澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

姜尚中~リベラルな俗物たち

2008年10月15日 20時46分36秒 | マスメディア
「正論」11月号に次のような記事が掲載された。

 冷戦後インビジブルに変容した“悪魔の思想”を斬る
 リベラルな俗物たち
 第1回 姜尚中 自分しか信じないリベラル教徒  評論家 潮匡人




姜尚中・東大教授については、私はこのブログで何度かその欺瞞性を指摘してきた。
そのため、潮匡人氏がどのような切り口で姜尚中を「分析」するのか興味を覚えた。

近くの図書館に出かけたのだが、総合雑誌で置いてあるのは「諸君」どまり。「正論」は、座標軸で言えば、「諸君」より右に位置すると認識されているようで、購入されていないのだ。
某公立高校では、偏向した社会科教師が「週間金曜日」の購読を強制していることを知っているので、世の中は何とも不公正だと感じる。先日、日教組の偏向教育を糾弾した後、中山国土交通大臣が辞任したが、教育の現場では今なお「週間金曜日」を学校図書館に常備させるような勢力が残っているのだから、さらに正常化が叫ばれなければならないだろう。「週間金曜日」とは、筑紫哲也、本多勝一等「朝日新聞」OBが名を連ねる「市民派」週刊誌のことだ。(残念ながら、まだ廃刊にはなっていないようだ…。)

仕方なく、近くの書店に行き、立ち読みを始めた。私は「産経新聞」を購読しているので、さらに「正論」まで購入する気にはなれない。
結論的に言えば、潮氏の言説はおおむね納得できる内容だった。「自分しか信じないリベラル教徒」とは、姜尚中の持つ並はずれた自己顕示欲とコンプレックスを指していると思われる。

以前、このブログに次のように書いた。潮氏の記事を読んだ後も、その確信は変わらない。


【姜尚中は主婦などには結構人気があるらしい。「進歩的」な言説とあの「知的な風貌」(?)が人気の秘密なのだそうだ。
主婦がころりと騙されても、彼の本性はすっかりお見通しだ。
ディベートの時、彼は、必ず後出しジャンケンのように最も効果的なタイミングを狙い、相手より上位に立ち「偉く」見えるように演出する。下手な役者も顔負けだ。形勢が不利と知ると、深刻な表情で「在日の痛み」という「印籠」を持ち出す。これには滅多に反論できないことを知っているのだ。
さすがキツネ男…。
早稲田大学卒でありながら、東大教授のポストを獲得するまでのゴマスリは見事なものだったし、ICUから東大に移ってからは服装、態度まですっかり変えて、さらに偉そうになった。

丸山真男に代表されるように、これまで東京大学の政治学(政治思想史)は、他の大学の追随を許さなかった。最高学府における「思索」の中心という印象が強かった。もちろん、TVでタレントまがいの活動をする教授も皆無だった。
何故、「在日」で「私大卒」という姜尚中が東大教授に選ばれたのか。「韓流ブーム」のおかげでもあるまいし、大きな謎である。人材豊富な東大に適任者がいないはずはない。この人事には、何か隠された政治的な意図があるのではないか。姜の属する社会情報研究所というところが、キー・ポイントなのかも知れない。まさか東大当局はこのキツネ男の口舌にすっかり騙されたのではあるまいね。

「在日」プラス「東大教授」を売り物にするというこの男のやり口は、本当にいやらしい。さも「良識」があるように装っても、並はずれた「自己顕示欲」は透けて見える。国家公務員であるなら、本来の職務に専念しろよ!エラソーに日本人と日本社会を批判するのなら、どこかの私立大学に移った方がいい。それとも、隣国の「金日成総合大学」はいかがかな!?日本と同じことをしていたら、「強制収容所」送りになるだろうよ…。】


【先週、姜尚中は、料理番組ではなく、NHKテレビの「スタジオパーク」に出演していた。昼の番組なので、当然、サラリーマンは見ることができない。主婦向けという気楽さからか喜色満面だった。
司会者のアナウンサーがパネルを持ち出し、「夏目漱石と姜尚中さんの共通点」というクイズのような話を始めた。漱石が熊本にいたことがあり、姜も熊本出身という話に始まり、ヨーロッパ留学という共通の体験、最後に両人とも「東大教授」だという「正解」が示された。
いくら姜がNHK教育TVで夏目漱石関連の番組をやっているからとはいえ、こんなクイズを考えたのは誰だろうかと思った。NHKの人間が考えたにしても、こんな内容をうれしそうに受け入れるのはいかにも姜らしい。
姜が最もうれしそうだったのは、漱石も自分も「東大教授」だという部分。この人の内面が透けて見えるようで、興味深かった。

番組では、姜の半生も採り上げられた。「在日」に生まれ、両親は「ゴミ回収業」をして、辛酸を舐めた。自分も本名を名乗れず、通称で通していた。ようやく、大学院を経て、ヨーロッパ留学の機会を得ることになり、それが自分の「思想」を開眼させることになった、といういつもの”物語”が語られた。

差別を受けて苦労したにもかかわらず、刻苦奮闘して今の自分があるという話だが、違和感と疑問が生じてくる。
まず「ゴミ回収業」というが、そんなに極貧だったのかという疑問だ。熊本県立の有名校を出て、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学している。当時、地方から東京の私立大学に通わせることはなかなか困難で、経済的理由から断念した人も多いと思う。彼だけが貧乏だったということはないのだ。
また、これまで、在学した県立高校で差別されたとかいう話もでてこない。推測だが、普通のサラリーマンより少しばかり豊かな自営業の家庭で育ったのではないか。
あの雑踏のような早稲田大学で、当時、大学院に行こうなどと考えたのは、経済的余裕のある連中ばかりだったはず。よりもよって政治思想史というマイナーな分野で大学院の博士課程に行くというのは、よほど家庭が裕福でなければ叶わなかったはずだ。このあたり自分に不都合な部分は、意図的に隠蔽していると感じた。
「在日」「差別」「自己探し」とかいうキーワードは、あとづけのものではないだろうかと疑う所以でもある。
彼が大学入試を受けた年は、学園紛争のため「東京大学」と「東京教育大学」の入試が中止になった。当時「本当は東大に入れたのに、入試中止で早稲田に行ってしまった…」とホラを吹く連中が多くいたが、姜の振る舞いをみていると、そういう連中とそっくりなのだ。早稲田特有の大言壮語と東大コンプレックスというやつだ。

姜の深刻ぶったしゃべり方は、「在日」のコンプレックスというよりも、自身の思想性の無さ、露骨な上昇志向、狂おしいばかりの自己顕示欲を隠すための方便に違いない。
この人の場合、「在日」「差別」「刻苦奮闘」「自己の開眼」などは、自己を飾り立てるための小道具に過ぎない。そうでなければ、漱石と同じ「東大教授」ですと持ち上げられて、ニヤニヤしていられるはずはないのだ。こんな人が東大の政治思想史の教授とは…丸山真男先生が泣いているよね…。】




姜尚中