年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 大正5年

2006年09月22日 | べったら市
大正5年10月18日万朝報
大根は美濃種
べったら市近づく
19日のべったら市は大江戸の名残を留める年中行事の一つで、また年末の市の皮切りである、その市の開かれる日本橋大伝馬町、小伝馬町を中心として通油町、通旅篭町等にでる名物の浅漬,菊の鉢の露店はその数2000を越える。所轄の堀留署では、今年は例年より混雑するだろうと言うので非番巡査の招集はもちろん、久松・新馬場橋の両署より50名の応援を乞うて警戒し取り締まりを行うとはずである。
 小伝馬町の四方商店主曰く「浅漬大根は美濃種で値段は大(2尺位)20銭より小(1尺)10銭位まであるが11月頃できる九日大根の浅漬が一番良いとしている、今年は地面が冷えているので大根の生育は悪い」云々。

大根は美濃種というが東京の百姓「みの吉」が改良した品種である。露店商の数が2000という数字はベッタラ市の歴史の中で最大の数である。

大正5年10月20日都新聞
大根の相場が決まると称されるべったら市。
19日は朝からの雨に例年の景気は無く、小伝馬町の電車の交差点付近と通油町の前側に桐油屋根の浅漬屋や縁起物屋が淋しく並んでいて客を呼ぶ声も甚だ貧弱に聞こえた。しかし、小伝馬町横町に陣取った植木屋の菊は街の両側にぎっちりと並んで雨にぬれた菊の葉も花も袷衣(あわせころも)の気合をはっきりと現し、買い手も大分込み合って蛇の目の上へ大文字の番傘が重なって植木屋との押し問答賑やかに市らしい味があっていずれも雨を怖がって買う人も稀に肩に乗せ手のひらに重そうな鉢を載せて行くのはホンの近所の人らしい人ばかり。この調子だから浅漬の売り上げも思わしくなく、いつもなら本石町から乗る夜9時頃の電車は細長い新聞紙状の包みにみなぎらせた大根が、今年は極めて少ない。若いかみさんが子供を背負って土産にしている姿を一つ二つ見ただけだった。


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