都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
節分は大陰暦(旧暦)の立春の前日で、旧暦新年の「七日正月」の前後に回ってきます。
ですから、太陽暦(現在の暦)に変わる前は、節分は新年を迎える行事の一つだったのです。今年、2011年の2月3日(節分)は旧暦では1月1日にあたります。
平安時代の宮廷では、大晦日になると追儺(ついな)といって鬼を追い払う行事がありました。恨みを持って死んだ人が鬼になって、災害をもたらすと信じられていたのです。
このときは、粽(ちまき)をつくってまいていました。これは中国の屈原(くつげん)の故事に由来します。
楚(そ)の国の国王の側近に、屈原(くつげん)(前340頃~前278頃)という政治家がいました。詩人でもあった彼はその正義感と国を思う情は強く、人々の信望を集めていました。
しかし、屈原は陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。その時の想いを歌った長編叙事詩「離騒(りそう)」は中国文学史上、不朽の名作と言われています。
故国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。
楚 の国民達は、小舟で川に行き,太鼓を打ってその音で魚をおどし,さらに粽を投げて,「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。
これが粽(肉粽=ローツ ォン)の起源です。このようなエピソードから、毎年命日の5月5日の屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、やがて中国全体に広がっていったのです。
また、これは太鼓を打ち鳴らして川に出ることから、ドラゴンレースの起源にもなりました。
これとともに、春の初めには神様が訪れ、祝福を与えるという信仰も古くからあり、家に神様を迎えるために、お祓いをする行事もありました。
この鬼を追い払う追儺と、神様を迎える行事がひとつになって、節分が出来たと考えられています。
各地の神社で、節分に除災神事(じょさいしんじ)が行われていますが、これは江戸時代から行われているそうです。
節分の粽は、「立春」、「立夏」、「立秋」、「立冬」という1年間の全ての「節分」に作られていました。これが次第に5月の節句だけに粽が作られるようになりました。「節分」の言葉も、「立春」の前日だけを指すようになりました。
節分の「粽」も現在では豆に変わっています。何故、豆に変わったのかはよく分からないようです。初めは豆でなくても五穀であればなんでもよかったようです。
ご‐こく【五穀】
5種類の穀物。ふつう、米・麦・粟(あわ)・黍(きび)・豆をいう。
大辞泉
なお、関東の風習では、柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)を刺して立てておくそうですが、これは鬼が鰯のにおいが嫌いだという俗信だそうです。
※追儺等詳しくは下記を参照ください。
節分ってなんだ?鬼ってなんだ?豆まきってなんだ?について考える
したっけ。