年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 大正8年

2006年09月27日 | べったら市
大正8年10月19日万朝報
べったら市が来た
19日は日本橋通油町、大伝馬町、小伝馬町、鉄砲町、田所町は18日夜から露店商人は地割りに忙しい。浅漬店は600、植木120、宮師130、雑品130等出店し総数1000余の露店となる。堀留署には応援を依頼して警戒するという。

明治42年1月13日万朝報によると
東京の路面電車と人の事故は年間1000人の死傷者が出ている。

大正8年の漬物組合の状況
前年の米騒動と大阪における「公設小売市場」の発足により、東京も始まり反対運動が始まった。
10月27日 公設市場全廃を決議
11月13・14・15日 内務省・東京府市・憲政会・大蔵省・農商務省・税務監督局・商業会議所・鉄道院・政友会・国民党などを訪問し、陳情書を提出した
11月19日薪炭商組合・白米商組合等で組織された「日用品商連合会」より送付された趣意書・陳情書に同意した。
11月24日 公設市場の取引しないと役員会で決議


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