今回師匠は「鬼」を描いてきました。
もうすぐ節分ですからね。
師匠は節分までが冷え込みの底だと言っています。
私の膝もなかなかよくなりませんが、師匠の腰も難儀しそうだと言っています。
老化とはこういうことだと言っています。毎年が厄年のようだとも言っています。
師匠! 諦めないでメンテナンスして使いましょう。体の代わりはないんですから…。
節分は豆まきと○○が合体した行事 節分の行事の中で最も有名な豆まきは、いつ始まったのでしょうか。そのルーツは中国の邪気祓いの行事「大儺(たいな)」にあるとされます。それが平安時代、日本に伝わって、「追儺(ついな)」という行事が宮中で行われるようになりました。 追儺は「鬼やらい」とも呼ばれ、病疫を追い払うために旧暦の大晦日(2月3日頃)の夜に行われました。お面をかぶって衣装をつけ、神に扮した方相氏(ほうそうし)と呼ばれる役目の人が、目に見えない鬼を追い払うという行事でした。 ところが、平安時代末期になると、追儺の行事が変化します。それまで鬼を追い払う役目だった方相氏が、逆に鬼に見立てられて、群臣らに追い出されるようになったのです。これには諸説ありますが、方相氏は葬儀に係わる役目もしており、縁起が悪いという意識から追い出される側になったのではないか、という説があります。 ただし、この頃まだ豆まきは行われていませんでした。豆まきがいつ頃始まったのかは明確ではありませんが、文献の上では南北朝時代には追儺に取り入れられて、「鬼は外、福は内」と唱えられていたことが分かっています。 室町時代の高僧が書いた『臥雲日件録』という日記には、「明日立春。故及昏景家毎室散撒豆。因唱鬼ハ外福内四字。(明日は立春なのでどの家でも豆をまいて“鬼は外、福は内”と唱える)」とあり、節分に豆をまく習慣が上流階級だけでなく、庶民の間にも広まっていたことがうかがえます。
豆以前に投げていたものとは 現在の節分の豆まきには、大豆を用いることが一般的です。大豆は厄落としをはじめ、疫病、風邪、疱瘡、麻疹、百日咳、はやり目、物もらい、歯痛などの病除けのまじないにも多く使用されてきたようです。 かつての豆まきでは、米・麦・粟・炭なども使われていました。そんな中、大豆が主流になったのは、「鬼毒」を消して痛みを止めると中国の医書 『神農本草』に書かれていたことに由来するとも、豆を投げれば「魔を滅する=魔滅(まめ)」からだともいわれます。 |
また、節分には大豆を必ず炒ってから使います。
炒った大豆のことを「福豆」と言います。
生を使わず炒ったものを使うのかというと拾い忘れた豆から芽がでてしまうと縁起が悪いとされた為です。
「豆を炒る」は「魔目を射る」に通じるからだとも言います・
豆まきが終わったら、1年の厄除けを願い自分の年齢より1つ多く豆 「年取り豆」を食べます。
余談ですが、鬼が出入りする「鬼門」は東北東の方角にあります。これを艮(丑寅)の方角と言います。ですから、鬼は牛の角を生やし虎のパンツを履いているのです。
その対角にいるのが桃太郎で申(猿)、酉(鳥)、戌(犬)を従えているのです。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
■昨日のアクセスベスト3
鬼さんも福さんも可愛いですねぇ。
マメまきですが、マメやコメや炭など当時は高価な生活必需品って言うのが引っ掛かりま~す。
嫌われる鬼ならば石や砂で良いのにねぇ。
そこがふしぎ~
わかりました^^!
さっそく誰かに言いたくなります(*^^*)
自分の年齢より1つ多く豆を食べるって年々大変ですね。
お腹の中、豆だらけになっちゃいますね(^^)
そうですね。
高価なものの方が効果があると考えたのでしょうか^^
したっけ。
そうですね。
もう、年齢分を食べるのは大変になってきました^^
したっけ。
鰯も大きめのを柊にくくりつけます
鬼(コロナ菌)退散してくれるかしらね^^
もちろん
福は花魁さんです
そんなに睨まなくても・・・(笑)
勉強になりました。
絵はどちらもウフフで素晴らしい(^^♪
婚家は豆まきをしません。以前も書いてますが、鬼のように恐ろしい人がいないといけないそうだからです。
そういう家なので、嫁いで私は怖くて怖くて泣いてばかり・・・
でも、何十年たっても相変わらず私は鬼にはなれません(>_<)
コロナ鬼には退散してほしいですね。
あはは!花魁さん、睨んでますね^^
したっけ。
鬼の付く苗字の家、渡辺さん坂田さんは豆まきをしないそうです。
渡辺綱、坂田金時に由来するそうです。
鬼のつく家は鬼を追い出すわけにはいきません^^
したっけ。