昨晩、ホスト不在の「筑紫哲也ニュース23」を初めて見た。
膳場キャスターは沖縄から中継。特集では、教科書から「沖縄戦のさなか、住民は軍の命令で自決に追いやられた」という記述が消えた一件が採り上げられた。まず軍の責任者から自決の命令を受けたという「おばあ」のインタビューが放送され、悲惨な沖縄戦の歴史が伝えられる。ここで視聴者は、理不尽な教科書改訂という印象を強く受ける。
旧軍関係者が「自決命令があった」と報道されたことで、名誉を傷つけられたとして、大江健三郎や岩波書店を告訴していることには、ほんの少ししか触れない。
コマーシャルの後は「サトウキビ畑」の映像と歌。さらには沖縄出身のテノール歌手(?)による平和を願う歌…。
一番驚いたのは、出来の悪いアニメの登場。カエルの国の「沖網県」(沖縄ではなく、沖網!)で安倍総理に似たカエルや政治家がうさんくさい話をするという内容。「なんじゃ これは!」と思わず叫んでしまった。
この番組は、新興宗教の布教番組なのか? 筑紫哲也の偏向ぶりについては、すでに新書本も出ているので驚かないが、本人不在でもまだ同じようなことをやっているではないか。始末の悪いのは、キャスター連中が、「戦争」も「平和」も実感として分かっていないことだ。筑紫哲也にも戦争体験はないのだが、それはトシの功と「進歩的ジャーナリスト」のポーズでなんとか視聴者を騙すことはできた。だが膳場貴子が筑紫哲也と同じことを言っても、ほとんど説得力はないのだ。
作家・井沢元彦が説くように、「この国」はつくづく「言霊の國」であることを痛感する。「平和、平和」と叫んでいれば、平和になるとでも思っているのだろうか。
と同時に、刺激的な映像だけを追求するTVメディアの責任は大きい。老婆の証言、沖縄戦の映像、現在の安穏な生活、平和を願う歌、どれをとっても反対が出来ないように作られているが、実は、報道者としての責任は放棄されているのだ。エモーショナルな映像のオンパレードでは、「いまの平和が大切」「平和を脅かすのは誰」と言っているに過ぎない。
筑紫哲也は「この国」という言葉を愛用していた。もちろん「日本国」を指すのだが、どこか寒々とした語感がある。有事には否応なく「運命共同体」となる「祖国」を「この国」と呼び捨てる、その傲慢さにはほとほと愛想が尽きた。
私は「右翼」ではないのだが。
膳場キャスターは沖縄から中継。特集では、教科書から「沖縄戦のさなか、住民は軍の命令で自決に追いやられた」という記述が消えた一件が採り上げられた。まず軍の責任者から自決の命令を受けたという「おばあ」のインタビューが放送され、悲惨な沖縄戦の歴史が伝えられる。ここで視聴者は、理不尽な教科書改訂という印象を強く受ける。
旧軍関係者が「自決命令があった」と報道されたことで、名誉を傷つけられたとして、大江健三郎や岩波書店を告訴していることには、ほんの少ししか触れない。
コマーシャルの後は「サトウキビ畑」の映像と歌。さらには沖縄出身のテノール歌手(?)による平和を願う歌…。
一番驚いたのは、出来の悪いアニメの登場。カエルの国の「沖網県」(沖縄ではなく、沖網!)で安倍総理に似たカエルや政治家がうさんくさい話をするという内容。「なんじゃ これは!」と思わず叫んでしまった。
この番組は、新興宗教の布教番組なのか? 筑紫哲也の偏向ぶりについては、すでに新書本も出ているので驚かないが、本人不在でもまだ同じようなことをやっているではないか。始末の悪いのは、キャスター連中が、「戦争」も「平和」も実感として分かっていないことだ。筑紫哲也にも戦争体験はないのだが、それはトシの功と「進歩的ジャーナリスト」のポーズでなんとか視聴者を騙すことはできた。だが膳場貴子が筑紫哲也と同じことを言っても、ほとんど説得力はないのだ。
作家・井沢元彦が説くように、「この国」はつくづく「言霊の國」であることを痛感する。「平和、平和」と叫んでいれば、平和になるとでも思っているのだろうか。
と同時に、刺激的な映像だけを追求するTVメディアの責任は大きい。老婆の証言、沖縄戦の映像、現在の安穏な生活、平和を願う歌、どれをとっても反対が出来ないように作られているが、実は、報道者としての責任は放棄されているのだ。エモーショナルな映像のオンパレードでは、「いまの平和が大切」「平和を脅かすのは誰」と言っているに過ぎない。
筑紫哲也は「この国」という言葉を愛用していた。もちろん「日本国」を指すのだが、どこか寒々とした語感がある。有事には否応なく「運命共同体」となる「祖国」を「この国」と呼び捨てる、その傲慢さにはほとほと愛想が尽きた。
私は「右翼」ではないのだが。