年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 大根の品種改良④大蔵大根

2006年09月20日 | 趣味としての漬物
大蔵大根(東京・世田谷)
東京.世田谷で戦前広く作られていた大蔵産の大根は、「秋つまり大根」別名「大蔵大根」などと呼ばれていました。
 大蔵大根はやわらかく、煮ものに適しているといわれます。最近、世田谷区の地場野菜として復活して栽培がなされています。先端部分が丸みをおびた、尻ずまり型の代表種。肉質はきめ細かく、みずみずしさと甘味に富む。
世田谷区は平成13年7月に商標登録(No.4487715、487716) しました。
 明治5年の東京府誌料によると、世田谷の全体の干し大根の産額は400円(ちなみに北豊島郡下練馬村一村だけで干し大根625円)だった。
 世田谷郷土資料館「ボロ市の歴史」によると明治末期から大正にかけてボロ市の商材にムシロの店が目立つようになった。これは練馬や世田谷などで大根を栽培する村々で沢庵の加工がさかんとなり、大根をそのまま出荷するより付加価値の高いので干し大根にするため,ムシロが必要となったと書かれている。(この記述は少しおかしい、練馬では大根を干すのはハザかけ)ムシロの用途は何だっただろうか。大蔵大根が有名になったのは大正以後ではないだろうか。昭和10年に「大蔵大根」と命名されたという。東京の市民の増加による蔬菜需要の増大は世田谷の農民に大根栽培を勧めた。と同時に、郊外に向かって発達した電車によって通勤に便利となり移住してきた市民によって畑は消え、栽培が難しく、収益の低い大蔵大根は一時的に消えた。大蔵大根は出荷先として渋谷,大井、三鷹、品川方面に出されたという。比較的価格の安い重量野菜の生大根を運ぶのに適している水運の便が板橋・三浦より悪く遠方に出荷できなかったから比較的知られていない。
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