年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 大根の品種改良①

2006年09月17日 | べったら市
明治34年頃のべったら市の記事に出てくる袋村のみの種の大根。
袋村は岩淵宿の西にあり、現在の地名で言うと北区桐ヶ丘1・2丁目、赤羽北1.~3丁目、赤羽台3.・4丁目、赤羽3丁目、岩淵4丁目のあたりとなる。
武蔵には北豊島郡池袋及び荏原郡下袋(大田区羽田)がある。袋と言う地名は低湿地と察せられる。この袋の地は徳川時代は幕府直轄地だったが、その後は小石川伝通院にも分かち与えられてた。正保中は291石中水田は166石、陸田は124石だった。後に袋村は水田より畑が2倍多かった。
参考、武蔵野歴史地誌より
北区の農業が明治30年代は京橋大根河岸青果市場等に出荷するのに水運が利用でき、車馬も利用でき、生大根の出荷が盛んであった。しかし、東京に近く、明治18年に赤羽駅が出来、電車の便が良くなると畑は市街化し、明治の終わり頃から大正中頃には工場や移住してきた人々の住居となってしまった。今では、飛鳥山の郷土資料館にも早生大根の産地資料がなく、歴史の中に埋もれて、ただ明治30年代の産地記事が残るのみとなってしまった。戦後の練馬も同様の状態になっていった。
 袋村の大根は九日大根と言って夏大根の一種で、旧暦の九月九日ごろに収穫となる。暦の改変によって、練馬大根から早生品種の改良が進んだ夏大根がべったら市の大根となっていった。
大根河岸の大根は時代によって、季節によって産地が異なるが、少なくとも明治30年代の初秋の大根は北豊島郡の袋村、王子、赤羽だっただろう。
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