澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ホイアン(1)~熱帯の哀愁

2007年07月13日 11時59分43秒 | 歴史
写真は、ホイアンの旧市街にある「来遠橋」。通称「日本橋」とも呼ばれ、橋の中には「ホイアン」と日本語で書かれた提灯もかかっている。
NHK・TVの「世界ふれあい街歩き」(2007.5.8再放送)で、このホイアンの街を見た。不思議な魅力に惹かれ、どうしても行ってみたいと思った。今回の旅行の目的は、このホイアンなのだ。

徳川幕府が鎖国政策を採る以前、多くの日本人が交易のためホイアンを訪れ、ここに住んでいた。ホイアン名物の「カオラウ」(フォーより腰の強い麺を汁なしで食べる)は、そのルーツが伊勢うどん(これも汁なしうどん)だと聞くと、親近感はさらに強まった。
注意すべきは、彼我の関係は相互互恵的な関係だったということ。のちにフランス人がやったような一方的な収奪などはなく、異なる民族が平和に暮らしていた。その証拠に「来遠橋」の中央には祭壇があり、何かトラブルが起きた時には、そこで仲裁を図ったという。

戦禍を免れた古い家屋には、日本式の天井、中国風の手すりなど、独特の様式が見られる。それだけでも一見の価値がある。

雨期といいながら、雨は全く降らなかった。突き刺すような陽光が降り注ぐ中、木陰には人々のいつもの生活がある。
ホイアンの生活をちょっと見て、「人間らしい」「我々が失われたものを思い出させてくれる」などとしたり顔で言うつもりはない。

それよりも、灼熱の日差しの中で感じた哀愁のようなものは何だったのか。よく分からないが、経済発展によって、そういう哀愁も失われていくのだろうか。




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1 コメント

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ホイアン (マルチニーク)
2007-07-29 12:50:45
今、自分のブログでホイアンを取り上げてます。
よかったら遊びに来てください。

日本橋の中にあるホコラ。印象的でした。
あと「ホイアン」と「フェイフォ」の提灯も。

チャンパ王国時代、トゥボン川を遡り貿易してたんでしょうね。確か、伊勢の住人がいたとホイアンのサーフイン博物館だったかな。展示してありましたよ。
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