澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「知られざる台湾~台南市」を見る

2009年02月12日 15時10分57秒 | 台湾

ディスカバリー・チャンネルで放送されている「知られざる台湾」(シリーズ全5回)の最終回「台南市」を見る。

http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=870715&eid2=000000

かつてオランダ、清朝そして日本に支配された台南は、多様な文化を持つ。街路樹ひとつをとっても、「鳳凰木」(写真)は日本統治時代に都市計画の一環として植えられたものだそうだ。今でも台南は鳳凰(フェニックス)の街と呼ばれている。

国立成功大学のキャンパスは、日本統治時代に建てられた欧風の建築物で、いまなお使用されている。台南の建築史を研究する王氏という人に、「日本統治時代の建築は野心と創造性にあふれています。」「日本は台湾を植民地化しましたが、台湾の発展にも大きく貢献したのです。」と語らせている。
また「日本の寄与に感謝している人々も少なからず存在します」というナレーションの後で、洪先生(中央研究院Institute of Taiwan History Academia Sinica)の次の言葉を添えている。
「近隣諸国における経済発展はゆったりしたもので、しかも波があるものでした。一方、台湾は急成長しました。日本が台南に遺した遺産を否定することはできません。」

ナレーションは続く。「50年に及ぶ日本の支配を経て台南は近代都市になりました。インフラが整備され、経済は発展、高度な農業が行われました。この時期に近代化を実現したことで、現在の台南があるのです。」1939年、台湾の砂糖生産量は、世界第3位になっていたのだ。

日本統治時代を経験した黄天横(台南の政府高官の子孫)さんは、次のように語る。「…いい時代だったと思いますよ。製糖業を発展させるためには莫大な資本が必要でした。それを可能にしたのは日本です。」「日本軍は台湾から撤退するときも整然としていました。日本に帰還する際に所持品を売り払った兵もいたようです。私は気の毒だと思いますよ…」

さらにナレーションは続く。
「日本は台湾の教育、経済そしてインフラの近代化に成功、50年の占領で人々の生活は大きな変化を遂げました。日本は台南に足跡を残したのです。」「広島と長崎に原爆が落とされ、日本は降伏し台湾を手放しました。台湾は日本が入植したときから大きな進歩を遂げていました。」

この番組は、日本人が制作したものではない。それでも、このように日本が統治時代に果たした役割をきちんと評価している。収奪と抑圧の植民地支配ではないのだ。これは驚くべきことだ。
日本で同じ番組を作れば、まず「進歩的文化人」や左翼の「歴史研究者」が騒ぎ出すだろう。「歴史認識が間違っている」と。さらには中国が横やりを入れるだろう。結局、お蔵入りにされてしまうこと間違いなしだ。

私は、日本の植民地支配が正しかったとか言っているのではない。「日本は台湾の近代化に寄与した」「台湾では今でもそれを評価している人が数多くいる」 このふたつの事実をきちんと子孫に伝えることが必要だと思うのだ。
映画「海角7号」が大ヒットする台湾。今からでも遅くはない。子供達にきちんと伝えるべきことはあるのだ。