最近、Vocalion社(英国)からマントヴァーニのアルバム「ジプシー・ソウル」がリリースされた。「チャルダッシュ」など、ジプシー音楽に由来する12曲を集めた、素晴らしいアルバムだ。
1970年にリリースされたアルバムのCD化なのだが、ジプシーという言葉はそのまま使われている。日本では、「言葉狩り」ともいえる状況があって、ジプシーという言葉は、「ロマ」と言い換えるように指導が行き届いているようだ。
先日、ある音楽原稿を翻訳者に頼んだところ、「ジプシーは現在ロマと呼ばれているので、そのまま使うかどうか確認してほしい」と原稿に注釈が付けられ、こちらに下駄を預けられたかたちになった。
確かに欧州では、「ロマ」という言葉が、ジプシーに取って代わりつつあるようだ。ジプシー自身が自らを「ロマ」と呼ぶのだから、ジプシーと呼ぶのは差別ということなのだろう。だが、「ジプシー音楽」を「ロマ音楽」と呼べというのは、あまりに行き過ぎだ。歴史的呼称としてのジプシーは、むやみに変更してはならないのだ。
「言霊」に敏感な日本人は、ある言葉が差別語と指弾された途端、数々の言い換えを用意してきた。心当たりは沢山あるに違いない。
他方、前述のCDに見られるように、英国では「差別語」の取り扱いが、日本とは異なるようだ。
私自身は、「ジプシー音楽」は「ジプシー音楽」なのであって、「ロマ音楽」としてなど聴きたくはない。したがって、この問題では、英国の対処のほうがオトナでまともだと感じた。
もし、この「ジプシー・ソウル」(ジプシーの心)を聴いて、これは差別音楽だとでも言うなら、私はそのクレーマーの心の貧しさを嘲ることだろう。