澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

入国管理局の通告は正しい~フィリピン人家族不法滞在問題

2009年02月14日 06時40分13秒 | Weblog

フィリピン人家族の不法滞在問題に結論が出た。

埼玉・蕨のフィリピン人一家不法滞在:家族に帰国日決定要求 入管が通告

 退去強制命令を受けながら日本での生活を求めているフィリピン人の中学1年生、カルデロン・ノリコさん(13)=埼玉県蕨市=と両親に対し、東京入国管理局は13日、27日まで2週間の仮放免延長を決め、帰国の日を決めるよう両親に伝えた。一家3人で帰国するか、ノリコさんを残して両親が帰国するか、いずれかの判断を求めたという。

 ノリコさんの両親は92~93年、他人名義の旅券で入国。母のサラさん(38)が入管法違反で逮捕された。父アランさん(36)は「ノリコだけを置いてはいけない」と話し、在留特別許可を求めた。ノリコさんは「3人で日本に残りたい」と訴えた。【石川淳一】

毎日新聞 2009年2月14日 東京朝刊

ずっと気になっていたニュースだが、当然と言うべき結論が出て、安堵を覚える。
というのは、マスメディアが当該家族の中学生の娘ノリコさんをクローズアップして、「友達と別れなければならない」「大好きな日本にいられなくなる」といったようなセンチメンタルな報道を続けていたからだ。特に、TBS系列は、この問題に固執していて、大いなる”偏向報道”ぶりを見せつけた。

昨今、マスメディアが行政の中立性、公正性にまで踏み込んで、大層なキャンペーンを張ることが多い。本件もそのひとつなのだが、そのフィリピン人の娘を可哀想だというだけで、特例を求めるようなキャンペーンは、そもそもマスメディアの責任を自ら放棄しているも同然なのだ。
外国人が日本に不法滞在して、子供をつくり義務教育を受けさせる。そういう既成事実があれば、国外退去にならないというのなら、これからどういうことが起きるのか本気で考えたのだろうか。
ここで繰り返すが、私は「不法滞在」のことを言っているのであって、正規に入国した外国人を排外的な感情で中傷しているのではないということだ。

ふだん「国際人」「地球市民」などと暢気なことを言っていても、いざとなれば、「国籍」は個人の運命を左右する。そんなことも分からない人が、マスメディアの中にもいるのかと思うと、本当にぞっとするのだ。
今回の件で、法務省入国管理局が極めて妥当な結論を下したのは、まだまだ行政の公正性が担保されていることを示したもので、望ましいことだ。

森本敏氏(拓殖大学教授)は、本件について次のようにコメントしていた。
「いったんご家族で帰国して、正規に来日してはどうか。娘さんも日本語が出来るのだから、さらに日本語を磨いて、将来、両国の架け橋になるような仕事をしてほしい」

今後、一部のマスメディアは、国外退去を拒否する家族の映像を入手して、「可哀想」キャンペーンを張ろうとしている。こんなことが許されていいのだろうか。




 

 


「知られざる台湾~台南市」を見る

2009年02月12日 15時10分57秒 | 台湾

ディスカバリー・チャンネルで放送されている「知られざる台湾」(シリーズ全5回)の最終回「台南市」を見る。

http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=870715&eid2=000000

かつてオランダ、清朝そして日本に支配された台南は、多様な文化を持つ。街路樹ひとつをとっても、「鳳凰木」(写真)は日本統治時代に都市計画の一環として植えられたものだそうだ。今でも台南は鳳凰(フェニックス)の街と呼ばれている。

国立成功大学のキャンパスは、日本統治時代に建てられた欧風の建築物で、いまなお使用されている。台南の建築史を研究する王氏という人に、「日本統治時代の建築は野心と創造性にあふれています。」「日本は台湾を植民地化しましたが、台湾の発展にも大きく貢献したのです。」と語らせている。
また「日本の寄与に感謝している人々も少なからず存在します」というナレーションの後で、洪先生(中央研究院Institute of Taiwan History Academia Sinica)の次の言葉を添えている。
「近隣諸国における経済発展はゆったりしたもので、しかも波があるものでした。一方、台湾は急成長しました。日本が台南に遺した遺産を否定することはできません。」

ナレーションは続く。「50年に及ぶ日本の支配を経て台南は近代都市になりました。インフラが整備され、経済は発展、高度な農業が行われました。この時期に近代化を実現したことで、現在の台南があるのです。」1939年、台湾の砂糖生産量は、世界第3位になっていたのだ。

日本統治時代を経験した黄天横(台南の政府高官の子孫)さんは、次のように語る。「…いい時代だったと思いますよ。製糖業を発展させるためには莫大な資本が必要でした。それを可能にしたのは日本です。」「日本軍は台湾から撤退するときも整然としていました。日本に帰還する際に所持品を売り払った兵もいたようです。私は気の毒だと思いますよ…」

さらにナレーションは続く。
「日本は台湾の教育、経済そしてインフラの近代化に成功、50年の占領で人々の生活は大きな変化を遂げました。日本は台南に足跡を残したのです。」「広島と長崎に原爆が落とされ、日本は降伏し台湾を手放しました。台湾は日本が入植したときから大きな進歩を遂げていました。」

この番組は、日本人が制作したものではない。それでも、このように日本が統治時代に果たした役割をきちんと評価している。収奪と抑圧の植民地支配ではないのだ。これは驚くべきことだ。
日本で同じ番組を作れば、まず「進歩的文化人」や左翼の「歴史研究者」が騒ぎ出すだろう。「歴史認識が間違っている」と。さらには中国が横やりを入れるだろう。結局、お蔵入りにされてしまうこと間違いなしだ。

私は、日本の植民地支配が正しかったとか言っているのではない。「日本は台湾の近代化に寄与した」「台湾では今でもそれを評価している人が数多くいる」 このふたつの事実をきちんと子孫に伝えることが必要だと思うのだ。
映画「海角7号」が大ヒットする台湾。今からでも遅くはない。子供達にきちんと伝えるべきことはあるのだ。

 


映画「海角7号」の「国境之南」

2009年02月11日 11時13分10秒 | 音楽・映画

台湾で大ヒットしている映画「海角7号」の挿入歌「国境之南」。

http://www.youtube.com/watch?v=bOeyvImwdm0&feature=related

下载国境之南铃声到手机国境之南歌词 国境之南(范逸臣) 海角七号插曲如果海会说话如果风爱上砂如果有些想念遗忘在漫长的长假我会聆听浪花让风吹过头发任记忆里的爱情在时间潮汐里喧哗 非得等春天远了夏天才近了我是在回首时终于懂得当阳光 再次回到那飘着雨的国境之南我会试着把那一年的故事再接下去说完当阳光 再次离开那太晴朗的国境之南妳会不会把妳曾带走的爱在告别前用微笑全归还 海很蓝 星光灿烂我仍空着我的臂弯天很宽 在我独自唱歌的夜晚请原谅我的爱诉说的太缓慢 当阳光 再次回到那飘着雨的国境之南我会试着把那一年的故事再接下去说完当阳光 再次离开那太晴朗的国境之南妳会不会把妳曾带走的爱在告别前用微笑全归还

 

 

海角七号 映画オリジナルサウンドトラック(台湾盤)

Forward Music (TW)

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「日本以外全部沈没」を見る

2009年02月10日 18時59分47秒 | 音楽・映画

映画「日本以外全部沈没」(2006年)をケーブルTVで見る。

日本以外全部沈没 [DVD]

角川エンタテインメント

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「アメリカの9・11同時多発テロ事件から十年目の2011年、原因不明の大規模な天変地異によってアメリカ大陸が一週間で海に沈んだ。世界各国が合衆国からの難民を受け入れたものの、犠牲者の数は天文学的数字に上った。ペピトーン合衆国大統領は政府首脳と共にエアフォースワンで脱出、日本の沖縄米軍基地にやってきた。また、ハリウッドのトップスター、ジェリー・クルージングと妻のエリザベス・クリフトも自家用ジェットで日本への移住を果たした。一週間後、中国大陸が沈没を始め、その一週間後にはユーラシア大陸すべてが沈没、その2日後にアフリカ大陸、さらに翌日にはオーストラリア大陸が沈没、結局数週間で地球から日本以外のすべての陸地が沈没してしまった。やがて、小さな日本列島に世界中から、命からがら脱出に成功した難民たちが押し寄せた。食料は不足し、物価は高騰、失業率も急上昇し、満員電車では外国人たちが「降りる人が先」というルールを守らずに毎日大混乱となった。外国で裕福な暮らしをしていた者や高いポストに就いていた者たちも日本では仕事が無く、瞬く間に落ちぶれ、極貧生活を強いられるようになっていった。そして、日本中で外国人犯罪が驚異的に多発した。 当初、海外からの大物芸能人は重宝され数多くの外国人スター主演のテレビ番組が企画され、放映されたが、多くの外国人難民はテレビを持っていなかったため視聴率は低迷、外国人スターたちも失業者となり、そのほとんどがホームレスとなっていった。その一方、日本の視聴者は外国人の出ていない番組を求め、怪獣やヒーローが外国人エキストラを踏み潰す空想特撮番組「電エース」が人気を博し、かつてのハリウッド・スターたちがエキストラとして出演した。また、捕鯨禁止を訴える国がなくなったのでクジラが自由に食べられるようになり、人気だった英会話学校はすべて倒産、外国人向けの日本語学校が繁盛した。 新聞記者“おれ”の妻キャサリンはアメリカ人だった。彼女はテキサスに住む母親の安否を心配していたが、母親からの連絡はなかった。“おれ”が無神経な言動で外国人蔑視を強めるのと比例して、キャサリンの彼への愛情は冷めていった。やがてキャサリンは“おれ”と別れ、落ちぶれた彼女のかつてのヒーロー、ジェリーと出会うことになる。“おれ”の友人で、大日テレビのプロデューサー、古賀は日本人の妻の明子と二人で暮していた。やがて、明子が妊娠していることがわかり、古賀は幸せの絶頂にいた。すべての日本人が特権的な立場に胡坐をかき、外国人たちの気持ちを無視して増長していった。 日本以外が全部沈没してから3年が経った。地球物理学の権威、田所博士は「ここ三年の地球的地殻変動のあらましと、今後の予測について」と題した記者会見を開き、地球温暖化によって北極と南極の氷が溶け出して世界中を沈没させ、太平洋の下のマントルが沸騰して日本列島を押し上げ、中国大陸に乗り上げたと説明した。だが、田所は今後の予測を計算中に何かとんでもないことに気づき、突然狂ったように笑い出すと、歌い踊りながら会場を出て行ってしまうのだった。一方、激増する外国人犯罪に業を煮やした政府は超法規的措置としてGAT<外人アタック・チーム>を組織し、不良外国人を次々に検挙し、国外追放していった。多くの外国人たちは日本人の下で、日本人の顔色を見ながら下級市民としての暮らしを強いられていた。元各国首脳たちも競って安泉首相の機嫌を取り、理不尽な言動にも言いなりとなっていた。 都内某所、クラブ・ミルトには、安泉首相をはじめ、元合衆国大統領やロシアの元大統領、中国の元国家主席、韓国の元大統領といったそうそうたる面々が顔を揃えていた。そこへ、元北朝鮮の独裁者が率いる武装したゲリラが襲撃し、安泉首相や元国家元首たちを人質に取って日本占領を企てる。ゲリラは同時に国会議事堂を襲撃し、石山防衛庁長官を拘束するが、石山は胴に巻きつけた特殊爆弾・スパイナーZで自爆し、国会議事堂ごと吹き飛んでしまう。やがて、緊迫のクラブ・ミルトに田所博士がやってくる。そして田所博士は日本列島のごく近い未来に関する衝撃的な予測を話しはじめる。」


未曾有の金融危機にある現在、我が国の首相は「欧米に比べれば、日本は危機なんかじゃない。つぶれた銀行がありますか!?」などとわめいている。現実政治の呆れた”痴態”を見るにつけ、この映画がもつ毒が、じわじわと効いてくるようだ。

「イエロー・モンキーの国(=日本)に行くなんて、イヤよ!」というハリウッド女優、日本の首相に「歴史認識問題は、中国が消えてもうなくなりましたアルよ!」とゴマをする中国首相、「米軍基地を使って、日本を占領しておけばよかった」と”本音”を漏らす米国政府首脳、はたまた首相官邸を襲う北朝鮮軍スパイなど、はちゃめちゃの筒井康隆ワールドが展開される。

決して荒唐無稽とは思えず、むしろ国際政治の”本音”を知らされる思いだった。


ミュージカル「南十字星」

2009年02月10日 01時00分03秒 | Weblog
劇団四季「ミュージカル 南十字星」がDVDでリリースされた。

劇団四季 ミュージカル 南十字星 [DVD]

NHKエンタープライズ

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これまで「キャッツ」などのミュージカルには全く興味がなかった。だが、この南十字星には、思わず引き込まれてしまった。
先の大戦に出征した経験のある人は、すでに85歳にもなっている。その子供の世代までは、戦争体験がどうにか引き継がれてきたのだが、いよいよそれも怪しげなものとなってきた。戦争体験の風化だ。

浅利慶太脚本によるこのミュージカルは、「大東亜共栄圏」の思想、実は連合国の報復に過ぎなかった東京裁判、インドネシア民衆の反応など、歴史理解の必須項目が公平にちりばめられていて、実にわかりやすい。

田母神・元航空幕僚長の「日本は侵略国家などではない」という言葉は、このミュージカルを見ただけで納得できる。人種戦争、資源戦争の側面をもったあの時代を、そもそも「平和憲法」の眼で裁こうなどというのが誤りなのだ。それは、戦後民主主義という虚妄の中で去勢された小市民が、古武士の姿をまぶしく見つめるに等しいことなのだから…。

決して右翼などではない私だが、この「南十字星」を見て、「歴史認識」の必要性を改めて感じた。それは「村山談話」のようなきれい事ではなく、今なお続く人種、民族、国家の対立抗争の生々しい歴史である。


陳綺貞(チアー・チェン)の「太陽」

2009年02月10日 00時34分21秒 | 音楽・映画
陳綺貞のニューアルバム「太陽」(2009年1月リリース)が、日本でも購入できることが分かった。さすが「アマゾン」、さっそく予約した。

太陽

TEAM EAR MUSIC

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陳綺麗は、今年34歳、学生(国立政治大学哲学系)時代のストリート・ミュージシャン活動を加えると、十数年のベテランということになる。
シンガー・ソングラーターとして、さりげない日常をうたうところが、彼女の持ち味だ。
youtubeで彼女を聴いた人は、「何か日本の誰かに似てるよね」「ちょっと古いフォークという感じだね」といった印象を持つかも知れない。

だが、ちょっと台湾社会の状況を振り返ってみたい。
彼女が音楽活動を始めた時期は、ちょうど台湾政治の民主化の時期と重なる。周知のように、李登輝総統が登場するまでの台湾は、国民党の独裁政治が続き、外省人によって支配されてきた。
学校教育では、「光復大陸」のスローガンのもと、「中華文明礼賛」の教育が続けられた。国民党政権にとっては、台湾はあくまで「仮の住まい」であるため、台湾の歴史や文化が顧みられることはなかった。
李登輝総統の登場により、台湾人は初めて自己のアイデンティティに触れることが許されたのだ。

陳綺貞のルーツが、外省人であるのか本省人(もともとの台湾生まれ)なのかは知らない。歐陽菲菲と麗君(テレサ・テン)は、外省人であり、翁倩玉(ジュディ・オング)もその経歴からして外省人だろう。

ともあれ、李登輝氏の登場以来、大衆芸術の分野でも、あらゆる試みが可能になった。陳綺貞の歌は、豊かで洗練された都市生活の中で個人の恋愛を歌うのだが、こんな歌が許されるようになったのは、ごく最近なのだという事実を忘れるべきではないと思う。
私は彼女を「台湾のユーミン(初期の)」のようだと思っている。ユーミン(荒井由実)の歌は、当時流行っていた「社会的」「反戦的」な歌詞に背を向け、あくまで私的な恋愛を歌い続けた。陳綺貞の歌を聴くと、不幸な歴史を背負わされた台湾でもようやくこういう時代がやって来たのだという思いがする。

http://jp.youtube.com/watch?v=LIxeYGCsPc4&feature=related
(陳綺貞「旅行的意義」)

你看過了許多美景
你看過了許多美女
你迷失在地圖上 每一道短暫的光陰
你品嚐了夜的巴黎
你踏過下雪的北京
你熟記書本裡 每一句你最愛的真理

卻說不出你愛我的原因
卻說不出你欣賞我哪一種表情
卻說不出在什麼場合我曾讓你動心
說不出離開的原因

你累計了許多飛行
你用心挑選紀念品
你搜集了地圖上 每一次的風和日麗
你擁抱熱情的島嶼
你埋葬記憶的土耳其
你流連電影裡美麗的不真實的場景

卻說不出你愛我的原因
卻說不出你欣賞我哪一種表情
卻說不出什麼場合我曾讓分心
說不出旅行的意義

勉強說出你為我寄出的每封信
都是你離開的原因 你離開我
就是旅行的意義


ポップス・ファンの若者は、もしかすると彼女の歌を「古くさい」「単純すぎる」などと感じるかも知れない。それはそれでいいのだが、、むしろ彼女の音楽は、60-70年代のポップスに親しんだオッサンに向いているかも知れない。
根っから西洋音楽崇拝が染みこんでいるオッサン達にこそ、ぜひ聴かせたい。これを聴くと、心が洗われて、「純粋」?だった”あの頃”を思い出すかもね…。(






故宮博物院の中台交流

2009年02月09日 18時49分01秒 | Weblog

(台北・故宮博物院)

北京と台北には、それぞれ「故宮博物院」がある。
北京の故宮博物院は、歴代皇帝が住んだ宮殿だった。しかし、日中戦争および国共内戦のため、収蔵されていた重要文物は、南京に疎開し、さらに台北に移った。
したがって、北京には故宮(建物)が遺され、台北には文化財として貴重な文物が新たに造られた建物の中に収蔵されている。

「台湾に来たら、故宮と花蓮を見て帰らないとね!」とは台北のガイドさんがよく言う言葉だ。台湾人の中には「中国的」なものを嫌う人も多いようだが、故宮博物院は、まさに「中華文明」の優越性を示す格好のシンボルだ。

馬英九政権になってから、パンダの寄贈、そして故宮博物院の交流というように、急速に中台交流が活発化している。一方、台湾では日本との絆を描いた映画「海角7号」が大ヒットするというように、親日的な感情も今なお根強い。

「中華思想」と呼ばれるものの実態は、「大中華主義」「中華愛国主義」だ。「地大物博」、すなわち「中華」には何でもあるという優越感だ。そうした感情に排外感情がブレンドされれば、とんでもないことをやりだしかねない、それが中国という国だ。

台湾がこれ以上中国に深入りすると、中国という「ブラックホール」に吸い込まれるのではないかという危惧を覚える。在京の台湾人T氏も私にその心配をメールしてきた。


☆★台湾故宮トップが訪中へ 初交流、合同展覧会を協議☆★


 【台北9日共同】台湾故宮博物院の周功☆院長は9日の記者会見で、14日から19日まで訪中し、北京故宮博物院の鄭欣★院長と会談、合同展覧会実施などに向けて協議することを明らかにした。49年の中台分断後、双方トップによる交流は初めて。台湾の馬英九政権発足後、関係改善を進める中台は文化交流にも力を入れる方針だ。
「2つの故宮」が正式交流 台湾故宮博物院長が訪中
2月14日(土) 11時34分

 【台北14日共同】台湾故宮博物院の周院長が14日午前、台北から空路、北京に向けて出発した。午後には北京故宮博物院の鄭院長と会談する予定で、49年の中台分断以来、初めての「2つの故宮」の正式交流が始まる。関係者によると、昨年12月、台湾側関係者が北京で開かれた文化イベントに参加した際、今回の訪問が決定。トップの接触は、これまで「政治問題」として行われていなかった。

中台故宮の交流促進で一致 双方トップが分断後初会談
2月16日(月) 1時43分

 【北京15日共同】北京を訪れている台湾故宮博物院の周功☆院長と北京故宮博物院の鄭欣☆院長は15日、北京市内で会談し、今後「2つの故宮」の交流を促進していくことで一致した。1949年の中台分断後、双方トップによる会談は初めて。台湾側によると、今回は「交流の第一歩」との位置付けで、副院長クラスの定期会合や研究員の相互交流などで合意。双方が所蔵する文物を貸し出す際に生じる法的な問題などについては、今後の検討課題とすることを確認するにとどまった


(台北・故宮博物院の中庭で「中共」の暴政に抗議する法輪功の信者達)



陳綺貞が歌う「九分的珈琲店」

2009年02月07日 03時29分58秒 | 音楽・映画
台湾のシンガー・ソング・ライター、陳綺貞が「九份的咖啡店」という歌を歌っている。

http://www.youtube.com/watch?v=LcXtXzWLdyU
(youtube画像)



映画「悲情城市」(悲しみの街)で有名になった九份。この悲しみの街を陳綺貞は、さりげなく歌っている。そこがなかなか心に染みるのだ。


◎九份的咖啡店◎

作詞:陳綺貞 作曲:陳綺貞

這裡的景色像你 變化莫測 這樣的午後 我坐在九份的馬路邊
這裡的空氣 很新鮮 這裡的感覺 很特別
仰望這片天空 揚起我對你的思念

窗外的星空像你 嬉笑不眠 這樣的午夜 我坐在九份的咖啡店
這裡的街道 有點改變 這裡的人群 喧鬧整夜
望著朦朧的海岸線 是否還能回到從前

昨日的單純 今天的實際 像你 而你也早已不是你
我的心是一杯調和過的咖啡 懷念著往日淡薄的青草味

窗外的景色像你 沒什麼道理 這樣的午後 我在忠孝東路的咖啡店
這裡的街道 有點危險 這裡的人群 面無表情
想問你 也問問自己 是否還會記得從前

昨日的單純 今天的實際 像你 而你也早已不是你
我的心是一杯調和過的咖啡 懷念著往日淡薄的青草味
懷念著往日的堅持 和現在你我的改變






台湾映画「海角7号」

2009年02月06日 11時21分59秒 | 音楽・映画

台湾映画「海角7号」が熱い。

http://www.youtube.com/watch?v=hs2wKY5wl6E (youtube映像)

台湾映画といえば、「悲情城市」が有名だが、もう20年も前の映画になってしまった。「悲情城市」は、日本統治時代が終わり、蒋介石の国民党軍が台湾を支配しようとする時代の物語で、歴史に翻弄される台湾人家族の運命を描いた秀作だった。
「多桑」(父さん)も忘れられない。死ぬ前に東京に行き、皇居を見てみたいと願っていた父と、その気持ちを理解できなかった息子の話だ。ここでも、日本統治時代の記憶が、重くのしかかっている。

台湾の人口は、2,290万人ほど。中国大陸の東北部、大連、鞍山、瀋陽の3都市の人口を合わせたくらいだ。大陸の人口圧力がいかに大きく、台湾がいかに小さいか分かるだろう。この規模故に、日本は台湾を「政治的に」見捨てたのだということもできよう。

映画産業に関しては、台湾は香港、中国映画に押されていたが、この「海角7号」は、久々の大ヒット映画となった。
ストーリーは下記のとおりだが、注目すべき点は、ここでも日本との関係が出発点になっているということだ。台湾人の日本に対する感情は、日本人が思っているほど悪くはない。大陸の中国人が見せる、あの冷たくよそよそしい態度は、台湾では見られない。日本統治時代がすべてよかったわけではないだろうが、その後の国民党による独裁政治が、あまりにひどかったのだ。極めて親日的な現在の台湾を、これ以上見捨てるようなことだけはしてほしくないと思う。

「海角7号」は昨年末、大陸でも公開された。娯楽映画として楽しまれるのだろうが、これを見た中国人は台湾人の日本に対する感情が自分たちとは明らかに違うことをを発見するだろう。それが彼らの深層心理にどういう影響を及ぼすのか知りたいところだ。

この映画が日本で公開されるめどは立っていないという。そのこと自体が大いに考えさせる問題だと思う。
できるだけ多くの人の目に触れるように、ぜひ、早期の公開を望みたい。

ウィキペディア】より

海角七号(かいかくななごう)は、2008年8月に公開された范逸臣田中千絵主演の台湾映画。台湾では映画産業が長期的に盛況とはいえなかったが、この映画の興行収入は5億台湾ドルを突破。タイタニックに次いで、台湾歴代映画興行成績のランキングで2位になった。

原題の表記は『海角七號』で号が日本の旧字体であり、英語名は『Cape No.7』で、両題名とも直訳すれば「岬七番地」となる。

ストーリー

日本統治時代であった1940年代に、台湾最南の町恒春に派遣された日本人の教師(中孝介)は日本名小島友子(梁文音)と言う地元の少女と恋に落ちる。 第二次大戦の日本敗戦の後(1945年)に、彼はやむを得ず内地に戻るが、 途中で彼は、駆け落ちを約束していた恋人の友子を、台湾に置いてきたため、後悔や惜別から7通の恋文(こいぶみ)を書き綴った。

彼が友子を置き去りにした約60年の後に、台湾南部で物語りが再び時を紡ぎだす。アガ(范逸臣)は台北で成功を夢見たが、挫折した恒春出身の歌手だった。 彼が故郷である恒春に戻った後に、町議長を務めるアガの継父(馬如龍)は、オートバイ事故の後で休暇中の老齢の茂伯(林宗仁)の代わりとして、アガに郵便配達人の仕事を世話する。 ある日、アガは郵便局に返されるべきであった「非-提出物」(あて先不明)の古い手紙を見つける。それは、もうすでに亡くなった日本人の教師の娘が、その7通の恋文を発見した後、父が渡せなかった恋文を台湾に届けようと郵送したものだった。 興味を持ったアガは、詳細を知るために不法にも、封を破って開けるが、もう古い日本統治時代の住所である「高雄州恆春郡海角七番地」をみつけることはできなかった。

その間、墾丁国家公園の中にあるリゾートホテルでは、中孝介(60年前の日本人教師と日本人歌手である本人の一人二役)が公演するビーチコンサートを計画がもちあがり、アガは継父が「コンサートの伴奏のバンドのメンバーが地元の人から選出されるべきだ」と主張する彼の公的立場を利用し、 かなり職権乱用的に急場凌ぎでアガを中心に6人の地元の人々で、バンドが結成される。そしてこの多くの問題を抱えるバンドをマネージメントする立場として友子(田中千絵)(中国語が話せる恒春に派遣された盛りを過ぎている日本人ファッションモデル)に白羽の矢が立つ。 そして、さなざまなアクシデントやトラブルを経て、アガと友子は唐突に急接近する。 ホテルの女性従業員である明珠(シノ・リン)などをはじめとする多くの人々の助けとともに、友子もアガが小島友子(7通の恋文の正しい受取人)を探し出し手紙を渡す事を、手伝うようになる。 アガは、問題だらけのこの地元のバンドと共に、中孝介のビーチリゾートのコンサートにのぞむが...。

【Record China】より

 

日台の恋描く「海角七号」が空前の大ヒット、ロケ現場が観光スポットに―台湾

2008年9月12日、台湾映画「海角七号」が公開スタートと同時に快進撃、これまでの台湾映画の興行成績を塗り替える記録的ヒットとなっている。中央日報が伝えた。

台湾で先月21日から上映されている「海角七号」は、3週間で興行成績が5400万NTドル(約1億8000万円)を突破。このほど日本で行われた「第4回アジア海洋映画祭イン幕張」でもグランプリを獲得し、台湾映画界の巨匠ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督を「こういう映画を長いこと待っていた」と感嘆させるほどの秀作に仕上がっている。

「海角七号」は、第二次世界大戦終結による日本占領時代が終わった台湾で、日本へ引き揚げる男性教師が台湾人女学生にあてて書いた7通のラブレターをもとにした作品。人気アーティストのヴァン・ファン(范逸臣)、メイクアップ・アーティストのトニー・タナカ氏の娘で女優の田中千絵、日本人歌手の中孝介らが出演している。

大物スターは出演していないが、登場人物たちの秀逸な演技、心に迫る音楽、台湾の美しい風景に惹かれてリピーターも続出。また、台湾最南端・屏東県でロケ現場になった主人公の家にも映画ファンが押し寄せ、韓国ドラマ撮影現場さながらの一大観光スポットになっているという。(翻訳・編集/Mathilda)

馬英九総統が映画「海角7号」について語る

発信日時:2008/12/4

馬英九総統が映画「海角7号」について語る

 馬英九総統は12月3日、中央広播電台(中央放送局)のラジオ番組のインタビューに応じ、今年台湾で人気を博した映画「海角7号」について語った。

 馬総統は、「海角7号」が台湾人の熱狂的な人気を獲得した主な理由として、「芸術的な手法を用いて、熱い郷土への想いから台湾の現況を忠実に描いたからであり、特に脚色しているものではない。現実の庶民生活から現れる数多くの人間性、感情、人と人との変わらない愛情などが共感を得たのだ」と述べ、同映画を高く評価した。

 馬総統は「中国大陸にも、また両岸との間でも必ず似たような物語がある。『海角7号』の物語はフィクションだが、多くの人々の想像をかきたてた」と述べ、中国大陸住民に対して「大陸と60年間隔てられた社会を理解するつもりで、楽しんで、包容力をもって観賞してほしい」と呼びかけ、同映画を推薦した。

 中国大陸当局が同映画の上映を見送った理由の一つに、映画中の日本統治時代の台日間の恋愛シーンを考慮したと報道されていることに関して、馬総統は「この点は大陸同胞も学習して理解する必要がある。台湾は日本に50年間統治されたが、人と人との恋愛感情の発生を排除することはできない。中国大陸の東北地区でも同様で、日本に統治された一時期に、似たような物語があったはずだ」と指摘した。

 そのうえで馬総統は「たとえ戦争中であっても、評価に値するような人間的な要素がある。日本と台湾には数多くの恩情と恨みが入り混じった感情があり、それは大陸との間にもある。しかし、それでも人は人であり、人間性を消し去ることはできない。この角度から見れば、多くの場面や物語は理解できるだろう。大陸同胞もこの角度で『海角7号』を見ることを望む」との考えを語った。

《2008年12月4日》

 


カトリック神父の”性犯罪”

2009年02月05日 14時56分54秒 | Weblog

あきれた事件が明るみに出た。

カトリック信者の母子にキス、神父が強制わいせつ容疑

 大阪府茨木市のカトリック大阪大司教区茨木教会の神父(74)が信者の母子にセクハラ行為をした疑いがあるとして、母親から被害届を受けた府警茨木署が強制わいせつ容疑で捜査していることがわかった。

 同教区も弁護士ら3人による第三者委員会を設置。教区の事情聴取に対し、神父はキスをしたことなどを認め、「セクハラの意図はなかった。外国では普通の行為」と話しているという。

 同教区によると、神父は昨秋から年末にかけて、複数回、茨木教会内で40歳代の母親を抱き寄せてキスしたほか、同年12月には、娘の小学生の女児にも同様の行為を1回したとされる。

 同教区は「両者の受け止め方は違うが、神父の立場を考えれば不適切な行為。事実関係を明らかにし、処分を検討する」としている。

2009年2月5日01時33分  読売新聞

カトリック大阪大司教区の「…神父の立場を考えれば不適切な行為。事実関係を明らかにし、処分を検討する」というコメントには思わず失笑する。「神父」を「公務員」「教員」とかに入れ替えれば、いつでも使えるフレーズだ。カトリックの組織は会社に酷似していて、神父さんはサラリーマンというわけか?

周知のとおりカトリックの神父は、妻帯を許されない。したがって、カトリック教会に付属する「司祭館」(神父の住居)には、食事等の世話をする女性がいる。神に仕える身でありながら、その女性にセクハラをしたのであれば、確かに重大問題ではある。
この神父の場合、ある私立大学の教授をしたことがあるようなので、かなり世俗との接点があった人なのだろう。世俗の人間模様を神に仕えるはずの生活の中に持ち込んでしまったのだろうか。

遠い昔の話だが、神父の世話をする仕事をしていた女性を知っている。この人は、一般社会から見れば「奇人変人」に属する、熱心な独身のカトリック信者だったが、カトリックの教義を知らない一般人から「神父さんの奥さん」と見られることを極端に嫌っていた。彼女の話は、すべてエライ人を自分が知っているという話ばかりだった。お金持ちの誰々、大学教授の何さん、大司教の何様、みんな私は知っているという話だ。何だか「家政婦は見た!」みたいな話だったのだが、今考えると、彼女の人間関係のすべてが「カトリック」を中心に回っていたのだから、優越感も劣等感もすべて宗教がらみだった。

こんなことを言うのも、この事件はよく調べないとわからないよ、ということ…。神父さんだけ見れば、さもありなん、信者さんを見てもさもありなん、という感じなのだ。
宗教に没入する人間の弱さを見たということだろうか。

私自身もこれまで大勢の神父さんを見てきたが、中には変な人もいた。特に昨今は、神父のなり手も少ないようで、質が低下しているはずだ…。
 

 


陳綺貞(チアー・チェン)の「太陽」

2009年02月02日 12時08分36秒 | 音楽・映画

陳綺貞のニューアルバム「太陽」(2009年1月リリース)が、日本でも購入できることが分かった。さすが「アマゾン」、さっそく予約した。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%AA%E9%99%BD-%E9%99%B3%E7%B6%BA%E8%B2%9E-Cheer-Chen/dp/B001QLO29C/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1233552510&sr=8-1

昨年末、台北アリーナで行われたライブコンサートの模様は、youtubeで見ることができる。

http://jp.youtube.com/watch?v=dvIBNnW95fY

このほかの曲もいろいろ聴いてみた。たとえば、「失敗者的飛翔」※という曲は、次のような歌詞が付いている。

※ http://jp.youtube.com/watch?v=miRXfQNCb-M&feature=related

你知道嗎?聽你說話我只需要聽你說話 在你的聲音中,安全的讓我害怕 這是一個快樂的警告,警告我別想逃這個特別的時刻,判斷,絕不會是你想要 你的溫柔,包圍著我,像個沒人愛的傻瓜你的影子,巨大,像喧囂的髒話 在一片歡樂的景象之中,我卻覺得勉強在離別的前夕,找不憂傷的台階下 你承認吧!你也想要體驗英雄般誇張悲壯來不及為你歌唱,你瀟灑而昂楊 在一片荒涼的景象之中,我卻覺得晴朗 ...

試しに、この歌詞をEXCITEの自動翻訳で訳したら、次のようになった。

あなたは知っていますか?あなたを聞いて話をして私があなたを聞いて話をしただなければならないだけ あなたの音の中で、安全なのは私に恐れさせます これは1つの楽しい警告で、私にこの特別な時間を逃げたくなってはいけないことを警告して、判断、あなたが決して要るのでありません あなたのやさしさ、私を包囲して、個のようで人の愛する馬鹿者のあなたの影がない、巨大で、騒ぎ立てる下品な言葉のようです 一面の歓楽の光景の中で、私が無理強いして別れると感じます前夜、憂え悲しまない石段の下で探します あなたは承認しているようにしましょう!あなたも英雄の類を体験して誇張したいです悲壮に歌うことに間に合わないであなたになって、あなたはあか抜け楊をもたげます 一面の荒涼とした光景の中で、私は晴れ渡っていると感じます ...

これはちょっとどうかと思われる日本語だが、何となく分からなくもない。陳綺麗は、今年34歳、学生(国立政治大学哲学系)時代のストリート・ミュージシャン活動を加えると、十数年のベテランということになる。
シンガー・ソングラーターとして、さりげない日常をうたうところが、彼女の持ち味だ。
youtubeで彼女を聴いた人は、「何か日本の誰かに似てるよね」「ちょっと古いフォークという感じだね」といった印象を持つかも知れない。

だが、ちょっと台湾社会の状況を振り返ってみたい。
彼女が音楽活動を始めた時期は、ちょうど台湾政治の民主化の時期と重なる。周知のように、李登輝総統が登場するまでの台湾は、国民党の独裁政治が続き、外省人によって支配されてきた。
学校教育では、「光復大陸」のスローガンのもと、「中華文明礼賛」の教育が続けられた。国民党政権にとっては、台湾はあくまで「仮の住まい」であるため、台湾の歴史や文化が顧みられることはなかった。
李登輝総統の登場により、台湾人は初めて自己のアイデンティティに触れることが許されたのだ。

陳綺貞のルーツが、外省人であるのか本省人(もともとの台湾生まれ)なのかは知らない。歐陽菲菲麗君(テレサ・テン)は、外省人であり、翁倩玉(ジュディ・オング)もその経歴からして外省人だろう。

ともあれ、李登輝氏の登場以来、大衆芸術の分野でも、あらゆる試みが可能になった。陳綺貞の歌は、豊かで洗練された都市生活の中で個人の恋愛を歌うのだが、こんな歌が許されるようになったのは、ごく最近なのだという事実を忘れるべきではないと思う。
私は彼女を「台湾のユーミン(初期の)」のようだと思っている。ユーミン(荒井由実)の歌は、当時流行っていた「社会的」「反戦的」な歌詞に背を向け、あくまで私的な恋愛を歌い続けた。陳綺貞の歌を聴くと、不幸な歴史を背負わされた台湾でもようやくこういう時代がやって来たのだという思いがする。

http://jp.youtube.com/watch?v=LIxeYGCsPc4&feature=related
(陳綺貞「旅行的意義」)

你看過了許多美景
你看過了許多美女
你迷失在地圖上 每一道短暫的光陰
你品嚐了夜的巴黎
你踏過下雪的北京
你熟記書本裡 每一句你最愛的真理

卻說不出你愛我的原因
卻說不出你欣賞我哪一種表情
卻說不出在什麼場合我曾讓你動心
說不出離開的原因

你累計了許多飛行
你用心挑選紀念品
你搜集了地圖上 每一次的風和日麗
你擁抱熱情的島嶼
你埋葬記憶的土耳其
你流連電影裡美麗的不真實的場景

卻說不出你愛我的原因
卻說不出你欣賞我哪一種表情
卻說不出什麼場合我曾讓分心
說不出旅行的意義

勉強說出你為我寄出的每封信
都是你離開的原因 你離開我
就是旅行的意義

ポップス・ファンの若者は、もしかすると彼女の歌を「古くさい」「単純すぎる」などと感じるかも知れない。それはそれでいいのだが、、むしろ彼女の音楽は、60-70年代のポップスに親しんだオッサンに向いているかも知れない。
根っから西洋音楽崇拝が染みこんでいて、クラシックの「名盤鑑定」に精を出したり、マントヴァーニのような「ムード音楽」ごときまで後生大事に集めるオッサン達にこそ、ぜひ聴かせたい。これを聴くと、心が洗われて、「純粋」?だった”あの頃”を思い出すかもね…。(無理か~)