年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

大正9年 漬物の市況

2006年09月29日 | 築地市場にて
大正9年の漬物業界

大正8年欧州大戦の休戦時に日本の工業生産額は全体の56%を占め(農業生産額は35%)、戦争が始まる前は農業生産額が工業生産額より多かった農業国が新興工業国となっていった。明治の日清・日露の両戦争の負債(国債)も大正の第一次大戦による好景気で消えた。戦争が終わると好景気の反動で欧州の生産が回復しアジアに商品がまわり、過剰生産となった日本製品とぶつかり、不況となった。

大正9年3月、株式市場の大暴落が起こり、第一次世界大戦後恐慌が突発した。企業倒産が続発し、街に失業者があふれ、労働組合運動は次第に過激になり、社会不安が一挙に高まった。
 組合史によると年前半は混乱的物価上昇であって思惑買いが更に物価上昇を招くという状態のとき、株価が暴落した。後半期に移ると、生糸・木綿・雑穀・米・麦・砂糖・醤油その他つるべ落としに物価が下落し、株式市場にも不況風が吹き銀行は取り付け騒ぎとなり大恐慌となっていった。べったら市を開いている日本橋大伝馬町・小伝馬町辺りは繊維製品の問屋街であって、不況の影響は当然受けた。

日本橋の魚河岸が大正7年まで元日だけ休日であったが大正7年4月22日から月一回の定休日となって行った。戦後、築地市場では昭和24年には魚類部が毎月2のつく日、青果部は5の日と休市日が定められた。その後、週休となり、現在は基本的には日曜と月2回の水曜日が休市となっている。当時・漬物組合は大正8年10月21日から12月を除く21日を休日としている。
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