年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治30年 べったら市

2006年09月01日 | べったら市
明治30年10月21日東京日日新聞
べったら市と夷講
一昨日の大伝馬町のべったら市は正午頃から露店商人の飾り付けを始め、大伝馬町、通旅篭町、小伝馬上町より人形町通大師横から堀留あたりに一帯に植木店が多くすべて菊畑と変わった感じがする。午後4時頃から大店の店前を片付けて人の出入りを集めた者あり、8時頃より10時頃までには人出頗る多く鉄道馬車の通行はとても困難だったが巡査の尽力で幸いにも怪我人も出なかったように見える。売物の浅漬大根が初めは高値であったが売れ行き悪いため夜に入って客が増えるにつき景気つき、一本12銭~13銭より25銭~26銭にて午後10時までに早品切れと見えた、掛鯛も極小8銭~9銭より17銭~18銭位、他は大抵昨年より5割高にて森田切山椒も相変わらず人の山を築いていた。桶・樽・宮のごときは木材の高値ゆえ売り人は高値で出したが案外売れてない。また、昨日は恵比寿講当日にて店の出入り人は祝いの酒で印半天の千鳥足も見えたり。

長谷川時雨著 旧聞日本橋 大丸呉服店より
「大丸出入りの菓子や「かめや」あり、旅篭町通りに大丸とならんで大丸の糸店と扇店があり、「みすや針店」のとなりが森田清翁という、これも出入りの菓子や。十月十九日べったら市の日には店へ青竹にて手すりをこしらえ、客をはかって紅白の切山椒売りはじめます。たいした景気、極々よき風味なり。向側の「かめや」にても十九日にはやはり青竹にて手すりをこしらえ、柏餅をその日ばかり売ります。エビス様の絵の団扇を客にだしました。」とあります。森田切山椒とは現在小伝馬町駅付近にある梅花亭の切山椒のことと思われる。


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