年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治33年 べったら市

2006年09月04日 | べったら市
明治33年10月20日 毎日新聞
昨日のべったら市
昨日は例年のごとくべったら市にて大伝馬町界隈は呼び物の浅漬大根商店は往来狭しと出店したが幸い天気が良かったため夜に入ると極めて混雑した。また、浅漬の相場は大一本6~7銭位、小3~4銭位だった、掛鯛は小30~40銭位より普通70~80銭位、飛び切り物は2円50銭以上の相場であった。

明治33年10月2日
娼妓取締規則公布。規制が大幅に緩和され、正式に娼妓の自由廃業が認められる。明治時代のべったら市の記事の前後にいくつも娼妓の心中記事があった。
廃娼運動のきっかけは「娼妓は前借金の有無にかかわらずいつでも廃業できる」とした明治33年2月の大審院判決であった。同年8月救世軍は機関紙を吉原に入り配布したところ、暴漢に襲われる事件が起こった。世論は遊郭側に批判集中し、一躍、と自由廃娼運動は世に知られた。
 次いで、州崎遊郭から廃業支援の手紙が救世軍に届いたことから救世軍のイギリス人が遊郭の楼主に面会に出向いた。その帰途、暴漢に襲われる事件が起こった。ロシアに対抗するため日英同盟の実現を願っていた明治政府にとって、イギリス人に対する暴行事件は早急に対処しなければならなかった。当時も外圧に弱かった。これを機に公娼規則改正となり、娼妓が自分で警察に届ければ廃業できることとなった。べったら市の記事の前後に救世軍の記事が急に頻繁に出てくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする