上野護国院〔大黒天〕のパンフレットより
江戸時代から正月に七福神詣でといって上野近辺の七福神に詣でることが盛んになりました。これらの神様を福の神としたのが江戸幕府初めの宗教顧問の一人であった上野東叡山の開祖天海僧正であり、経典(仁王経)の七難即滅・七福即生の文に基づいて七福神の信仰を勧めました。
後に徳川家康は絵師(狩野探幽)に七福神の絵を描かせ。これが評判となって宝船に乗った七福神が普及しました。
宝船
江戸時代初期から、七福神を乗せた宝船を、正月2日、枕の下に入れて寝ると、吉夢を見るということが、盛んにおこなわれるようになりました。宝船のことを「おたから」といい、おたからを江戸の町に売り歩くのを、お宝売りと言ったそうです。
初夢の中に『なす』がありますが『物事を成す』と江戸時代温室栽培の無かったころ今の江東区砂町で促成栽培をしていて非常に高価な茄子がありました。冬季にナスを食べる夢は非常な贅沢で吉兆な夢とされました。れんこんはおせち料理にもあるように『先が見える=未来が明るい』とされ、たけのこは雨後のたけのこというくらい良く成長する意味があるのでしょうか。しかし、あまり竹の子の入った福神漬は知りません。
江戸時代から正月に七福神詣でといって上野近辺の七福神に詣でることが盛んになりました。これらの神様を福の神としたのが江戸幕府初めの宗教顧問の一人であった上野東叡山の開祖天海僧正であり、経典(仁王経)の七難即滅・七福即生の文に基づいて七福神の信仰を勧めました。
後に徳川家康は絵師(狩野探幽)に七福神の絵を描かせ。これが評判となって宝船に乗った七福神が普及しました。
宝船
江戸時代初期から、七福神を乗せた宝船を、正月2日、枕の下に入れて寝ると、吉夢を見るということが、盛んにおこなわれるようになりました。宝船のことを「おたから」といい、おたからを江戸の町に売り歩くのを、お宝売りと言ったそうです。
初夢の中に『なす』がありますが『物事を成す』と江戸時代温室栽培の無かったころ今の江東区砂町で促成栽培をしていて非常に高価な茄子がありました。冬季にナスを食べる夢は非常な贅沢で吉兆な夢とされました。れんこんはおせち料理にもあるように『先が見える=未来が明るい』とされ、たけのこは雨後のたけのこというくらい良く成長する意味があるのでしょうか。しかし、あまり竹の子の入った福神漬は知りません。