都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今では同義語のように使われている「銚子(ちょうし)」と「徳利(とっくり)」ですが、もとはまったく別のものなのです。
これから、説明しますので調子よく、とっくりと聞いてください。
「銚子」はもともと鍋型の容器で、注ぎ口があり、持ちやすいように柄がついているもののことなのです。
今でいえば、結婚式の三々九度で使う酒器のような形だと思えばいいでしょう。また、「銚」という字は金偏の漢字であることからもわかるように、金属製のものだったのです。
ちょう‐し【銚子】
1 酒を入れて杯につぐ、長い柄のついた器。両方につぎ口のある諸口(もろくち)と、片方だけの片口とがある。神道の結婚式などで使う。2 酒を入れて燗(かん)をするための瓶状の容器。徳利。「お―をつける」
大辞泉
一方、「徳利」は、陶器や金属製で口の細いものです。江戸時代に登場した頃から、現在と同じ形をしていたようです。
ようするに、現在、居酒屋などで出てくるのはすべて「お銚子」ではなく、「徳利」と言うことになります。
一般に徳利を銚子(お銚子)と呼ぶこともあるが、銚子とは本来、神道の結婚式などで用いる長い柄のついた器のことをいう。
Wikipedia
とく‐り【徳利】
1 酒などを入れる陶製・金属製などの、口の細い容器。銚子。とっくり。
大辞泉
「すいませ~ん。お銚子2本追加してください。」は、間違いなのです。
「すいませ~ん。お徳利2本追加してください。」では、調子が狂う・・・。
でも、「大辞泉」によると、どちらも同じようです・・・。私は、納得がいきません・・・。今では間違って同じようにつかわれていると考えるのが妥当だと思います。
私は、「Wikipedia」を支持します。
したっけ。
雪の降らない地域に住んでいる人にとっては、「雪」はきれいで美しいものに見えるかもしれません。しかし、雪国に暮らすものにとって、「雪」は格闘の相手のようなものです。除雪、歩行、運転と全てが危険と隣りあわせなのです。
「雪かき、汗かき、ベソをかき」なのです。(あれ・・・、これ、どっかで書いたな・・・。ま、いいか・・・。)
「雪」と「氷」の違いを考えたことがありますか。北海道の道路は凍りついているのです。北海道弁で「しばれている」といいます。「凍ること」も「寒いこと」も、「しばれる」と言います。
普段、私たちは、「雪」と「氷」の違いを区別しているように思っています。前の晩から積もった雪を「氷」と呼ぶ人はいないでしょう。池に張った氷とは誰が見ても、はっきりとした違いがあります。
しかし、同じものを指して、ある人は「雪」と呼び、ある人は「氷」と呼ぶ場合があります。分かりやすい例では、スキー場で見られるアイスバーンです。大勢のスキーヤーによって踏み固められた「雪」が、スキーのエッジも食い込まないほどカチカチになった状態です。
このようになった雪(積雪)は、正確には「雪」なのでしょうか、「氷」なのでしょうか。
雪氷学という学問があるそうです。なじみはありませんが国際学会もあるそうです。ここでは、はっきりとした「雪」と「氷」の区別があるそうです。
それは、通気性(通水性)のあるものを「雪」、通気性のないものを「氷」としているそうです。
積雪は無数の雪の結晶からなっています。新雪のときは、この雪粒の間には十分な隙間があります。この隙間を空隙(くうげき)というそうです。空隙は互いに繋がっています。
さらに、詳しく説明しましょう。積雪は自重によって徐々に「しまり雪」に変化し、空隙は小さくなります。この密度が0.5g/?程度でしたら、まだ十分に通気性を保っています。因みに、水の密度は1g/?、氷の密度は0.917g/?だそうです。
さらに雪がカチカチに固まり、密度が0.85g/?ぐらいになると、雪の中の空隙は孤立した気泡となり、雪は通気性を失うのだそうです。この段階で、「雪」は「氷」に変化したというのだそうです。
ゆき【雪】
雲の中で水蒸気が昇華し、成長した氷の結晶となって降ってくる白いもの。また、それが降り積もったもの。結晶は六方対称形が多いが、気温や水蒸気の量により形はいろいろ変わる。《季冬》「宿かさぬ灯影(ほかげ)や―の家つづき/蕪村」
こおり〔こほり〕【氷/凍り】
水が固体状態になったもの。1気圧のもとではセ氏0度以下で固体化する。比重0.917。《季 冬》「歯豁(あらは)に筆の―を噛む夜哉/蕪村」
大辞泉
まったく、生活の役に立たない知識でしたね。だって・・・、寒いんだよ。
したっけ。
しゃぶしゃぶは日本料理であるが、起源については諸説あるようです。
元の時代、フビライ・ハーンの食膳大医(王の食膳を管理する食官の長)である忽思慧(こつしけい:1330年『飲膳正要』を著わす)の考案によるとされる北京の火鍋料理に「?羊肉(シュワンヤンロウ, ピンイン:shuàn yáng ròu)」という羊肉のしゃぶしゃぶ料理があったそうです。
鳥取市出身で民芸運動の指導者であった吉田璋也(よしだ しょうや:1898年 - 1972年9月13日)が、戦後 京都十二段家(じゅうにだんや)で戦時中に軍医として赴任していた北京の料理を我が国に伝え、羊肉を牛肉に替え、柳宗悦や河井寛次郎等の助言を得て今日の形となったという。
「十二段家(京都市東山区祇園町南側570-128)」は日本で最初にしゃぶしゃぶを始めたといわれています。京都祇園の中にあり、純和風の落ち着いたお座敷でしゃぶしゃぶをお召し上がりいただけるそうです。
ただ、中国の鍋料理である火鍋に用いられる食材は、日本のしゃぶしゃぶのように、すぐに火が通るものばかりではなく、しばらく煮込む必要がある食材も多いそうです。
なお、吉田璋也によるしゃぶしゃぶの原型「牛肉のすすぎ鍋」は、鳥取市の「たくみ割烹(鳥取市栄町652)」で供されているそうです。
「しゃぶしゃぶ」の名称は、1952年(昭和27年)に大阪の「スエヒロ(大阪市北区曾根崎新地1丁目)」が、自店の料理として出すときに命名したもので、これが始まりとされています。しゃぶしゃぶして食べるからという、実に日本人的な発想です。
1955年(昭和30年)に商標登録されているが、スエヒロが商標登録したのは「しゃぶしゃぶ」ではなく、「肉のしゃぶしゃぶ」で、「しゃぶしゃぶ」という言葉を、どの店でも使えるようにとの当時の社長の配慮だという。しゃぶしゃぶ専用の調理鍋の中央にある柱状の突起は、開発当時上にふたがあり、その開閉で炭の火力を調整したという技術の名残であるそうです。
北海道ではタコを用いた「たこしゃぶ」や羊肉を用いた「ラムしゃぶ」、キンキ(キチジ)を用いた「キンキのしゃぶしゃぶ」などがあります。
したっけ。
スキヤキといえば、故坂本九が歌った「上を向いて歩こう」がアメリカで発売されたとき、「スキヤキ」と改題されたことは有名な話です。
今では「てんぷら」、「刺身」、「寿司」とともに、日本を代表する料理となっています。
また、庶民の間でも、冬になると「スキヤキ」はよく食べられるもののひとつです。
この牛肉を食べるという文化は、もともと日本にはありませんでした。文明開化とともに外国から持ち込まれたものです。
もちろん、それ以前には「イノシシ」や「シカ」を食べることはあったのですが、牛を食べることは殆どありませんでした。
因みに、「鹿鍋」は「紅葉鍋」、「イノシシ鍋」は「牡丹鍋」と呼ばれますが、紅葉は花札、牡丹は肉の盛り付けを牡丹のようにすることに由来しています。
ところが、『安愚楽鍋(あぐらなべ)』には、「牛鍋喰はぬは開花不進奴(ひらけぬやつ)」と書かれるほどになりました。
あぐらなべ【安愚楽鍋】
仮名垣魯文(かながきろぶん)の滑稽(こっけい)小説。明治4~5年(1871~72)刊。牛鍋店に出入りする客を描き、文明開化期の風俗を風刺したもの。
大辞泉
この牛鍋は、ロースとビーフやステーキではありません。五分(1.5㎝)切りの葱と一緒に、薄い鍋に煮立てたものでした。
柳田国男(やなぎだくにお)は昭和5年(1930年)『明治大正史世相篇』の中で、こう書いています。
「勝手に鍋の中のものを欲しいだけ取るといふ点」「色々の手続きと装備を略し、実価を低くして大衆の人込みに便(びん)ならしめた点」。これが流行の原因だとしています。
つまり、もともと、外国のものであった牛食が、日本式発想でつくりかえられたために、庶民の間で流行し、いつの間にか日本を代表する料理になったというものです。
因みに、牛鍋が「スキヤキ」と呼ばれるようになったのには、いくつか説があります。
ひとつは、昨日も書いたように、江戸時代の享和三年(1803年)『素人包丁(しろうとぼうちょう)』、享和元年(1801年)の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されているほか、文化元年(1804年)の『料理談合集』やにみられる「鋤焼き(すきやき)」から来たとする説です。
これは、鷹や鴨や鹿などの肉を、使い古した鋤の上で焼いて食べた料理に由来するというものです。
また、獣肉や魚肉を薄く切ったものを「剥き身(すきみ)」というので、この「剥き身」を鍋で焼くところから「剥焼き(すきやき)」と呼ぶともいいます。
いずれにしても、このように、魚肉や鳥肉の代わりに、すぐに牛肉を使ってみるという安直(あんちょく)さは、いかにも日本人らしいといえるのではないでしょうか。
この安直というか無頓着といったらいいのか、これが「スキヤキ」を生んだ日本人の発想力の柔軟さなのではないでしょうか。
したっけ。
お正月の食べ物のお題第2弾です。お正月に欠かせない食べ物は、おせち料理ともうひとつはお雑煮。
そのお雑煮に欠かせないものはお餅。
つき立てのお餅はもちもちしていて本当においしいですね。
お餅にもいろいろな形がありますが、お雑煮に使うお餅の形は何でしょうか?
何が、第2弾だよ。何が、お餅がもちもちしているだよ。まさか・・・、第3弾もあるんじゃねえだろーな
。
バカヤローッ。もう正月
は気分は終わったんだよ
。そんな質問しか、思いつかねえのか・・・。まったく。今頃お雑煮食ってるやつなんかいねえよ
。
一応答えとくけど、長方体の切り餅だよ。四角じゃあ、平面じゃあねえか・・・。ついでに言っとくが、アンコは入ってねえよ。味は、かつおだしの醤油仕立てだ。
餅を食べるときは、食べる前に大根おろしを食べると喉に詰まらねえそうだ。餅を出すお店ではそうしているそうだぜ。先人の知恵だね
。「(大根おろしには)口をしめらせ、喉をしめらせて食べ物の通りをよくする役割がある。」そうだ。
来年は、そうして食べればいいんでないかい・・・。
餅だけに・・・、付き合っちゃったよ。
したっけ。
すき焼きとは、好みの具を入れて煮込むから「好き焼き」ではありません。「すき焼き」の「すき」は、もともと農具の「鋤」のことなのです。
享和元年(1801年)の料理書『料理早指南』では、「鋤焼き(すきやき)」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されているほか、享和三年(1803年)浅野高造(直隆)作の、大阪で出版された『素人包丁(しろうとぼうちょう)』という書物には、「鋤を火にあぶって、よく焼いてから油をかけ、その上に三枚におろしたハマチを並べて焼く」と書かれているそうです。当時は、獣肉は食べなかったので、魚を焼いて食べていたのだそうです。文化元年(1804年)の『料理談合集』にも「鋤焼き」の記述があるそうです。
牛肉を「すき焼き(鋤焼き)」にして食べたのは、安政元年(1854年)、ロシアの使節プチャーチンが、長崎に入港したときが最初だとされています。
この「鋤焼き」が発展し、現在のような「すき焼き」を食べさせる店は、明治2年(1869年)に横浜に出来たといわれています。
やがて、東京にも、「すき焼き」の店が相次いでオープンしたそうです。これらの店は、新鮮な肉が「今すぐ」食べられるという意味で、「今金」、「今半」など、屋号に「今」をいれたそうです。
因みに、北海道で牛肉の「すき焼き」が食べられるようになったのは最近のことです。今でも、豚肉に玉ねぎを入れるのが主流だと思います。美味しいですよ。ジャガイモや白菜を入れることもあります。
したっけ。
先日、ある女性が帝王切開で男児を出産されたというニュースが流れました。50歳で体外受精であったそうです。子育ては体力勝負です。子どもが成人するまで責任が持てるのでしょうか。同時期に、69歳で父親になった、ある男性が81歳で幼い子どもをなくして亡くなったニュースと重なりました。
高齢で親になるというのは、親のエゴではないかと思うのは私だけでしょうか・・・。
ところで、みなさん、帝王切開の言葉の由来ご存知ですか・・・。
今ではそれほど難しい手術ではなくなった「帝王切開」です。しかし、昔は、出産の途中で母親が死んだ場合に、開腹して胎児を救うという、決死的な手術であったようです。
では、そのような「帝王切開」は、いつごろから行われていたのでしょう。この起源は古く紀元前3世紀の古代エジプトで行われていたという記録があるそうです。紀元前3世紀といえば、日本ではまだ弥生式文化の時代です。
ローマ帝国では、「帝王切開」を成すべき場合を、母親が死んだときと法に定めていたそうです。
では、この「帝王」とは、何のことなのでしょうか。「帝王」と言うからには誰のことなのでしょうか。
「帝王切開」はラテン語で「sectiocaesarea(セクチオ・カエサレア)」というそうです。この「caesarea」は、切る、切り刻むといった意味だそうです。ですから、手術に近い言葉であったわけです。
ところが、それをドイツ語に訳すときに「caesarea」が「Caesar(カエサル)」と誤訳されたのだそうです。「Caesar(カエサル)」といえば、みなさんご存知の、ローマ帝王ガイウス・ユリウス・カエサル (古典ラテン語:Gaius Julius Caesar, 紀元前100年か紀元前102年 - 紀元前44年3月15日)のことです。
これが「帝王切開」という言葉の由来だそうです。
誤診や手術ミスは決して許されることではありませんが、こういった誤訳がひとつの言葉を生んだというのは面白いことです。
また、帝王ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、「帝王切開」で生まれたことから、この言葉が生まれたとする説もあるようです。
また他の説では、カエサル(シーザー)とクレオパトラの子、カエサリオン(シーザリオン)が生まれたとき、クレオパトラは18歳でした。このためなかなか産むことができず、おなかを切ったのだそうです。ここから、英語で帝王切開のことを「Caesarean operation(シーザリオン・オペレーション)」というそうです。
いずれにしても「帝王」とは、帝王ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)のことのようです。
ていおう‐せっかい〔テイワウ‐〕【帝王切開】
腹壁および子宮壁を切り開いて胎児を取り出す方法。自然分娩(ぶんべん)が困難な場合、分娩を早く終わらせる必要がある場合などに行われる。名は、カエサル(シーザー)がこの方法により産まれたという説、また、切る意の(ラテン)caesuraをカエサルと誤ったという説に由来。
大辞泉
日本では、黒船来航の前年、寛永5年(1852年)に初めて「帝王切開」が行われたといわれているそうです。記録によれば、その年、埼玉県の33歳になる農婦が「帝王切開」で命拾いをしたそうです。そのときの手術医は、蘭方医の伊古田純道(いこだじゅんどう)という人だったそうです。
したっけ。
新年明けましておめでとうございます。
新年を迎えてまずすることと言えば、新年の挨拶と初詣ですよね。
神社などで年越しイベントが行われたりと最近は華やかで厳かとは少しかけ離れていたりしますが、一年の無事を祈る行事である初詣に行きましたか?
事情があって、社寺には参詣しちゃあいねえよ。
しかし、「初詣」にはちょいと疑問がるんだよ。「初」と言うからには、二回目、三回目もあるはずだろう。みんな初で終わりじゃねえか
。
はつ‐もうで【初詣で】
[名](スル)正月、その年初めて社寺に参詣すること。初参り。「晴れ着で―する」《季 新年》「―鳥居の影を人出づる/虚子」
大辞泉
「大辞泉」にも、「その年初めてに参詣すること」と書いてあるぜ
。やっぱり、二回目、三回目もありそうなニュアンスじゃねえか
。年に一回だけの参詣で一年の無事を祈るなどとは、虫が良すぎるってもんだよ
。
神も仏も御利益(ごりやく)なんぞは与えてくれるわけがねえ。・・・とは、ひねくれオヤジの戯言(たわごと)だろうか・・・。なんてね・・・
。
したっけ。
分類:タカ目 タカ科
全長(翼開長):雄30-32.5cm 雌37-40cm(60-79cm)
英語名:Sparrowhawk
採餌:主にツグミくらいまでの小鳥をとるが、ネズミやリス、ヒミズなどを捕らえる事もある。本種は第3趾が異常に長く、指だこが発達しており、獲物を捕まえやすい。雌の体重は雄の2倍あり、雌のほうが大きめの鳥を餌にする。アオバトを捕らえることがある。自宅庭には時々飛来し、ヒヨドリ、四十雀、スズメなどを狙っている。
レッドリスト(2006年):準絶滅危惧(NT)
今日、13:20頃飛来し、空中でスズメを捕らえました。自宅のコリンゴの木に多数止まっていたスズメを西側からオンコの木のほうへ追い、空中で脚によりキャッチしました。それから40分あまりかけてスズメを食べ、飛び去りました。まさに弱肉強食の瞬間を、自宅庭で目撃しました。
したっけ。
「鏡開き(かがみびらき)」とは、正月の「鏡餅(かがみもち)」を下げて食べる儀式です。「お供え開き」、「お供えくずし」、「鏡割り」などともいいます。
現在は1月11日に行うのが一般的です。カレンダーなどにも「鏡開き」、「蔵開き」などと書かれています。
昔は20日が一般的だったそうです。正月中に重々しく飾られていた鏡もちを割るということは、大正月の終わりと、その年の仕事始めを意味します。
武家では「具足(ぐそく)開き」といい、鎧兜(よろいかぶと)に供えた「具足餅」を下ろして雑煮にして食べました。女性は鏡台に供えた「鏡餅」を同様にして食べたそうです。
武士は刃柄(はつか)を、女性は初顔(はつかお)というように、それぞれもっとも重視する道具と二十日(はつか)との語呂(ごろ)合せを祝ったのです。
商家では、「蔵開き」をし、農村では「田打ち正月」をして、一年の出発としました。
鏡餅は刃物で切ることを忌み、手で欠いたり槌(つち)でたたいたりして割るのが作法とされています。開くというのは縁起を担いで、めでたいことばを使ったものです。
鏡餅は本来、稲作に伴う儀礼で、農耕神としての歳神(年神)(としがみ)への供物であったとされています。歳神へのお供え物をいただくことによって、一年の一家一族の無事息災が約束されるという意味もあり、また食べ物をたいせつにする心がけを見ることもできます。
20日に行なわれてきた。それが11日に行なわれるようになったのは、徳川三代将軍家光が慶安4年(1651年)4月20日に亡くなったので、この日を忌日として避けて11日になったといわれています。
暦の混乱のためか、あるいは開くという語感から転じたものか、むしろ仕事始めの意味に解する場合が多く、期日も2日や4日に行う例があります。現在鏡開きの日とされている11日も、商家の仕事始めにあたる蔵開きの日と一致しています。
鏡餅は1月10日まで飾って、11日に飾りをとくと同時に餅を食べるのがしきたりですが、20日の小豆粥(あずきがゆ)に入れることもあるそうです。
したっけ。