エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

ナニワマダラトンボに再会

2007-10-23 | 環境問題
 9月下旬に今年もナニワマダラトンボを確認できた。ペアになりホバリングしながら、池の畔の湿った土の上に打空産卵を繰り返していた。

 マダラナニワトンボは日本の特産種で、今絶滅の危機にあるトンボだ。
 環境庁や福島県が共に絶滅危惧種第Ⅰ類(CR+EN)()に指定している貴重な種である。

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○「絶滅危惧IA類(CR)・・・ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種
○「絶滅危惧IB類(EN)・・・IA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種


マダラナニワトンボの体長は約4cm位、とてもかわいい。風に流されるように飛び、やっと止まっても警戒心が強くなかなか近づけない。

 今年も棲息を確認できて本当に嬉しかった。
 ひっそりと生き長らえているこの貴重な種がとても愛おしく感じられた。

 この小さないのちは常に絶滅の危機に瀕している。小さなトンボが、いつまでも生息できる自然環境の保全をいつも願わざるを得ない。心配はきりがないが、これまで生息し続けてきた、常緑樹、広葉樹に囲まれたこの池の理想の立地環境が変化しないことを祈っている。


太古より続く空舞うトンボかな

 【絶滅の危機にあるナニワマダラトンボ











サワガニ

2007-07-20 | 環境問題
 
 すがすがしい朝の始まりだ。集団登校の小学生の列と挨拶を交わす。中学生も素直に挨拶する。通勤の車の行き交う町道を一歩はいると住宅地に田園風景が広がる。
 
 今朝、そんな田んぼの小川でサワガニが歩いているのを見つけた。嬉しかった。
散歩から戻り、カメラを持ってもう一度行った。付近を探すとじっと撮影を待っていたかのような彼を見つけた。
 以前は田畑の中にぽつりぽつりと点在していた住宅が、今はニュータウンができ、最近はアパートの建築が続いている。ホタルがめっきり減って久しいが、気にも留めないでいた小川に細々生きるサワガニは山紫水明の指標、まだまだ残る自然を有難く思った。これ以上の開発は進んで欲しくない。



今朝は赤トンボがかなり多く飛んでいた。ほとんどアキアカネのようだ。
朝の犬の散歩で、季節を感じ、いろいろ考えを巡らされている。


環境月間に

2007-06-08 | 環境問題
 昨年の明日2006.6.9は東北地方南部の梅雨入りだった。その日6/9に、庭のバイカウツギが咲き始めた。今年は今日6/8に咲き始めた。でも今年の梅雨入りは遅れそうだ。

  【咲き始めた八重のバイカウツギ】

 6月は環境月間、昔書いたエッセイを読んでみた。

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地球守るためできることは」   (1994.5)

環境教育は常に私のキーワード教材であった。「自然観察スケッチ」は、学校敷地内の小さな自然との対話である。目をつむり、音やにおいや空間を感じたままにまとめる。生徒が驚き感動することは、「学んで良かった」につながる自然環境教育であった。
常々、生徒に「なぜ緑の自然が大切なのか」と言った素朴な疑問を投げかけ、「一度失われた自然は再び生き返らない」ことや「人間も生物の一員である以上、自然と調和して生きて行かなければならないこと」を繰り返し述べてきた。そして地球の大気が四十五億年という長い時間をかけて造られてきたこと、この大気の微妙なバランスを人間が数十年という短い間に崩そうとしていることを訴えてきた。
地球は宇宙船である。私たち一人ひとりが自分の生活を見直し、かけがえのない地球を守るために何ができるかを考えたい。できることから実践することが大切なのである。
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たおやかに舞うウスバシロチョウ

2007-05-29 | 環境問題
 
週末3日間、微熱が下がらず、昨夜は39.8℃まで上がった。熱の低いうちはF錠を服用、高熱になるとR錠を飲んでいる。特効薬で、炎症を起こすたびに服用していたが、最近はこの抗生物質の副作用を心配している。
 何とか熱が下がったが、薬で抑えられているようだ。退院後も、週に2,3度の頻繁な発熱を心配している。医者へ行けば、絶食点滴だ。先の不安は消えない。

 爽やかな庭に出ると、ウスバシロチョウがふわふわと舞ってきた。今年初めてだった。爽やかに吹き来る緑の風に少年の日々がほのかに蘇ってきた。
 早速、旧滝沢峠にウスバシロチョウの舞う姿を見に出かけた。車で5,6分、峠の緑はもう初夏、かすかに頬を撫でる爽やかな風が気持ちよかった。
 林の間を二、三十頭のウスバシロチョウが静かに可憐に舞っている。「たおやかに」という表現がぴったりで、今年も大好きな飛翔をゆっくり楽しむことができた。
今年の発生は昨年と比べると遅いような気がした。昨年満開のセイヨウカラシナは、今年はもうすでに終わり、ハルジョオンが盛りだ。また、ウスバシロチョウの食草ムラサキケマンの紅色の花もう散っていた。ハルジョオンの花にゆったりと蜜を吸うウスバシロチョウとゆっくりと楽園で遊んだ。 
 カメラと野帳を手に寝ころぶ。一人目を瞑り、風の音や香り、初夏の空間をこころから感じた。

 四十五億年もの気の遠くなる歳月が造った万物のバランスを思う。そして、営々と生き延びたウスバシロチョウを愛おしく思いつつ、あらためて人と自然の関わりを考えた。
 地球環境保全の対象としてのハードな自然と共に、こうした生き物の観察から生まれる感動の対象としてのソフトな自然を思った。自然に包まれ、自然を観察し、知覚することから自然保護の思想が生まれるのだろう。

蝶に魅せられた少年の日の爽やかな思い、再びかえらぬ青春はやはりまぼろしであったのか。今老いた心で、遠き日のあまりに豊かな春を誰に語ればいいのだろうか。




緑雨の田んぼ

2007-05-19 | 環境問題
今朝、雨の中を、傘をさしラックと散歩に出た。
 まだ梅雨には早いが、田植えの澄んだ田に緑雨が降る風景はとても落ち着く。
 しとしとと水面に波紋が広がり、稲の苗が揺れている。
田を眺めながら、すくすく伸びる稲の緑、真夏のむせ返るような懐かしい稲の香り、そして夕日に映える黄金の実りの情景が目に浮かんで来た。稲の成長を眺めながら月日が流れていくのだ。
 この辺りも道路ができ、住宅が広がり田んぼや畑が少なくなった。昔、普通に飛び交っていた蛍も、今はほとんど見なくなった。住宅地にもわずかでも田園風景を残していきたいものだと思った。

原発制御棒抜け事故 安全性に鈍感

2007-03-24 | 環境問題
 今回の北陸電力や東京電力の原発制御棒抜け事故に強い憤りを覚える。
 これまでも東京電力の福島原発のトラブル隠しは際限がなく、企業体質への不信は原発の危険性への憂いをますます大きくしている。問題を起こすたびに頭を下げるだけでは済まされない。核分裂反応は待ってはくれない。危険性、安全性への鈍感な意識に、あらためて原発への依存に疑問を抱かざるを得ない。
いま世界のエネルギーの90%が化石燃料に依存し、排出する二酸化炭素による地球温暖化が急速に進んでいる。核燃料のエネルギーはいい面もあるが、廃棄物の処理も含め、安全性の確保は絶対である。
地球的な視野で見ると、今後は無限に供給可能な風力、太陽光、バイオマス等の太陽からの入射エネルギーを求める理想を追求すべきと思う。
 それにしても、膨らみすぎたエネルギー大量消費社会は逆戻りできないのだろうか。ライフスタイルを見直し、少しでもできることをするしかないのだろうか。

マダラナニワトンボを守りたい

2006-10-23 | 環境問題
 《枝にとまり周囲をうかがう♂。 長時間は止まっていない。》

7月に市の環境生活課より、「身近な生き物調査隊」への協力依頼を受けた。
この市の生息調査は、応募した市民が、ほ乳類、鳥、は虫類、両生類、昆虫etcについて、発見種、場所、日時を記録して報告するもので、個人で8月,9月に数地点で調査をした。
 【参考:拙ブログ9/26 「身近な生き物調査隊」 】
 私は昆虫、特に少し詳しいチョウを中心に調べてみたが、いろいろ新しい発見があった。

 成果の1つは、環境庁や福島県が共に絶滅危惧種第Ⅰ類(CR+EN)に指定しているマダラナニワトンボを確認したことであった。
(*) ○「絶滅危惧IA類(CR)・・・ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種
    ○「絶滅危惧IB類(EN)・・・IA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種
 
 マダラナニワトンボは日本の特産種で今絶滅の危機にあるトンボだ。体長は約4cm位、赤トンボの仲間だが色は黒く、腹部に独特の黄色い紋がある。7月中旬ころ羽化、8月頃は近くの松林の中にいて、9月下旬に池の畔に現れ産卵する。秋9月から10月にかけて、気温が上昇傾向にある昼頃から産卵に訪れるようだ。調査中、マダラナニワトンボは空中から、連結しながら、湿土上にさかんに打空産卵を繰り返していた。
 観察をしながら、この小さなトンボがいつまでも生息できる自然環境の保全を願らざるを得なかった。
この池の水の流れはどうなのか。1年を通しての池の管理は。殺虫剤や枯れ葉剤などの流入の心配はないのか。 産卵された卵の保護は大丈夫なのか。外来魚のブラックバスなどが入ってしまえば、池の生態系はすぐに壊されてしまう。心配はきりがないが、これまで生息し続けてきた、常緑樹、広葉樹に囲まれたこの池の立地環境が変化しないことが必要だ。現状以上の保全を真剣に考えなければならないと思った。
また、絶滅危惧種についてはその復活を考えていいのではないかと思った。例えば、会津盆地は、今は完全に絶滅してしまったチョウ、オオルリシジミ(絶滅危惧I類(CR+EN))の代表的生息地であった。各地でオオムラサキやほたるの保護が行われているが、以前に生息していた地域で、開発による環境の変化により絶滅してしまった種の再生は必要だと思う。
絶滅が心配されているマダラナニワトンボの生活史に悪い影響を及ぼさない環境の保全をと願ってやまない。

 今回の調査で確認したトンボは以下であった。
 【 キイトトンボ、 アオイトトンボ、 チョウトンボ、 ショウジョウトンボ、 ナツアカネ、
   アキアカネ、 オニヤンマ 、 ノシメトンボ、 ギンヤンマ、 チョウトンボ、
   ミヤマアカネ、 オオルリボシヤンマ、 マダラナニワトンボ  等 】

 これらのデータが今後のよりよい環境保全に供されることを願っている。


《 連結して打空産卵 》


《 マダラナニワトンボの生息する池》








自然の中のビオトープ

2006-08-25 | 環境問題
              【霧ヶ峰八島ヶ原湿原】 

この夏、妻の里信州へ帰省の折、美しいマツムシソウが咲き乱れる車山高原を散策した。そこで、ホテルのマガジンの「車山高原ビオトープ誕生」というタイトル記事を目にした。大自然の中でのビオトープとは?と奇異に感じて記事を読んだ。駐車場のコンクリートを剥がして、今まで水路に捨てていた山の湧き水で湿原をつくったとあった。かつて自然を破壊してつくった空間を、今自然に帰そうという構想にとても感心した。
そのマガジンには「自然は本来あるがままに放置することではなく、自然との接点をつくることが大切」と書かれていたが、それがビオトープの原点なのだろうと思った。

 ビオ(生き物)のトープ(住むところ)という意味のドイツの自然思想であるが、十年ほど前から話題になり、学校や公園、公共施設等でビオトープ化が広まった。 意味からすると、実は当たり前の身近な自然そのものがビオトープなのだが、失われた自然を取り戻すためのビオトープの復元は、あらためて都市部の乏しい自然環境の現状を物語っているようで、切ない気持ちになる。 幸いまだまだ豊かな自然にめぐまれた地域は多いが、このビオトープは別の視点からの反省を促しているように思われる。私たちはこの身近にある貴重な自然環境を、もっと野生生物を見つめる視点から捉え利用するべきではないだろうか。それが自然保護の理念そのものだろう。
 たしかに学校敷地などではさらなる植樹が必要かも知れない。また除草剤の使用を避ければ、植物が虫たちを呼ぶだろう。小さくても自然の生態系を大切にするビオトープ的発想から子どもたちの自然保護の思想が養われるはずだ。

帰路、戸隠の森林植物園に立ち寄った。入り口近くの「もりのまなびや学習館」は森や自然を楽しく学べる、すばらしい工夫がされ、広い公園は、すばらしい自然の接点そのもので、理想のビオトープであることを再認識した。

環境月間に思う

2006-06-05 | 環境問題
 6月は環境月間、6月5日は環境の日だ。

 環境問題がクローズアップされた二十世紀後半だったが、今私たちはどれだけ美しい自然を楽しみ、さらには踏み込んで自然との関わりを持っているだろうか。
 思えば小さい頃から蝶を追いかけ、いつも身近な自然の中にあった自分だが、社会に出てからは年に1、2度の山登りを楽しむ程度になってしまった。庭の自然でも不満はないが、深まり行く木々の緑を眺めながらより大きな自然抱かれたいと思う。
 温帯林に恵まれた日本の素晴らしい自然、それぞれに美しいふるさとの四季をあらためて思う。そして、周囲にいつもあるこの自然を、当たり前ではなく大いなる恵みであることを再認識したい。
 恵まれた豊かな自然の中であれば、自然への畏敬の念や環境保全の思想が生まれるに違いない。こうした私の自然観や自然への思いが、自然に親しんだ少年期に培われたことを改めてありがたく感じている。
スケッチ《沼の倉より磐梯を望む》

ヤマボウシの花は美しかった

2006-05-28 | 環境問題
        《緑から白色へ》

 樹木はそれぞれに個性的で美しいが、私は清楚なヤマボウシが好きだ。
 初めてヤマボウシを知ったのは、【植物と人間(生物社会のバランス)宮脇 昭著(NHKブックス)】を読んだときだった。
 その「はしがき」には、「植物と人間の関係といえば、多くの人はすぐ庭の盆栽や切り花を思い出す。また、多少関心のある人は、例えば箱根のヤマボウシの白い花は美しかったという。人間社会の枠の中で生活できた時代は、・・・・」とある。
 ときどき、環境教育授業の資料として使ってきたこの本では、まとめとして、「よりよく生きるための、健全な社会の発展の基礎は、自然の緑の必要性をみんなが共通に理解し、まず生きている緑の確保から始まる」と結んでいる。
 当時、実物を見たことがなかったので、図鑑の写真で見ていたが、その後、ヤマボウシの苗を購入し庭に植え、毎年美しい清楚な白い花が咲いている。また、米沢市のヤマボウシ並木が美しく印象深い。それを見にわざわざ行ったこともあったが、秋には紅い実が熟し一段とすばらしい街路樹となっている。
4枚の総苞に囲まれた小さいのが花だ。小さな花が20~30個集まった球形の頭状花序を作る。果実はそのまま大きくなったような集合果である。ハナミズキも同じ総苞だが、ヤマボウシは先端が尖っている。
 今、緑から白へ、日に日に大きく広げるヤマボウシの花をながめながら、緑の自然の大切さについて思いを巡らせている。

私の自然観察授業 (高校での環境教育)

2006-05-26 | 環境問題


私は在職中に、よく生徒に植物の観察スケッチを課した。
スケッチのための自然観察により、気づかなかった様々な生き物の世界を知ることができる。五感を総動員しての観察は自然を身近なものにする。そして自然を学ぶ心から、人と自然の関係を知り、足元から行動することの大切さを学び、さらには自然への畏敬の念すら生まれると考えた。

 生徒の理科離れが言われて久しいが、生徒が身近な自然に興味、関心を持ち、好ましい自然観を身に付けるためにはどんなことが必要なのだろうか。
 自然の探求は観察することから始まる。注意深く観察していろいろ考える。そしてそこに必ずある、疑問を見いだす。 わからない、なぜだろうか不思議だ。 こうして抱いた問を解決する過程が、自然をより身近にするはずだ。

 今、あらためて教室を出て自然の中で体験的に学ぶ意義を思っている。生徒の生きいきした感動は書斎科学からは生まれないからだ。
都市化が進み自然は失われるが、さらにこの現代社会空間において、人間の自然観までが影響されるような気がしてならない。


柳津西山・地熱発電所

2006-05-12 | 環境問題
 会津きっての名刹・福満虚空蔵尊*から只見川の支流滝谷川を約10キロ遡ると、日本一の地熱発電所のある西山温泉郷がある。温泉を目的に来たが、折角なので東北電力の柳津西山・地熱発電所*のPR館を見学することにした。
 充実したPR館で、自然エネルギーや熱の世界のこと、地熱発電のしくみをわかりやすいビデオで視聴できた。
 日本の地熱発電はわずか0.7%に過ぎないが、そのうち東北地方の4カ所を合わせた出力は全国の50%を占めているという。そしてここ西山発電所は、単機では日本最大出力を誇る発電所である。 
 化石燃料による発電は排出ガスが地球温暖化、大気汚染、酸性雨などの原因となり、また埋蔵量にも限りがある。また原子力発電は、これら排出ガスがない利点があるが放射性物質の安全性の確保が必要で発電に伴う廃棄物処理にも問題が多い。
 日本は火山列島と呼ばれるほど、火山が多い。地下深部のマグマは膨大なエネルギー源である。当然、自然環境との調和が必要だし、探査・開発に多大な費用や火山性の自然災害へのリスクもあるが、地熱はほとんど無尽蔵であり、水力とともに再生可能な貴重なエネルギー資源で極めて高い供給の安定性を持っている。地球にやさしいエネルギーだ。
地熱発電の意義をもう一度考え直したいと思った。
  帰りに西山温泉郷で温泉に浸かり、地熱の恩恵に浴しながら、しばしエネルギー問題を考えた。そしてお土産に、柳津名物の粟饅頭を求めた。

* http://www.aizu-reichi.gr.jp/ennzou/
*http://www.tohoku.meti.go.jp/geo/yanaizu.htm

チェリノブイリ事故から20年

2006-04-17 | 環境問題
NHKスペシャル「チェリノブイリ事故20年」▽突然のガン多発▽被ばく500万人汚染地に暮らす (4/16 10:00) を視聴した。

 20年前の4月26日、史上最大の核汚染、チェリノブイリ原発事故が起こった。
 いま、その後の実態が報道され、あらためて放射能汚染の恐ろしさを知り、同時に原発の安全性について考えさせられた。
 旧ロシア各地での深刻な健康被害は、事故後処理に当たった人のガン多発、20年経って甲状腺ガンの発症が増えている(ベレルーシ)、また比較的低い放射線量の地域でも長期の被爆による突然の白血病の発症が増えている(ゴメリ)などである。
あの一瞬の事故による放射能汚染は数百年以上続くことを認識しなければならない。そして、原発については、人為的にも自然的にも絶対に安全とは言えない。
 今何が問題なのか。突き詰めると、近代文明をどうとらえ直すかの問題だと思う。
省エネ、需要抑制しかなく、とりあえずは原発重視から代替クリーンエネルギー政策への転換が重要と考えている。今後も原発政策、今問題のプルサーマルにも注視していきたいと思う。

都市開発の中、庭にキジ

2006-04-15 | 環境問題
今朝、裏山でキジが鳴き、尾が長く、顔が赤いきれいなオスの姿をカメラに納めた。
キジの後ろでは、大きな施設の建設が進められている。
 この地に住んで30年になる。自然豊かなわが家の庭に、今もときどきキジが訪れているが、地域の開発は進み、年々少なくなる自然の中で、キジはよく生き延びてきた。キジを眺めながら、人間の罪深さを思わざるを得なかった。 
 自然との共生が叫ばれるが、今こそ一方的に進めてきた開発を反省し、進んで自然を取り戻す共存関係を築かなければならないと思った。
 ケーンケーンと鳴くキジが愛おしく、鳴き声が何かを訴えているように聞こえ、切なく思えた。