澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「ポール・モーリア」(セルジュ・エライク著)を読む

2008年12月13日 21時24分15秒 | 音楽・映画
セルジュ・エライク著「ポール・モーリア」(審美社 2008年)を読む。(Serge Elhaik"Paul Mauriat , Une vie en Blue" 2002)
本著は、フランスで限定出版されたポール・モーリアの「自叙伝」の「縮刷日本版」である。




ポール・モーリア
セルジュ エライク
審美社

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1962年「愛のシャリオ」(=I will follow him)がヒットするまでのフランスでの下積み生活、1968年「恋は水色」が全米ヒットして一躍有名になってからの活躍などを中心に、興味深いエピソードが数多く盛り込まれている。

ポール・モーリア自身は、シャイで、おごり高ぶることのない性格だったという。日本ツアーでは、必ず夫人を同行させ、精神面での安定を図ったようだ。
音楽ビジネスは一筋縄ではいかないらしい。ちょっと眼を離せば、ミュージシャンたちは手を抜き、自身が描いた音楽とはほど遠いものとなってしまう。ポール・モーリアもその辺の葛藤に悩んだようだ。

「恋は水色」は彼の名前を有名にしたものの、米国での彼の人気は「一発屋」に近いものだった。「ビルボード」チャートを見れば、そのことははっきりしている。
その彼を救ったのが、日本のファンだった。米国ツアーはたった3年で終わったが、日本には毎年のように訪れ、合計1200回ものコンサートを開いた。
晩年、フランスでは忘れ去られ、町を歩いても気づく人もいなかった。1993年には、フィリップスとの契約をうち切り、日本のポニーキャニオンと録音契約を結んでいる。「蒼いノクターン」「涙のトッカータ」「オリーブの首飾り」といった一連のオリジナル曲は、米国やフランスでは、ほとんど知られていないようだ。

かくも日本で人気があるのは何故か?
日本人のフランスに対するあこがれ(片思い)を巧みに取り入れ、誠実な人柄でファンサービスを熱心に行ったことが、大きな要因かも知れない。

本書は、約310頁で3,360円。残念なことに、ディスコグラフィ、年表等の基本的資料は省かれているので、やや物足りない感じもする。しかしながら、今年、イージーリスニング音楽関連でこういう本が出版された事実は、ファンとして心強い。




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