いつまでも平和でありたい。
大好きな文才・北杜夫の作品のほとんどが、いつしか我が蔵書となった。
先日図書館で、読まないでいた彼の著作「神々の消えた土地」を見つけた。
ぺージをめくると、信州、松高、美ヶ原、乗念・・・、「白きたおやかな峰」や「少年」「幽霊」などを連想し、借りてきた。
一気に読了した。
その「あとがき」に、北が大学2年23歳のとき、創作ノートに半分書いておいたものを64歳の時に完成させた、幻の処女作品とわかった。
また、「戦争を知らぬ若い人に読んで頂きたいと密かに念じている。戦争の悲惨さは、いくら戦争の記録を読んでもテレビを見ても、
実際に体験しないとなかなか分からないものだからである。」ともあった。
随所に「戦争は錯乱と狂気を産むものだ。」とあり、あらためて戦争の悲惨さを考えさせられた。
二度と戦争は起こしてはならない。
学生の頃の軍需工場での労働、そして敵機の空襲にさらされた具体的な戦争体験が綴られ、
そんな苦しい中にも彼らが純粋に生きたセピア色の青春を想像しながら、我が青春時代に重ねた。
松高生が歌う懐かしい思誠寮寮歌をたどりながら声を出して歌った。
春寂寥の洛陽に 昔を偲ぶ唐人の
傷める心今日は我 小さき胸に懐きつつ
木の花蔭にさすらえば あわれ悲し逝く春の
一片毎に散る涙
神々が確かに生き、息づき、そこに住んでいたはずの信州の大自然の中から、神々が消えた。
愛をはぐくんだ二人の幸せな山登りから一転、甲府大空爆で彼女は死んだ。
二人の育んだ清純な牧歌的な愛は失われた。涙が込み上げた。
今世界中の多くで、神々の消えつつある土地がある現実を思った。
・・・〈本の解説に〉・・・
あの頃、戦争は日と共に、錯乱と惰性と狂気とを産んでいた。太平洋戦争末期、死と隣り合わせの日々のなかで、少年は早熟で愛らしい少女と出会う。ギリシャ神話に惹かれる少女から『ダフニスとクロエー』を贈られた少年は、その神話的世界をなぞるように、清純で牧歌的な愛をはぐくむ。二人は信州の大自然のなかで結ばれたが…。幻の処女作を四十年ぶりに完成した瑞々しい長編。