関心よりも「刈り払いとはこう」が摺り込まれている。「水際だけは刈らないで」が精いっぱいのブレーキなのだ。
 とかく世間は難しい。あの一文「智に働けば角が立つ情に竿させば流される」そのまんま「つらみ」で終わる毎度なのだった。それでも生命線は維持できたし場外搬出も大雑把でもかたがついたし、今期最終となる林内刈り払い作業に着手できそうだ。

      泥水池2と4の堤  ➡   泥水地3と4の堤  ➡   場外搬出量

アサギマダラ、フイールドに出た!

2020-10-04 | 小父のお隣さん
 9月30日に郊外の古墳史跡で飛翔を初見したアサギマダラ、今日ようやくフイールドでの初見となった。アザミで吸蜜していたのだが、近くのフジバカマの花には飛んでこなかった。
 作業を終え、林道に降りた地点で飛翔を観たのだが、その作業はシタキリソウの手入れだった。シタキリソウが桜の朽ち木に尖塔のように見えていたのがこの春先の事で、夏に入る頃には途中から折れて見えなくなった。それは小生には「幸い」ともいえる事態で、これにより「アサギマダラが産卵し食草となっているかどうか」を確かめられる。昨年末に食痕と思われる葉を多数見ていたのだが数メートルも高いところで詳細は不明のままだった。
 その観察を今期やるために周囲を整理し下山したところだったので、これも何かの縁であろうか。自宅のフジバカマでは飛翔未確認だ。

 帰り間際、駐車場で春以来のアカボシゴマダラの飛翔をS先生等と見ることが出来た。アカボシゴマダラも滑空するからうっかりするとアサギマダラと間違えてしまいそうだ。このアカボシゴマダラ、今期の個体数は県内でも少なかったようで理由は不明だが栄華盛衰でなくとも生物界にはありうる事なのだと教えられた。

            
     

判っちゃいるけど恨み骨髄

2020-10-04 | 小人閑居して憮然
 もう「くそっ!」なのだった。植え付けてやられるのは明白だったから忌避用に臭い農薬をパラパラと置いていたのだが日にちが立つにつれてついにノアザミの大株は露出し移動させられていた。今期、この株で採種し発芽させポット育成の定植苗はすべて跡形もない。来期にはどの株も開花して食草園の一画を魅力的にしてくれるはずだったのだ。
 仕方が無いからお手紙書いた、では無く、大株は元の場所に埋め戻したのだが、一旦は根の周りの土を落された株でも冬が来る前に活着できる時間はあるだろう。クソッ!クソッ!クソッ!で悪戯ミカンを置いてきても、これは一週間経っても触りもしない。二週間経っても同じ位置、蜜柑は腐り始めて本当に血圧が上がる・・・。
 不思議な事は、ノアザミ定植に先立って梅雨の頃に定植したイチョウの幼苗は全くいたぶられていない。植え付けた周囲には闊歩蹂躙されているのに、なのだ。たまたまとも思えずイチョウが嫌なのかどうか気になる。まあ、幼樹だから銀杏は木に生らない。

 ノアザミを定植した折に山土を柑橘とサンショウの株に一輪車で運び客土しておいたのだが、サンショウの葉が緑に変わってきていた。それまでは枯れ死寸前とでも言いたい黄葉だったのだ。田土だけの堤だったから木本には厳しい土壌なのだろう。この黄変の葉が緑に回復した事だけでも慰められる。物の本に書いてあった記憶で「黄葉になるのは微量要素の不足」とあったように思い出した「田土に無くて山土にある微量要素とは何か?」。まあ、考えるより客土し腐葉土を施せば万事済むのだ。

           

集積竹の移動再集積

2020-10-04 | 今日は真面目に
 過日、林床に日照を届けるために伐採した後処理をようやくかたをつけた。ついでに乱雑に集積された竹をコンパクトに集積しなおしたのだ。一斉作業で除竹活動を行うと伐採した竹の集積は近いところに集約されてしまう。望むべきは使えない窪地や湿潤部に引っ張っていき、そこで切り刻んで集積してもらうと後々の刈り払いや植栽に差し支えないのだが、やはり「易きに流れる」傾向があって「ひと手間かけて、後々に生かす」作業の進め方は標準化されにくい。
 その理由の一端は、一斉作業に参加する大部分はその後の刈り払いや植栽には関与せず「その時だけ」の傾向が強いから「こうしておけば後々楽である」なんて時系列での視点や気配りは持ってはくれないのだ。

 その結果、本来は刈り払いを続け、機会があったら植樹したい地形に乱雑に集積される事になる。容易で楽なのは小生も承知だけれど、それだけで刈り払いの足場は悪くなるし危険になって作業が遠のくと、クズやフジ蔓が蔓延って手の付けようがなくなるのだった。

 今回、一部だけだけれど傾斜面に再集積し崩れないように両端は立ち木を支えにしてあるから杭より安定し危険は無い。これで平坦部が現れて刈り払い作業も楽になるし植栽しなくても自然実生樹の選抜で林を形成しやすくもなる。
 この移動作業中にネズミとヒキガエルが現れた。ネズミはすぐに姿を隠したが家ネズミほどの体長で毛色は茶色だった。こんな色のネズミは初めて見たのだ。頭胴長10cm以上はあったからアカネズミなのだろう。
 ヒキガエルは掌大で豊満な体型だ。水辺から数百メートルは離れている場所の朽ちた竹材の中に隠れていたものと思える。まだ冬眠前だから追い出してしまったものの大丈夫だろう。

           

生存確認をした…

2020-10-03 | 小父のお隣さん
 ようやく涼しくなって就寝時も毛布では寒く中秋の名月から掛け布団にした。産卵母貝はフイールド上の池に避暑に出してあるが越冬させるにあたり余裕をもって自宅に迎えねばならないし、放流したクチボソの生存確認もする必要がある。同じ池の中なので同時に行うわけにもいかず、最初はクチボソの生存確認を兼ねて繁殖も確認しなければならない。

 クチボソは5月9日に地元企業内の池に生息している在来種をS先生の伝手で27匹導入する事が出来た。8月7日に生存確認と繁殖確認を行ったものの放流と同じ27匹で繁殖しているかどうか判明しなかった。そこで今回は捕獲器を二つにして行った結果、45匹を数えることが出来た。これで「繁殖成功」は間違いない。産卵場所となる石や沈木のない上の池で繁殖するか危ぶんでいたのだが林道のコンクリート擁壁にでも産卵したのだろう。まずは目出度しでカワセミ様も祝着至極であろうぞ。
 今回の確認に先立つ事半月、水域内の抜去除草中に根塊に入っていた魚体2匹を見出した。間違いなく流下魚で下がれば遡上は出来ない環境だから、これを含めると47匹を数える。他にも流下魚が生息できる好環境、滝つぼなどがあるから50匹超えもありうる事態だ。

 産卵母貝のマツカサ貝は14体、7月28日に生簀に入れたものの一体を失った。マシジミは変わりなかった。泥土の池なので、これも危ぶんでいたのだが水温は庭の池のように30度超え何て事にはならないし、アオミドロの繁茂で窒息を心配したものの大丈夫だった。引き上げた個体を眺めると外殻が高くなったような気がしたが、避暑で投入した時は扁平な外殻に思えても2カ月程度でそうそう太りはしないだろう、気のせいか。
 引き上げて生簀内の分布を観たら外周に集まっていた。これは水の停滞を嫌い、酸素と採餌をするための必要だったのだとは理解が出来る。

 生簀の環境 ➡   生簀内の状態 ➡   結果は大安心

 マツカサ貝は庭の池に戻しマシジミは上の池に置いてきた。泥の層が膝まで達するほど堆積沈殿してきた池になってしまったので、折に触れ水位を上げるためにオーバーフロー部の設えを高くしてきたが、それも「いつまで続くぬかるみぞ…」と言う感じである。これもエントロピーの増大の結果と言え、いつかは負けて破綻する。