エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

新緑のいのちの輝きに感動

2021-05-31 | 日々の生活

本日の民友新聞に駄文が掲載された。 

言いたいことはいつも同じだ。(投稿は5/15)

********************

新緑のいのちの輝きに感動

カメラを携え新緑の里山を巡り、一斉に動き始めたいのちの季節を満喫している。

会津盆地を潤す猪苗代湖からの清らかな流れにニホンカワトンボが舞い始め、木漏れ陽に朱色のヤマツツジが鮮やかだ。

ここ、自称”ウスバシロの楽園” では、清楚なコンロンソウの開花を待ちかねたウスバシロチョウがたおやかに舞っている。

冬を越したタテハチョウの仲間が姿を消し、新生の初チョウはコツバメやトラフシジミ、ツマキチョウなど、新緑を喜ぶように活発に飛び回っている。

いよいよ虫の季節、ファインダー越しに見る小さないのちは、どれも個性的で美しすぎる。

レンズを通して、待ちに待った季節を精一杯に生きるけなげな姿に心動かされ、生きていることのよろこびを共有している。

**********************

  

   

 

 

 

 


いつまでもチョウの舞う街を

2021-05-29 | 日々の生活

新聞の読者欄へ投稿した一文が、先日掲載された。

***********************

チョウを守るため 多様な食草必要』  

羽化したばかりで近寄っても動かないチョウを庭で発見した。

手に取り、新芽が伸び始めた食草のウマノスズクサに近づけると、歓喜の羽ばたきを始めた。

昨年秋に庭で育ったジャコウアゲハの誕生だ。ふるさとの庭を離れ難いのか、しばらく舞っていた。

ようやく咲き始めたコデマリの細い枝に、冬を越したホシミスジの幼虫を見つけた。

5/10 5/24蛹化 20.6月

やがて羽化するこのチョウの舞いは、40年来庭で続く初夏の風物詩だ。

いま市内では、営々と生息してきたヒメシロチョウが絶滅の危機にある。

食草ツルフジバカマの自生地が少なくなってきたことが要因だ。

希少種だけでなく、以前は庭のサンショウにアゲハチョウが、フランネルにはキアゲハが産卵に訪れていたが、最近はとても少ない。

生物多様性の保全が言われて久しいが、それぞれの食草を守ることはチョウを守る大切な方策となるに違いない。

美しい花もいいが、庭にいろいろなチョウの食草を植えてはどうだろうか。(福島民報 2021.5.27)

*************************

【参】拙ブログ 「庭のいのちを見つめる」
         https://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/bb13a36dc81d9c2c29c59848a5facaa7                      


初夏 朝の楽しみ

2021-05-27 | 日々の生活

朝の日課、スズメのエサやり。 嘴の黄色い幼鳥はかわいい。それにしても警戒心強いスズメちゃん、臆病だな~。

      

いつも、みーちゃん、もえちゃんを送りがてら、庭を巡る朝が楽しみだ。

最近目にした、弱肉強食の世界。

ユキヤナギの枝を選定中、ホシミスジノ終齢幼虫を新たに5頭発見。おまけに前の抜け殻も。

数日前に第1号が蛹化した。結構広範囲に飛翔するのが心配だが、まずは安泰だ。

      

収穫する間もなく花も終わって、種が伸びていた。幾株科にはモンシロチョウ。

見上げるとキリも咲いていた。ブドウの花芽、イチゴも食べごろ。

  モンシロチョウか  

     

鉢植えの花、梅雨時の元気。

    パセリに

身近な庭に、数々の命の営みを見る。すべてが尊い。


庭のいのちを見つめる

2021-05-15 | 日々の生活

朝、金魚とスズメに餌をやりながらホシミスジの幼虫を観察する。毎日の日課だ。

ホシミスジ幼虫は、雪を前に観察していた個体は行方知らず。

春になり、別のユキヤナギで2頭発見。数日前に1頭は突然姿を消してしまった。

クモだろうか鳥だろうか、残念だ。今日、咲き始めたコデマリの樹上に、新しくで一回り大きい幼虫を見つけた。

何とか羽化まで見届けたいと思っている。

   

    

昨日の朝、車の横にジャコウアゲハメスが。近寄っても動かない。

手に取り、新芽が伸び始めたウマノスズクサに近づけると、歓喜の羽ばたきを始めた。

わが家で育った個体だろう。しばらくふるさとの庭を舞っていた。

また卵を産みに来てくれ。

        

  

   

    

   餌台に珍客 アオダイショウ

 穏やかな庭を楽しんだ。                                                                                                                                                                                                             

 

 


あわれ花びら流れ

2021-04-25 | 日々の生活

今朝の新聞に投稿文が載った。

数日前に、法用寺の虎の尾桜を鑑賞したときの思いだ。

***********

散る花に青春がよみがえる 

 咲きほこる桜は美しいが、花びらが風に流れて散る光景が好きだ。いつもこの時期、達治の青春の詩「甃のうへ」を口ずさみ寂寥感に浸っている。 ”あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ おみなごしめやかに語らひあゆみ・・・” 高校生のころ、静かなお寺の境内を歩くさわやかなイメージに共感した覚えがある。/先日、会津美里町の法用寺に虎の尾桜を訪ねた。はらはらと流れる花びらは、まさに、あはれ青春の流れ、境内の美しい三重塔や町ゆかりの啄木歌碑にも花びらが散り急いでいた。また、そんな情景に学生時代の寮歌が浮かび、しばし感懐にふけった。 ”春寂寥の・・・ 木の花蔭にさすらえば あわれ悲し 逝く春の  一片毎に 落る涙”と。さわやかな新緑の中で寂寥感に満たされつつ、つぶやく達治の詩や寮歌に懐かしいひとときがよみがえった。

***********

   

    

   

啄木歌碑 「あらそひていたく憎みて別れたる友をなつかしく思ふ日も来ぬ」 「敵として憎みし友とやや長く手をば握りきわかれといふに」

   

 【参】拙ブログ 「雪の中の 啄木歌碑」   (2008-02-12 | 街中散歩)

       https://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/21638bf167d5a30168f39fdea59c15ca

穏やかな陽に、たくさんのニホントカゲが顔を出した。

 

幼体  遠くに磐梯  帰路、近くの千歳ザクラを鑑賞

のどかなひとときを過ごした。

 


個性豊かな自然の友 1つ1つが新鮮でいとおしい

2021-04-23 | 日々の生活

《備忘録として》

癌のマーカーが上昇し、今日、内臓の検査があった。

数日間、食事面や検査薬の投与などで準備が大変だった。

でも、結果は「異常なし!」明るい気持ちで帰宅することができた。

ふと、今ある健康を思い、大切に過ごさなければならないと肝に銘じた。

ステージ4の癌を患い、手術と長い入院生活、あれから18年になった。

退院後は5年後の生存率0%といわれ、入退院を繰り返し定年を待たずに仕事も辞めた。

今生きている奇跡をあらためて思った。

 帰宅後、気分が変わって、近くの里山にオクウスギタンポポを撮りに行った。

嬉しくて浮足立っていたのか、タンポポに吸密するベニシジミが目に入り、近づいた瞬間、U字溝を踏み外した。

左足が泥にまみれ、しぶきが左ズボンを濡らした。一ヶ月前の事故を繰り返してしまった。

そんな話をして、バーちゃんに送り出されてきたばっかりだった。

幸い左腿を強打したくらいで済み、強く打ち付けたカメラも無事だった。

最近確かによろよろ老人病の気があるが、あらためて十分な注意を誓った。

**************************

オクウスギタンポポは少し早かったが、明日にも咲きそうだ。

道路を外れ林に入ると、いろいろ発見があるものだ。

自称「ウスバシロの森」では、ムラサキケマンがもう咲き始めていた。

ウスバシロチョウにはあと10日もすれば再会できるだろう。

オクウスギタンポポつぼみ 

  ムラサキケマン

いつも寄るポイントを急ぎ足で巡った。

ボケやオドリコソウはまだ早かった。きれいなサクラやワサビの花がよかった。

ウスバシロノ森オクチョウジザクラ

タチツボスミレ ヤマワサビ

ハナアブ ナガメ

フキ綿毛 

マルバスミレクロモジ

 トチノキの新芽

 長原の田んぼ道のきれいな花梅が満開だ。 1本の木の枝に、赤と白とピンクの花が咲いている。「源平咲き」と言うらしい。
土手のタンポポやスミレを見ながらの、少し遅れた花見だ。見事だ。

  

わずか1時間の夕暮れの山里だったが、今日の検査結果やこれまで救われた幾多の奇跡を思うとき、

個性豊かな自然の友達との1つ1つのふれあいは新鮮でいとおしいものがあった。

幸運の一日が終わった。

 


季節外れの投稿記事  《通学路での交通指導に感謝》  

2021-04-22 | 日々の生活

 

 

 数日前、新聞投稿の記事が掲載された。 

 1か月も前の 忘れていた季節外れの投稿だった。

*************************

「通学路での交通指導に感謝」

    

新学期が始まる。咲き始めた桜の木の下を小学生の列が明るく通り過ぎることだろう。

雪の季節には、高校生の孫娘を車で送っていた。

毎朝、通学路で交通指導をするお年寄りの姿を見かけ、心の中で感謝の一言をつぶやき、通り過ぎていた。

当たり前の光景だろうが、ボランティアの善行に感謝している。

雨の日も、猛暑の夏も、行き交う子供たちに笑顔で挨拶を交わしながら、毎朝交差点に立つ。

勢いよく走る高校生の自転車や右折、左折する通勤ラッシュの車などで、危険いっぱいの交差点だ。

うず高い積雪に出合い頭の事故も心配だ。

先日、止められた車の中から子どもたちの横断を指導する姿を撮って、感謝の言葉を添えて手渡した。

善行の一こまを切り抜いた写真で感謝の気持ちを伝えたかった。


湯船で磐梯冬景色を楽しむ

2021-04-07 | 日々の生活

  

 

                                             猪苗代翁島の雪景色

             空には ”春まだ浅き 雪原遙か 秀峰 凛としてうるわし

 

  最近、秀峰磐梯を眺めながら湯に浸かっている。と言っても露天風呂ではない。

先日、我が家の味気ない風呂の壁に、雪原に聳える磐梯山の雪景色を掲げた。

百均ショップで求めた特大のスチロール板に絵筆でスケッチを描いた。

この思いつきがようやく実現して嬉しい。

数日、このこころ広がる雪景色を眺めながらのお風呂を楽しんでいる。

湯につかってぼんやり磐梯を眺めていると、ふと半世紀も前にタイムスリップ、

勤めていた会社の裏に4畳半2間の部屋を借りていた新婚のころを思い出した。

二人で通った近くの銭湯の湯船では、言うに及ばずペンキで書かれた富士山を眺めていた。

また、南こうせつの歌う名曲「神田川」を思い浮かべた。

”若かったあの頃・・・小さな石鹸カタカタ鳴った” 

”横丁の風呂屋 一緒に出ようねって言ったのに・・・”と口ずさみ、懐かしい思い出に浸った。

暫らくは、いろいろ思い浮かべる長湯になりそうだ。

 


齢 75を数える

2021-04-03 | 日々の生活

  誕生日を迎えた。いつしか後期高齢者だ。先々への多少の不安がよぎる。

  先月は、定期的な内科の他に、急な不具合で循環器科に世話になり、数日前は腫瘍マーカー上昇で消化器科の検査日程が決まった。

  また、数日前のタイヤ交換で足を痛め、昨夜は腹痛、頭痛に苦しんだ。

 このところ、明日はどうなるかわからない体調を実感している。

 
これからの日々、心の豊かさを求めていきたい。
  【75歳の区切りに思い巡らせた。】
   〇新しい出発に長かった半生を思う
    至らぬわが身を反省している
   〇最近、身近な自然にカメラを向け、飽かず眺めている
    文章を書くことで自分の心を見つめている
    いろいろ悩みつつも、楽しみながら生を求めん
   〇優しくありたいすべての友に

毎日が矢のように過ぎ去っていく。時間がないのだ。
そんな心境の一端を新聞に投稿した。(参考)拙ブログ 「時間を考える」 2021-02-25 | 日々の生活

*********************
あらためて”時間”を考える ( 「窓」欄掲載 4/1)
           
このところ数日温かくく春を思わせたが、今日は冬へ逆戻り、まさに三寒四温の候だ。朝食後はいつも、籐椅子に座って雪の庭を眺めながら新聞に目を通す。このひとときが好きだ。老いて残された時間を考えるようになった。何か日々が無為に流れていくような気がしてならない。書を読み、思いついた心をメモする。静かな時間に音楽とコーヒーもいい。指を折り五七五七七と数えたりしている。好きに過ごすのが一番だろうが、一日は24時間、あらためて”時間”を意識している。ふと、居間の色紙額”生涯懶(ものうく)立身 騰々任天真”を見つめた。豊かさを謳歌する現代人とは無縁の良寛の生き方に思いを重ねた。雪の季節はできなかった里山を巡り、鳥の声を聴き、雲の流れを追う自然の中で、心豊かに過ごしたいと思っている。
*********************

昼前に、ヒメシロチョウの様子を見てきた。

いよいよ市内で生息し続けてきたヒメシロチョウが絶滅の危機にある。

このところ数年、激減していたが、心配が現実味を帯びてきた。

暫らく様子を見に通ってみたい。

 

以下河川敷の様子。

 

  

刈り残し ムクドリ

モンシロ クキタチ

 オニグルミ   ハシブト

  

お昼前に、昨日からお泊りの悠君、サッカー練習の迎えに 

 

解散前にN小学校散策、桜が咲き始めていた

ハクモクレン

御夕飯、あっ子、みーちゃん家族とささやかなお祝いをしてもらった。

沈んではいられない。元気で過ごそう。

 


小さな庭を楽しむ

2021-03-31 | 日々の生活

庭に咲き始めた家族の一員が沢山いる。

毎年、元気にそれぞれの生きざま、栄枯盛衰を見せてくれる。

Huruさんから、咲き始めた桜の枝をいただき、早速花瓶に挿した。

部屋が明るくなり、元気をもらった。

 

庭には、数日で素晴らしい花が咲き始めた。

   

   

トサミズキ 

カゲロウが飛んできた  ユキヤナギ

ニイザクラ  

   ミスミソウクリスマスローズ ハクモクレン

我が家にもルリシジミ

 

ちょこちょこ庭に出た。

いつも家族の一員に感謝している。ありがとう。

 

 


初チョウ 春の里山 ばんざい!

2021-03-31 | 日々の生活

このところ数日、最高気温が20度近い。

自然界のいのちは、それぞれがすべてが教えずとも春を知っている。

里山散歩、数日前に越冬したタテハ類が姿を現してくれた。いつもより少し早いだろうか。

今日は、先日はあまりに元気で止まってくれなかった初チョウ、ルリシジミを撮影。

先日のキタテハに次いで、クジャクチョウ、ルリタテハ、シータテハと再会できた。

   

 

   

スミレも、スイセンも、フキノトウも

  

フッキソウも、薄紫のキクザキイチゲも

  

柳類の穂も、

  

キブシも、アブラチャンも トネリコも

  

梅も、

 

ヒュウガミズキも

コブシも

  

みんな、みんな、個性的で美しい。

これからも、すべてに感謝しながら里山を巡りたい。 3月が終わる。

 


春を告げる会津彼岸獅子

2021-03-20 | 日々の生活

穏やかな春を迎えた。

毎年恒例の会津彼岸獅子の公演をお城本丸へ見に出かけた。

いつになく観客が少ないようだった。

 

  

   

  

お濠には、数は少ないが、ヒドリガモ。マガモ、カルガモ、コガモが、他にオオバン、カワウがのんびりしていた。

コガモ マガモ

    

   潜り名人 オオバン

カメがあちこちに日向ぼっこ。甲羅の色はいろいろだが、外来種のミシシッピーアカミミガメだろう。

     

  メタセコイヤ 

 

いつものように、三の丸で秋月悌次郎の看板を立ち読みした。

詩碑の裏に「北越潜行の詩」が刻まれていたことを初めて知った。

有故潜行北越帰途所得   会津  秋月胤永

行無輿兮帰無家 行くに輿無く 帰るに家無し
國破孤城乱雀鴉 國破れて 孤城雀鴉乱る
治不奏功戦無略 治は功を奏せず 戦は略無し
微臣有罪復何嗟 微臣罪あり 復た何をか嗟かん
聞説天皇元聖明 聞くならく 天皇元より聖明
我公貫日発至誠 我公貫日至誠に発す
恩賜赦書応非遠 恩賜の赦書は 応に遠きに非ざるべし
幾度額手望京城 幾度か手を額にして京城を望む
思之思之夕達晨 之を思い之を思うて 夕晨に達す
憂満胸臆涙沾巾 憂は胸臆に満ちて 涙は巾を沾す
風淅瀝兮雲惨澹 風は淅瀝として 雲は惨澹たり
何地置君又置親 何れの地に君を置き又親を置かん

 

    

(参)拙ブログ 「束松峠の詩碑」 https://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/s/%E6%9D%9F%E6%9D%BE%E5%B3%A0
        「神のような人 秋月悌次郎」   https://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/0d6cbe95f4879840ef2d14b66c011010
              

越冬のキタテハに出会った。今年の初蝶だ。

 モミジの幹

 お彼岸の中日が穏やかに暮れた。(2021.3.20)


彼岸の墓参り

2021-03-20 | 日々の生活

昨日は午前中お彼岸のお墓参り、午後はHちゃんにお線香をあげに行った。

豊岡は、暮れから降り積もった落ち葉の絨毯、ほとんどがモミジ。

小一時間の落ち葉集めに、鼻水が出始め、目がかゆい。

赤茶けたスギの落葉に、スギの花粉症を疑う。

   

今年は父の33回忌、母が逝って18年を迎える。

何度も生かされ、今、静かに線香をあげている。

広いお墓の一番奥に初代、向かって右側に本家の墓石が並ぶ。

墓石の刻字が崩れ読みにくくなってきたが、初代の覚林院・・・の墓石の側面には元禄2年10月とある。

いつか、立ち並ぶ墓石と過去帳の家系図を照合したことがあった。

連綿と続いた家系、兄が12代、カロートは明治時代に建立のようだ。

小さな菊の花束を供え、線香を手向けた。

「健康に気を付けて、穏やかに過ごしなさい」とご先祖の声が聞こえてきた。

足元にオツネントンボが飛び出した。梅の花もほころび始めた。 

  

::::::::::::::::::::

天気は下り坂なようだ。午後、Hちゃんへお線香をあげに柳津へ。

久々の談笑中に、列車通過時間が来たので裏庭へ出た。

まだ残雪が膝ほどある裏の畑、途中埋もれながら線路わきから電車を撮った。

   会津若松行き

  倒木された杉林に

帰路は決まって月見ヶ丘温泉につかった。

 良寛像と円蔵寺

また、珍しい食材をいろいろいただいた。

シミ大根、シイタケ、ミズナ、マイタケは解凍したもの、他に、身欠きにしん、切り干し大根と。

ばーちゃんは細かく料理法を伝授されていた。晩には一杯多く飲めそうだ。

清々しいお彼岸の一日を終えた。(2021.3.19)


原発事故の検証

2021-03-12 | 日々の生活

穏やかに晴れ渡った。雲一つない青空が広がっている。

10年前のあの日は肌寒く、季節外れの驚くほどの吹雪だった。

1年1年、3・11に向き合ってきたが、今日も切ない思いで一日を迎えた。

つかの間の10年だった。自分なりに心の整理が必要と思っている。

節目の10年を重く受け止めている。

 大地震、津波の災害は言うに及ばないが、思うは原発事故のことだ。

 最近明らかになった原発事故の検証結果にショックを受けている。                   

安全神話が崩れた事実、原発そのものは言うに呼ばず、事故発生時の対応からは事故は人災だと思う。

大量に残るデブリの回収計画も簡単には受け入れられない。100年かけても不可能とする専門家もいる。

まだ原発の再稼働の動きがあるが、最近は脱原発へと心が動いている。

これからの故郷のため、日本のために震災の教訓を心に刻みたい。

    ****************************
(参)拙ブログ 
 ○「寺田寅彦の示唆に富む警鐘 」   2012-03-24 | 文芸
       https://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/8bec5885d96e302a1cea5cb7604558f5
    ”大震災あれから巡り竹の秋”
  書斎からながめる春は、まだ浅い。小雨に濡れる椿の緑と黄ばんだ竹の葉が風に揺れている。「竹の秋」は春の季語。親の竹は、新緑の時期に葉っぱが黄色く枯れたようになり、終には落葉する。まるで秋の紅葉のような現象を「竹の秋」と言う。
 庭の黄ばんだ竹の葉は、春を迎える明るさに影を落とす一抹の寂しさを感じさせた。そんな肌寒い早春の庭をながめながら、寺田寅彦随筆集を持ち出し、目次から「天災と国防」、「災難雑考」などを拾った。
 そこには、地震の「現象」は止められないが「災害」は注意次第で軽減しうること、さらに文明が進むほど自然災害は甚大となる事実、「安政地震」とは事情が全く違うこと、また、事故の責任の取り方や検証の意義、気象学的地球物理学的に絶えず脅かされる運命に置かれる日本であることを一日も忘れてはならないことなど、もう80年も前の物理学者の震災への示唆に富む警鐘があった。天災は忘れた頃に来たのだ。
     ****************************
 ○「悲しみの向こうに きれいな花が咲く」 2013-03-12 | 日々の生活
  復興支援ソング、亡くなられた人への鎮魂の歌、被災者への応援歌『花は咲く』を毎日聴いている。いつしか、この心に染みる、寂しく静かな、そしてきれいな歌の歌詞を覚えた。作詞をした岩谷俊二氏は、亡くなった人たち、生き残った人たち、あの震災を遠くから心配していた人たちの、3.11から今に至るまでの想いを、僅かでも書き留めたかったと述べている。
 地震、津波、さらには原発に被災した方々の思いをテレビで見ては、切なく、いつも悲しみを共有することしかできない自分が情けなかった。
歌詞の一節「わたしは何を残しただろう」が気になっていたが、亡くなった人の悔しさを思い、その人の分までしっかり生きて花を咲かせなければならないと思った。
 厳しい寒さの季節の後には間違いなく暖かな春が来て、花は咲く。悲しみの向こうには新しい明日、きれいな花が咲くに違いない。 大震災から2年が経った。
     ****************************

          
心がまとまらないままに、春まだ浅い里山が呼んでいた。

つい先日まで雪道で通れなかった高速沿いの道を通り、雪の飯豊を遠望し会津慈母観音像を拝んだ。  (2021.3.11)

   

    


フキノトウ

2021-03-06 | 日々の生活

 救急車で運ばれてから2週間が経った。心房細動の診断で2週間薬を飲んで様子を見た。

幸いに異常もなく再診日を迎えた。心電図も正常で一安心、薬も脈の乱れを整え、心筋梗塞を抑える薬だけを1か月続けることになった。

歳を取ると色々出てくるものだ。1か月朝晩の計測をして血圧日誌を付けることになった。

いつまでも若いと思っていたが、4月には後期高齢者になる。

 

穏やかな、さわやかな春の日になった。

庭に出て雪の塊をシャベルでよけると黒く濡れた枯葉が重なってる。

その葉をよけると、黒い土から黄色い先が緑色の芽が出てきた。スノードロップかスイセンか。

続いて脇の雪を広げると、チオノドグサの芽か?、ブルーの可憐な花を連想した。

家のあちこちに飾っておいたカリンを庭にほおった。

   啓蟄の雪をよければ新芽伸び

   雪の下落ち葉が新芽守りおり

   積雪に耐えし緑の天を指し

         

   ツマグロオオヨコバイ

雪対策のひもを解いて回った。

ブドウ棚の竹の支えが雪の重みで何か所も折れている。早速補修した。

今年も葉を広げ、たわわに実るだろうブドウを思いながら伸びた枝を固定した。

 

蕾をいっぱいつけたツバキの下には、冬を元気に越したシダ植物が青々している。

裏になった葉に胞子が並んでいた。隣の葉を裏返すと、ここには胞子のないことに気付いた。

新しい発見だった。図鑑で調べると、胞子葉でない栄養葉があるらしい。

よく分からないでいたシダ植物について、ネットで少し学んだ。

あらためて生き物の仕組み、奥深い神秘を思った。

  胞子葉

左:栄養葉  

 

裏庭はまだどっさりの雪。解け始めたところにいくつものフキノトウを見つけた。

雪の上並んだフキボコ輝けり

     

早速つまんで蕗味噌に、昼に春の香りを楽しんだ。(2021.3.5 啓蟄)